紅い狐と翠の狸

叶川史

紅いキツネと翠のタヌキ


 世界地図で言う最東端に位置する最小のマルーチャ大陸は、西と東で二つの国に分かれていた。

 

 機械化が進み、化学が発展した先進国レッドフォックス。


 自然を愛し、物理法則を無視した魔法を用いるグリーンラクーン。


 科学者は魔法を、魔道士は科学を、互いに未知の技術だと恐れていた。しかし得体の知れない力ゆえ、攻め入った際の勝算が得られず、長い間冷戦状態が続いていた。


 そんなマルーチャ大陸の中央にある、立ち入り禁止区域の“国境の森”で、一組の男女が出会った。レッドフォックス第二王女のルべライト・ヌードゥルと、グリーンラクーンの第八王子エメラルド・バックウィート王子。二人は恋におち、国の者の目を盗んでは国境の森で逢瀬を繰り返していた。


 しかしある日、二国の国王が原因不明の病に倒れた。レッドフォックスはそれを魔術による呪いの力だと、グリーンラクーンは科学の細菌兵器による襲撃だとし、互いに宣戦を布告。しかしそれは互いの国の大臣が偶然にも同時に起こした謀反であった。そのことを知ったルべライトとエメラルドは、真実を知らせるために国境の森へ。しかし大臣の手の者により、大けがを負ってしまう。


 血だらけの体を引きずりながら、愛する人を探す二人。火が放たれ、紅蓮に染まる国境の森の中央、いつも待ち合わせの場所にしている大樹のしたでようやく二人は出会える。お互いの運命を嘆きながら、来世では結ばれることを願い、二人は口づけを交わすのだった――。



「――どう?」


「いや、どうって言われても……これで終わり?」


 狸塚翠斗まみづかあきとは『講演脚本(仮)』と書かれた紙の束から顔を上げて、向かいの席に座る少女を見る。


「オチはまだ考え中なのです~。だからアッキーに相談しようかなと……」。


 嘆息しながらそう言って、狐坂紅美こさかくみは机に突っ伏し顔を覗き込むように翠斗を見上げた。二人は同じ高校の演劇部に所属しており、翠斗は演出を、紅美は脚本を担当している。翠斗は三ヶ月後に行われる講演会について意見を欲しいと紅美に呼び出されていた。


「ていうか、レッドフォックスとグリーンラクーンって、まんまじゃん。お前ほんと好きな」


「いや~偶然よ? 夜食食べようと台所に行ったらたまたま目に入って、カップ麺同士の禁断の恋! みたいな話ってどうだろう。と……」


「ふ~ん……てかもう7分も経ってるじゃん! 早く食わなきゃ!」


「あっきーだって結局好きなんじゃ~ん」


 へらへらとした笑みを浮かべる紅美に、翠斗は「うっせ」と返す。


 陽光が差し込む放課後の教室に一組の男女。胸キュンの青春ラブストーリーを思わせるようなシチュエーションだというのに演劇部の部室内の雰囲気はどこかほんわかと弛緩した空気が漂い、ムードもへったくれもなかった。それは二人が幼馴染だからか、あるいは二人の間に置かれた「赤いきつね」と「緑のたぬき」の蓋の間からもれるダシの香りがそうさせるのか。


 翠斗は赤いきつねを手に取り、蓋を開ける。どちらかと言えば緑のたぬきが好きなのだが、名前に“狸”が入っているのをからかわれたことがあるため人前で食べる時は赤いきつねと決めている。そんな心情を察してか、紅美は「別にいいのに……」と苦笑しながら緑のたぬきを引き寄せる。


 余談だが翠斗は紅いキツネが嫌いなわけではない。お揚げをしゃぶり、たっぷりしみ込んだつゆを吸って飲むのがたまらなく好きなのだが、母に「行儀悪い」と叱られてからは人前では自重している。


 対して紅美はどちらも同じくらいに好きだった。嬉しそうに蓋を剥がすと、ムワッと広がる湯気を顔に浴びて幸せそうに顔を緩ませる。蓋の上に乗せていた天ぷらを手に取り、それを煎餅のように手で砕いてそばの上に乗せた。こうするとつゆがしみ込みやすくて美味いんだとか。


「まぁ、方向性はいいんじゃね? どうせならもっとパロディ感増した方が面白いかも」


「うーん、でも全体をコメディチックにしちゃうのはちょっと……それに、あんまりパロディ入れると冷めちゃわないかな? カップ麺だけに 」


「やかましいよ。うーん……それならもっと情勢を濃くして……」


「おつゆだけにね」


「真面目にやって?」


 互いに麺をすすりながら、脚本についてあれこれ意見を出し合う。あれやこれやと話し合っているうちに日が傾き、外はいつの間にかオレンジに染まっていた。


「うわっ、もうこんな時間か……今日はこのくらいにして、また明日にしようぜ」


 ふと見上げた時計の針が予想外に進んでいることに驚き、翠斗は少量となった赤いきつねのつゆをおあげと一緒に飲み干し、帰り支度を始める。家が近所の二人はいつも登下校を共にしているのだが、紅美は腰を上げようとはしなかった。


「あっ、私先生にちょっと用事があるから、先帰ってていいよ!」


「そうか? すぐ終わりそうなら教室で待ってるけど……」


「う~ん、それが結構時間かかりそうなんだよねこれが。紅美ちゃん大好きなあっきーとしては、待っていたくなる気持ちもひじょ~わかりますが……うぎゃんっ!」


「言ってろ。そこまで言うなら、今日は先帰るわ。お前も寄り道せずにまっすぐ帰れよ」


 頬杖をつき演技がかった口調でからかう紅美にデコピンをかまし、苦笑しながら翠斗は部室を後にする。へらへら笑いながら「ばいばーい」と手を振りつつその姿を見送る紅美。しかし足音が聞こえなくなった瞬間、彼女の顔にふっと陰りが生まれる。


「……まさか、あんな真面目な反応してくるとはな~。流石、にぶちんあっきー……」


 デコピンをくらったおでこを摩りながら、深いため息を吐いて机に突っ伏す。そのまま腕を下に伸ばし、床に置かれた鞄の中から紙を取り出して掲げる。


「……これを見せてたら、気付いてくれたのかな……」


 ぽつりと呟いた言葉が空気に溶ける。夕焼け空を横切るカラスのマヌケな鳴き声が、まるで「そんなわけねーだろ」というツッコミのように聞こえ、思わず苦笑する。すっかり冷めてしまった緑のたぬきのつゆの香りが微かに漂う教室の中、紅美の顔は微かに赤みがかっていた。


 夕日に翳した一枚の紙、そこにはこう書かれていた。


『時をこえ、二人は地球という惑星の平和な国で生まれ変わり、幼馴染として出会う――』

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紅い狐と翠の狸 叶川史 @Kanaigawa

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