第61話 刑事の言い訳



「わざわざ退院祝いに?」

「そんなに嫌そうな顔をしないでほしいところだな」

「警察にはいい思い出がないもので」


 病院を出たところでの僕の軽口に、小暮刑事はやれやれと首を振った。

 事件の担当ということで入院中にも色々と訊かれたけれど、特に話すことはない。


 ちょっとパニックを起こしてしまった知り合いが刃物を振り回して、僕はそれを止めようと巻き込まれただけ。

 殺人未遂だの傷害だのとんでもない。ただの事故。

 僕が頑なにそう言い張るのを聞いて、もう嫌気が差していると思ったのだけれど。


「被害届なんて出しませんよ」

「わかってる。まあなんだ……今日は非番で、少しは俺の言い訳も聞いてほしいと思ったんだが」

「言い訳?」


 刑事の口から聞くとは思わなかった単語に興味を抱いた。

 気が焦って舞彩との約束よりずいぶん早く病院を出てしまい、しばらくは待ちぼうけ。

 非番の刑事の言い訳くらい聞く時間はあるか。



「例の娥孟萬嗣は死亡したってな」

「ニュースで見ました。重傷じゃなかったんですか?」


 重体ではなく、重傷。ただちに生命の危機がある怪我ではないような報道だったのに。

 病院前の駐車場のベンチに座って小暮の話を聞く。

 目を覚ましてから五日間も入院してしまい、今日は一月二十日。

 季節はまだまだ真冬だが、天気が良い昼間の日差しはそこそこに心地よい。



「あれが突っ込んだ街路樹、知っているか?」

夾竹桃きょうちくとうだったかな」

「よく知っているな。楚嘉詩絵から聞いたのか?」

「常識でしょう」

「……まあいい。樹液などに強い毒性を持つ植物だ。そんなものは夾竹桃に限らないが」


 病院周りの樹木を眺めて肩をすくめる小暮。

 実際、口にしたら激しい嘔吐眩暈頭痛を起こすような木々は日常の中にも多くある。

 子供が誤飲しないよう親が教えることもあるのだから、知っていても不思議はない。



「ちょうど娥孟の血管に突き刺さったせいもある。あいつの生活習慣はひどいもんで、合法ではない薬物なんかも使用していたとか」

「話していい内容なんですか?」

「今朝の週刊誌に載っていた話だから問題ない」


 捜査情報なんかじゃなくてゴシップ話か。

 事実も含まれているから話しているのだろうけれど。


「酒、たばこ、ドラッグ。そういうもんの悪い部分はたいてい呼吸器やら循環器やらに溜まっていく」

「そういうもんですか」

「麻酔の効きも悪かったらしい。三日三晩痛みで眠れず苦しんだ挙げ句に容体が悪化して死亡だと」


 苦痛で眠れず苦しんで死亡。

 どうしようもないクズの悪党だが、その死に方を想像すれば苦いものがこみ上げる。

 娥孟は死ぬ前に己の行いを悔いたりしたのだろうか。



「娥孟のことより問題は卑金だ。県警もピリピリしているし、中央からもかなりの捜査員が入っている。海外からの注目度も高い」

「はあ」

「これ以上、何かするのは勘弁してくれ」

「僕が? そんなバカな――」

「勘弁してくれ」


 静かに、小暮の目が僕を映していた。

 責めるわけではない。



「……わかりました」

「楚嘉詩絵のアフィリエイトブログ、とんでもないアクセスになっているそうだな」

「らしいです」

「おかげで干溜ひだまりの病室はVIP待遇の警戒態勢だ。バカが突撃でもされたらかなわん」

「彼女の怪我は?」

「お前さんより軽傷だって話だな。でも病室で震えて縮こまっているんだとさ。あのブログが広まれば言い訳しようもない。刺されてもとうぜ……っと、これは禁句だ」

「非番でもそうでしょうね」


 非番だから愚痴を言いにきただけではない。釘を刺す目的もあったらしい。


 育児放棄をされていた娘がその実体験をブログに書き綴り、とうとう母親を刺した。

 詩絵のブログは前からリアリティの高さで一部に人気を集めていたと言う。実際の母娘間での殺傷沙汰とリンクして、ブログへのアクセスは倍増どころか数十倍。

 獄中から書籍出版なんて話も持ち込まれるかもしれない。詩絵がどうするか知らないが。



 同時期に世界中に拡散された現役議員による殺人教唆。

 卑金が殺人を指示する会話がはっきりと流れている。世界中に。

 握り潰すという選択肢が現実的でなくなって、参議院議員である父親は党の役職を辞して離党。来月には病気療養の為に議員辞職の見通し。

 こうなってしまえば後は尻尾切り。所属政党から切り捨てられた卑金一族にもう影響力などない。


 僕の兄、始角しかく直一なおひとの目論見通り。

 兄は僕の事件の経験から、日本のマスコミに流しても効果が薄いと考えた。

 これまでの経緯や卑金一族の他の疑惑も合わせて海外のあちこちに流して、さらに無料動画でも拡散した。ゆっくり解説とかいうもので。


 勝つために計画を立てて、だけど決定的な弱みを掴むことが出来ずにいた。

 詩絵がマンションに仕掛けた盗聴器が会話を拾い、娥孟が事故に遭うという決定打。

 実際には詩絵がこの録音データを流出させようとしたらしいが、フクロウ兄さんの方が上手。それを拾い上げてもっと効果的に使ってくれた。


 兄はパソコン関係の仕事をしていた。プログラマーだったとか。

 今は家庭用ネットワーク設定などの仕事をしながらフクロウとして活動を。

