第12話 すべてを見渡す仏塔の目

 葵がマヤと一緒にクマリの館を出ると、昨日の子どもたちが早速近寄ってくる。

 マヤは、ワンピースにズボンを合わせたクルタ・スルワールという民族衣装を着ているが、子どもたちは長袖か七分袖のシャツにズボン姿が多い。


 寺院に行きたい、と葵が子どもたちに言うと、マヤが通訳してくれた。みんなが走りながら先導し、葵に向かって手招きをする。


 標高二千メートルの村だから、雲が眼下に見える。まるで雲の海に浮かぶ孤島みたいで、神秘的な光景だ。


 高い丘の上にある寺院には、急勾配の階段を延々とのぼらなければならなかった。

 空気が薄いせいで、ようやく寺院についたときには、葵は息切れと足のだるさに座り込んでしまった。子どもたちは、慣れているのかピンピンしている。


 寺院にそびえるストゥーパを、葵は立ち上がって見上げた。


 四角い胴から尖塔が伸び、その上に円形の笠がある。胴の角柱部分は、すべての面に双眼が描かれていた。

 クマリの額の目といい、この国では「目」のモチーフが多い。


「あれは、ブッダの目を表しています。すべてを見渡す、という意味です」


 葵がストゥーパに見入っていると、マヤが解説してくれた。


「じゃあ、目の下にある鼻のような『?』マークは」


「問いかけの意味です。『お前はこの世界で何をしているのだ?』という」


 仏塔が常に、人々の生活を見渡しながら「善く生きているか?」と問いかけ続けているのだとすれば、悪いことはできないだろうな、と葵は思った。

 あのストゥーパも、常世のアリの増殖を防いでいるのかもしれない。


 塔の頭頂から八方に向かって、色とりどりの旗のようなものがかかっている。よく見ると文字が書いてあった。


「あれは経文なのですよ」とマヤが教えてくれた。ブッダの言葉が風に乗って国中に広がっていくように、との願いが込められているそうだ。


「この塔は、いつぐらいに建てられたのですか?」

「三世紀と伝えられていますが、碑文がないから確かなことはわかりません」


 マヤが塔の由来を語ってくれる。


 昔々、十年間雨が降らず、悪いことばかり起きて国が乱れた。国王が祈りを捧げたところ、託宣を得た。「三十二の特徴を兼ね備えた人間を生贄にすれば、国は治まる」と。


 調べたところ、その特徴をすべて持つ人物とは、国王自らのことだった。

 王は皇太子に、「牢に軟禁している者を生贄にしろ」と言い、顔を隠して牢に入った。皇太子は言われたとおり、牢にいた男を殺してしまう。


 自分が殺めたのが父親だったと知った皇太子は、自らの行いを悔やむと同時に、父の決断に敬意を表し、塔を建てた。


 それが、このストゥーパである、と。


「ちょっと切ない話ですね」

 旗が風になびく仏塔を見上げながら、葵はつぶやいた。


「たまたま王に生まれただけなのに、国を治めるために奔走して、最後は自分の命までも捧げるなんて。知らずに父親を殺してしまった皇太子もかわいそうです。出自のせいで、自分の意思と関係なく、つらい役割を背負わされて」


 同意を求めるように葵がマヤの方を見ると、彼女は無表情なまま答えた。


「王家に生まれつくことには、意味があります。たまたまではありません」


 マヤは運命論者なのだろうか。

 この世で起こることはすべて、あらかじめ決められていて、人間には変えることができない、という。


 そういえば、マヤは元クマリだった。

「すべて運命なのだ」と自分に言い聞かせなければ、耐えられないことも多かったのだろう。


「そうかもしれませんね。でも、最後は生まれではなく自分の意思で、王になるのだと思いますよ」


 葵が言うと、マヤは意外そうな顔でつぶやいた。


「王に、なる……」


 子どもたちが葵の手を引っぱり、塔の横の寺院へ連れて行こうとする。ようやく回復してきた葵は寺院へと向かい、ご本尊に手を合わせた。


 寺院には、一斗缶くらいの大きさのマニ車がいくつも備え付けられていた。側面に、チベット文字のマントラが書かれている。


 子どもたちはマニ車が好きらしく、歩きながら順番にマニ車を回し、葵の方を振り返って目で催促する。


 葵も、ゆっくり歩きながら、マニ車を回す。少し重いが、思ったよりすんなりと回ってくれる。


「マニ車の中に経文が入っていて、回すと経文を一回唱えるのと同じ功徳が得られるんだよ」と子どもたちが教えてくれるのを、マヤが無表情に通訳する。


 ストゥーパを背景に、葵はスマートフォンで子どもたちと記念写真を撮った。

 プリンタがないから彼らに写真を渡すことはできないのに、みんな写真に撮られることを喜んでいる。


 昨日までは、コミュニケーションを取れなかったらどうしようと悩んでいたのに、葵は言葉が通じなくても自然に接し、楽しんでいる自分に気づく。


 寺院にあるWi-Fiのおかげで、撮った写真を葵のSNSにアップできた。

「森羅万象を見渡す仏塔にて、ゴルカナの子どもたちと」とキャプションをつけた写真は、双眼の描かれたストゥーパがいかにもゴルカナらしい。


(急病で来られなかった鏡香にも、旅のおすそわけができればいいんだけど)


 葵は日陰に腰掛けると、SNSを検索し、クリシュナの携帯をのぞき見たときの女子高生を探そうとした。なんとかしないと、あの子はインドの売春宿に売られてしまうかもしれない。


 アルファベット表記の名前は記憶に残りにくい。確か、Lで始まったのだけれど。


(ラ……なんとか……だめだ、思い出せない)


 子どもたちは広場で鬼ごっこを始めた。長い階段をのぼってきたのに、元気なものだ。ムルガン、ガネーシュなどと呼び合っている。


(確か、ガネーシュって神様の名前よね。人につけてもいいのかしら)


 マヤに聞くと「むしろ神様にあやかって名前をつけるのですよ」と教えてくれた。


 それならもしかして、と葵は再びマヤに質問する。

「ラで始まって、よく女の子に使われる神様の名前はありますか?」


「ラクシュミ、ですね。ゴルカナでも人気のある名前です」


 スペルを訊いて、検索する。ヒットした中から、昨日見た顔写真を探す。十七歳で色が白い子。


「あった!」

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