第5話 オオアリクイと鷹

 さっきまで真正面にいたはずのクマリが、こちらを見下ろしている。

 彼女はいつの間にか、動物の背にまたがっていたのだ。


 大型犬ほどの大きさの生き物で、手足に比べて頭部が細くて長い。図鑑で見たオオアリクイに似ているけれど、ヒマラヤに生息していただろうか。

 それよりも、この動物はいつの間に来て、クマリを乗せたのだろう。


「右手を出せ」


 クマリに言われるまま、葵は手のひらを上にして右手を出す。オオアリクイに乗ったクマリが距離をつめてきて、葵の右手を無造作に引っ張り、手の甲を上にした。


「この瘤だな、潮満珠しおみつだまは」


 手の甲にある小さな瘤を、クマリがつまみとろうとする。

 つねられた痛みと、中で球状のものが動く気持ち悪さに、葵は顔をしかめる。


「やはり取れないな。ナイフで切り出してみようか」


 物騒な台詞に、葵はあわてて手を引っ込める。


「やめてください! これはただの瘤です。なんでそんなこと」


「ただの瘤なものか」

 クマリの言葉に呼応して、すぐそばで声がした。


「せっかくあたしが見せてあげたのに、まだ思い出さないんでしょうかねえ」


 クマリの声ではない。中年女性のような、少しかすれた低めの声だ。きょろきょろと辺りを見回すが、他に誰もいない。


「あたしよ」

 クマリを乗せたオオアリクイが口を動かす。


「うそ! オオアリクイがしゃべった!?」


「失礼ね、私はバクよ!」


 オオアリクイが、こちらをにらんでいる。


 これは夢だ。夢に違いない。

 ティカの中に催眠物質が入っていて、身体はあの部屋で眠ってしまっているのだ。


「チャンドラ、せっかく封印のかかった記憶を再現したのに、アオイがちゃんと思い出せていないぞ。さては、アオイの夢をちょっと食べただろう」


「ナーガの夢なんて滅多にないから、つい」


「しょうがないな。……アオイ、その右手の瘤が必要なのだ。切り取られるのが嫌なら、一緒に来てくれ」


 オオアリクイに乗ったクマリが方向を変え、さっさと歩き出す。


 どうしていいかわからず葵が呆然としていると、クマリが振り返って「早く来い」と言う。いかにもついて来るのが当然という横柄な態度に、少々むっとする。


「私、行くなんて言ってないんですけど」


 聞こえないよう、小声でつぶやいてみる。どうせこれは夢なのだ。目が覚めるのを待つしかない。そう思っていると、何か鋭いものに肩をぎゅっとつかまれた。


「痛! いたたた!!」


 左肩に、大きな鳥、しかも猛禽がとまっている。

 鉤爪が肩に食い込んで、ちぎれそうに痛い。


「おとなしい娘だと聞いていたのに、クマリに逆らうとは無礼な!」


 耳元で聞こえた人語に、葵は再び唖然とした。


 鳥が勢いよく葵の肩を蹴って宙へ飛び立ち、旋回して目の前で浮遊する。

 観光オプションで「ヒマラヤ鷹とパラグライダー・フライト」というのがあったが、あの写真の鳥と似ている。


「これは夢であって夢でない。クマリに従え」


 黄金色の目で、鷹が葵をにらみながら言う。声の感じからすると若い男性のようだ。姿は鷹だけれど。


「アカーサ、気をつけろ! アオイが怪我をして血が出たらどうする。巫女は血を流してはいかんのだ」


 立ち止まったクマリが、振り向いて鷹に鋭い声を飛ばす。


「アオイは日本国の巫女だ。水牛の首を見ても取り乱さず、慈悲の心を持った。相応の敬意を払うように」


「申し訳ありません、クマリ」


 鷹はクマリに頭を下げると、葵に向き直って「非礼を詫びる」と言った。


 鷹につかまれた左肩をさすって痛みを散らしていた葵は、文句の一つも言いたかったが、「あ、いえ、こちらの方こそ」と会釈をした。鷹が騎士ナイトみたいなしゃべり方をするのが、何だかシュールで調子が狂ってしまう。


 オオアリクイに乗ったクマリが立ち止まり、葵の方へ向き直る。

「許せ、悪い奴ではないのだ。――紹介がまだだったな。彼はアカーサ、そして彼女はチャンドラだ」


 クマリが獏の頭をなでる。

 チャンドラと紹介された動物は、葵を見上げると、舌をべろんと出した。地面まで届きそうなくらい、細長い。


 ……やっぱりオオアリクイじゃん、と葵は心の中で突っ込む。


「室伏葵です、よろしく」

 とりあえず、鷹とオオアリクイに向かってあいさつする。


(どうして動物と話ができるんだろう)


 夢であって夢でない、というアカーサの言葉を思い出す。そういえば、日本語がわからないはずのクマリとも、会話が成り立っている。


「ええと……あなたのことは何て呼べばいいですか?」

 試しに、葵は日本語で訊ねてみる。


「……名は、過去に捨てた。クマリと呼べ」


 やはり、意思の疎通ができている。

「クマリは、日本語が話せるのですか?」


「我は日本語が話せないし、アオイもゴルカナ語が話せない。だが、ここにいるときは、言語を通さずに頭が直接意味を理解する。だから、アカーサやチャンドラと話すこともできるのだ。……そんなことより、早く行くぞ」


 向きを変え、クマリを乗せたオオアリクイが歩き始める。鷹は適度に旋回を交えながら、クマリたちとスピードを合わせて飛んでいる。葵がついてくることが当たり前のように、振り向きもしない。


 一人でここにいても何も解決しない。葵はため息をついて、後に続いた。


 夜空の下に、青灰色の地平が広がっている。

 有名な画家が描いた月夜の砂漠の絵みたい、と思いながらあたりを見渡す。少し離れたところに、カッパドキアのような、塔に似ているけれど人工建築物ではないものがあった。


「ところで、私たちはどこへ向かっているの……でしょうか」


 ゆっくりと進むクマリ一行の斜め後ろまで追いつくと、葵は訊ねてみた。


「いちいち思念に敬語を乗せなくともよい。行き先は、アリ塚だ」


 アリ塚? さらに目的がわからなくなった。


「その、オオアリクイの食事のため?」

「獏だって言ってるでしょう!」


 チャンドラに怒鳴られて、葵は首をすくめる。どう見てもオオアリクイなのに、怒らなくてもいいじゃないか。


「ここは、どこなの?」


 塔のようなものが近づいてくる。あれがアリ塚だろうか。

 青白い世界はしんとして、他に音は聞こえない。


常世とこよ、と我々は呼んでいる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る