第8話 通訳の裏の顔

「奴のスマートフォンを見てみろ」とクマリに言われて、葵はまた第三の目で、眠っているクリシュナを観察した。

 テーブルに置いた携帯電話は画面がスリープモードになっていて、何も見えない。


「過去に映っていた画面を引っ張りだすんだ。半日以内ならアオイでも見ることができる」


 額がキリキリするほど集中して、葵は携帯電話をにらむ。しかし、画面は真っ暗なままだ。よく霊能者が霊視をするときに半眼になるのを思い出し、試しに目をすがめてみる。

 視界がぼやけるのとは逆に、携帯の画面に画像や文字が映った。


(見えた!)


 3Dイラストを立体視するのと同じ要領らしい。一度見えると、はっきりと認識できる。葵はさっそく、映った文字を読み始めた。


 まずは、妻が言っていた日本人女性客とのメール。


「ツアー中ではゴルカナの魅力を伝えきれなかったので、またメールをしてもいいですか? 写真は、ヒマラヤ山脈の夕暮れです。神々しいでしょう」


 これは、単なる営業だろう。


 続いて、世界規模で利用されている某SNSのページ。

「友達」欄には、日本人とゴルカナ人が半々くらい。なぜか若いゴルカナ女性が多いのが気になった。


 ページが移動する。どうやら相手はこの国の女子高生らしい。


 ――外国の言葉を話せるなんて、クリシュナさんすごい! あたしも外国に行ってみたいなぁ。せっかく学校で英語習ってるのに、一生どこにも行けそうにないなんて。


 ――インドなら、ビザなしで気軽に行けるよ。なんならサマーバケーション中に連れてってあげようか?


(相手が世間知らずなのにつけこんで、未成年をナンパするなんて!)


 思いっきり顔をしかめながら、葵はさらに携帯電話を解読した。

 今度は別の相手だ。男性で、現在地:インドとなっている。


 ――この間の件、一人落とせそうだ。国境まで連れて行く。十七歳、顔とスタイルは十人並みだが、色は白い方だ。恋人と秘密の旅行と思い込ませて、親には行き先がばれないようにしておく。


 ――色白はインドでは高値で売れるからな。宿まで連れてこい。あとはこっちでやる。一万ルピーでどうだ?


 ――危ない橋を渡ってるんだ。最低でも一万五千はくれ。


 ――オーケイ、処女だったら一万五千だ。善人面して、うまいことやりやがって。


 込み上げる怒りを何とか抑えるため、葵は両の拳をぐっと握った。親指の腹に爪が食い込む。


 隣国ネパールの少女たちがインドの売春宿に売られる問題が頻発している、という以前読んだ記事を葵は思いだした。


 明日の食費にも困った親族が、数千円で少女を売る。農作業をする女児に「都市部の儲かる就職口を世話してあげる」と斡旋人が声をかけ、だまして連れ出す。

 いずれも貧困ゆえに足下を見られる悲劇だ。


 それに対してこの女の子は、高等学校に行かせてもらい、スマートフォンまで持っている。そんな子がターゲットにされるとは。


「この国では、親が結婚相手を決める。年配の者は、恋愛などはしたないと言う。それでも、恋愛を前面に出したインド映画は入ってくるし、インターネットで簡単に異性とやりとりできる。プロフィール写真を『かわいいね』と褒めてくれた、悩みを聞いたり励ましたりしてくれた、その程度のことで簡単に舞い上がる」


 クマリが低い声で言う。どこか冷めた口調に、葵はつい女の子をかばいたくなる。


「その程度って……。免疫のない女の子が、かわいいなんて言われたら、相手のことが気になるのも仕方ないじゃない。好きでもない相手と結婚する未来しかない中で、映画みたいな恋がしたいって思うのは、そんなにいけないこと?」


 クリシュナへの怒りを、ついクマリに向けてしまった。「ごめんなさい」と葵が口ごもると、彼女は首をかしげた。


「世間ではそれを『恋』と呼ぶのか。……我には俗世のことはわからん」


 一部しか見えていない相手の情報を勝手に想像で補って、素敵な人だと思い込んでしまう経験は、葵にもあった。だから、あの女の子の気持ちはわかるし、自業自得だと切り捨てたくはない。できることなら何とかしたい。


「それはともかく。あの通訳の男が頻繁に悪さをするので、最近アリが増えて困っている。見てみろ」


 クマリに言われて、何食わぬ顔で眠り続けるクリシュナを、葵は第三の目でにらみつける。

 しばらくすると、鼻の穴からアリたちが出てきた。蜜胃をいっぱいにしたアリの隊列が、いつまでも続く。


 後方が出てこないうちに、先頭のアリは地下へと潜った。クリシュナの肌は、喰われて穴だらけだった。


 最後のアリが鼻から出てくる頃には、蓮の実のようにぼこぼこしたところに黒い汁が滲み出て、肌の穴を埋めようとしている。


「あれが、さっき言っていた蟻毒?」

「そうだ。蟻毒に、漂っている悪い気が溶けて混ざり合い、さらに悪い感情を生む」


 アリの群が常世に戻ってきた。

 腹の重いアリたちの歩みは遅い。クマリは、アリ塚に帰る彼らを黙って見ている。


「……その、食べないの?」


 オオアリクイに向かって葵が訊ねると、彼女は早口でまくしたてた。


「あなた、さあ食べてって言われて、釜いっぱいの米を食べられる? バター茶を百杯飲める?」


 それはちょっと、と葵が口ごもる。確かに、あのアリの数では、チャンドラだけで食べきるのは難しそうだ。


「それに、アリはともかく、蜜胃の中に入っている負の感情は嫌いなのよ。苦くって」


 アリたちがアリ塚へと入っていく。あの中に、女王アリがいるのだろう。

 卵は女王しか産めないはずだ。養分をもらって肥え太ることでアリが増え、また人の世界へ悪さをしてしまう。


「あのアリたちは殺さなくていいの?」


 葵の問いに、クマリが静かな声で言う。


「さっきも言ったが、アリは本能に従って『食事』をしているだけで、悪意はない。それが我々人間にとって都合が悪いというだけだ。……とまあ、きれい事を言ったところで、アリは減らさなければならんのだが」


 オオアリクイに乗ったまま、クマリが葵に近づいてくる。


「そこで、最初の話に戻る。アオイ、その右手の瘤が必要なのだ」

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