永遠の5分

鷹山勇次

第1話

 高速道路を走りながら、ふと思い出した。

子供の頃、父がよく山に連れて行ってくれた。


 星の写真を撮るのが好きだった父が、「真治まさはる、山に行こうぜ。」と言い出すのは、大体夕食後だった。

夜は家の中にいる事が多かった子供時代の僕にとって、外の夜の世界はたくさんの好奇心に満ち溢れていた。

 山と言っても、小高い山全体が公園になっている所で、展望台までの道はきちんと整備されていた。急な階段やフェンスがない場所もあったけど、等間隔に並んだ外灯が明るく照らす道に、危険な場所は無かった。


 高速道路のオレンジ色の外灯が後ろに流れていく。公園の駐車場から見た、あの山を登っていく外灯の列が脳裏に浮かんだ。

いつだっただろう。しっとりとした夜の空気に滲んだオレンジ色の外灯がすごくきれいに見えた時があった。


 一番上の展望台まで上がると、景色を眺めて少しの休憩。それから展望台の山側の木立の間の道を登って行くと、あの山の本当の頂上に出る。昼間はたくさんの人が通るその頂上への道は、外灯もないし、夜は人が通らない。前を歩くヘッドランプを付けた父に、懸命に付いていった。


 他の光の届かない頂上から見上げた空は、星だけのステージ。

星と僕しかいない。そんな気持ちになった。


 父がカメラをセットし終えると、ブルーシートを敷いて二人で仰向けに寝転んだ。寒い日は、大きなブルーシートを枝に結んだり、身体に巻いたりして風よけにした。

星を見ながら、星の名前、季節ごとに変わる星座や、星座にまつわるギリシア神話なんかを父は話してくれた。


 父は時々、カメラを操作していた。

僕は星を眺めて、流れ星が見える度にお願いごとを3回言う。1回目を言い終える前に流れ星は見えなくなったけど、僕は三回言った。


 「そう言えば、あの頃のお願いって何だったかな。」自分でも思い出せない“お願い”がなんだか可笑しくなって笑みが漏れた。


 しばらくすると、父が夜食の準備を始める。ブルーシートの上に置かれた二人分のカップ麺。水筒から湯気が上がるお湯を注ぐと、出汁の香りが僕の鼻腔をくすぐって、唾液が溢れた。

父が持ってくる夜食のカップ麺はいつも決まって「赤いきつね」だった。

ふたの隙間から漏れる湯気。出汁の香り。

軽い山登りをした後の、あの時の5分は永遠だったな。


「ああ。思い出したら、おなかが空いてきた。次のSAで何か食べよう。」そう言って僕は車の運転に集中した。



「変わらないな。」車を実家の庭に止めて外に出た僕は、家を見上げてそう呟いた。

「ああ。真治まさはる。お帰り。」玄関から母親が顔を出した。

「ただいま。」僕は笑顔で答えた。

靴を脱いで家に上がると、「真治まさはる、ごはんは?」と、台所から母親が聞いてきた。

「あー、食べてきたよ。」と声を張った。

父が居間でテレビを見ていた。

「ただいま。」と声をかける。

「おう。」父が短く答えた。


「な。父さん、山に行かないか。」問いかけに、父が顔をあげる。

「あ?今からか?」眉をひそめて父が問い返した。

「今からだ。」はっきりとそう答えた。

「お前、3年ぶりに帰ってきて、そんな。今日だって長距離運転して、」怒ったような表情を作ろうとしているが、父はどこか嬉しげだ。

「いいから、行こうぜ。車は僕が出すからさ。」そう言って、父を立たせた。

「しょうがなねぇな。まぁ、どうせ行くなら写真も取らなきゃな。ちょっと待ってろ。」そう言って父は準備を始めた。


 「途中でコンビニに寄ってくれ。」エンジンをかけると、父が言った。

「何買うの?」

「夜食だよ。決まってるだろ。」ぶっきらぼうに父が答えた。

「夜食なら持ってるよ。」なだめるように言った。

「あれか?」父が確認してきた。

「あれだ。」

はっきりと答えた僕に向かって、父が満足げな表情を浮かべた。

「お湯は?」

「ある。」父が後ろのバッグを指して、“当然”という顔をした。


 

父のフィルム一眼レフカメラと僕のデジタル一眼レフカメラ。二台並んだ頂上。

僕はブルーシートを敷いて「赤いきつね」を二つ並べた。

父がお湯を注いだ。いつかの日と同じ出汁の香りが全身を包んだ。

“永遠の5分”の始まりだ。

星と父。カメラと赤いきつね。

変わらないようで変わって行く。気付かないようで気付いている。


 「この揚げの美味い食べ方があるんだ。」食べ始めた僕は、箸で持ち上げた揚げを父に見せながら言った。

「見てて。」そう言って、揚げを3分の1ほど口に含むと、口の中で押しつぶして、スープだけを口に含んで味わい、飲み込んだ。絞った揚げを、もう一度スープの中に沈めた。そしてまた揚げを口で潰して染みたスープだけを味わった。

「こうするとさ、揚げに染みた出汁と揚げから出るコクを何度か楽しめるんだよ。」と自慢げに父に言った。


 無言で見ていた父が、

「なんか汚ねぇな。食い物で遊ぶような・・・ガキじゃねぇんだから。」

そう言って眉をひそめた。

「いいからやってみて。」そう言って僕は3回目の揚げを口に含んだ。

さすがに3回目は揚げから出るコクは無くなっていた。半分だけ揚げをかみ切って飲み込んだ。

 困ったような微妙な顔をした父が、揚げを口に入れて、スープを絞り出した。揚げをスープの中に戻すと、「うん。確かにうまい。染みてるな。」そう言って顔をほころばせた。

「美味いけど、やっぱり一回、口の中に入れたものを出すのは、なんか汚いな。」今度は困ったような顔をして言った。

「そうだね。棒のついたキャンディーとかならいいけどね。」

「あれはそういう風に出来てるからな。ま。誰も見てない所でやれ。」

「わかってるよ。」

そう答えると、父と二人、普通に食べ始めた。


食べ終わったカップからまだ立ち上る湯気。見上げた空はあの頃と変わらないまま。

変わった事と言えば、僕の方が先に食べ終わったことだけかもしれない。



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永遠の5分 鷹山勇次 @yuji_T

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