 父から聞いた話だと、職場の女性と良い関係らしい。僕のことが片付けばいずれ結婚するのかもしれない。



「僕には……何にもできませんよ。僕なんかに」


 小暮刑事は、この田舎町が世界中から注目を集めてしまっている現状に疲れているのだろう。

 僕がこれ以上なにか目立つようなことをしでかすのではないかと疑われている。

 僕は何のスキルもない情けない人間なのだけれど。


「注目を集めると調子に乗ってやらかす奴も多いもんだが……」


 調子に乗って余計なことを。

 そういえば楽口たのぐち秋基あきもとはどうしているだろうか。まだ病院かもしれない。


「お前さんは……そうでないことを祈ってる」

「調子に乗れるほど何をしたわけでもないですからね、僕は。刺されて入院してたくらいで」

「何でもないように言うが、一連の騒動の中心はお前さんだと俺は見ているんだ」



 無駄に高いのは評価なのか警戒なのか。

 ベンチに座っていた小暮が仰ぐように空を見上げて息を吐いた。

 気を取り直して続ける。


「一連の事件……浮抄ふしょうの件は、済まなかった。申し訳ない」

「別に小暮さんが謝る話じゃ……」

「あいつとは同期だ。こないだ過去の資料を漁った、お前さんの事件をあいつが担当した時のだ。すまん」


 僕の事件。

 詩絵のブログが明るみに出るにつれて、過去の始角司綿の事件にも焦点が向かう。

 冤罪ではないか。誤認逮捕ではないか。

 担当した刑事といえば、つい先日未成年者の性被害写真を流出させた汚職犯罪者。


 一部、事情通とか言う匿名の誰かが、世間を賑わせている卑金議員が虐待していた母を愛人にしていたなんて話も吹聴する。

 さすがに何でも結び付けすぎだと信ぴょう性を疑う声の方が多い。

 全て卑金の差し金だなんて、鵜呑みにするのは短絡的過ぎる。当事者でない者ならそう思うのも無理はない。



「いずれ県警から見舞金・・・やらの話はあるだろうと思うが……同じ刑事として、本当に申し訳がない」

「もういいですよ。たぶん小暮さんには手心を加えてもらっているみたいですから」

「悪党でもない人間の小事を暴き立ててまで仕事を増やしたくないだけだ」

「その為に報告書を作文ですか?」

「そういうのは言い訳が得意な部下にやらせている」


 僕と詩絵たちが手を回した事件について、小暮は想像がついているのではないか。

 差詰弁護士の件、浮抄の件。他のことも。

 職務に忠実なら僕らの小さな犯罪行為も明らかにすべきなのに、そうはしない。辻褄合わせの捜査報告書の作文が必要だと思うのだけれど。

 怠惰な正義感とでも言うのだろうか。



「小暮さんが僕に配慮してくれるのは、浮抄のことで罪悪感とかですか?」

「そういうのもあるが、上から言われているんだ」

「?」

「延焼させるなってな。表向きの指示では徹底した捜査をすると言いながら、担当チームには火消しの命令だ」


 皮肉気に自嘲しながら話す内容は、たぶん今度こそ言ってはいけない内情。

 これ以上燃え広がるのを望まない人たちがいる。


「県警本部じゃあない。もっと上の方からだろう。そういうのには逆らうなよ」

「関わりたくもないですよ」

「この上で関係者の死体がまた浮かんだりすればどうなるか。残らずドブさらいなんてすれば、与野党関係なく困る連中がいるんだろう」


 濁った川の中に沈んでいる醜聞。卑金と繋がる議員もいて当然。

 白日に晒されることになれば都合が悪い。日本に限らずどこにでもある話なのかもしれない。

 そうした利害の天秤で、この事件はここらで幕引きにしたい力が働いている。

 過去に僕を犯罪者に仕立て上げた力と似たもの。



「進んで逆らったり関わったりしませんよ、そんな怖いの」

「そういう理由とは別に、お前さんの根っこが善人だからってのが理由だな。クズの悪人だったら容赦する必要もなかった」


 根っこが。

 取り柄だと思っていいのだろう。たぶん。

 そういう風に僕を育ててくれた家族に感謝をしよう。


「なんにしても、まだしばらくはお前さんや楚嘉姉妹の周辺をうろつくことになる」

「大変ですね」

「当人が言うことかよ」

「ははっ、本当だ」


 県警は大所帯だと思うのだけれど、どうやらこの件のメイン担当は小暮刑事らしい。

 思っていたより偉い人なのかもしれない。

 ただ単に人手不足という可能性もある。卑金に関わる方面の方がはるかに多くの人員が必要なのだろうし。



「じゃあ、これからも堅実に生きてくれ」

「人生の先達からのありがたい忠告だと思います」

「説教臭くて悪かったな」


 素直に礼を言ったつもりだったのに小暮はそう受け止めなかったらしい。

 刑事なんて仕事をしていると皮肉っぽくなるものなのか。


 ベンチから立ち上がり、中年の腰をうーんと伸ばして歩き出した。

 数歩歩いてから立ち止まり、ふと。



「ひとつ、気になることがあったんだ」

「なんです?」

背背はいせ羞奨はすす。知っているはずだが」


 前にも聞かれた。

 港で、死ぬ直前の背背を見ていないか、と。


「……」

「背背の死んだ時に、女の――」



  ◆   ◇   ◆

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