第26話 燻煙_1



「っとに、クソ」


 車中でタバコをもみ消しながら悪態をついた。

 浮抄ふしょう淇欠きけつの仕事があるのなら、それがクソではないことはない。

 悪態をついても意味はないが、それでも口をついて出る。


「弁護士先生様が、ね」



 年の瀬も近づいた警察署に入った匿名の通報。

 児童買春の疑いがあり、被害者はこの市内の児童と思われるとか。

 一一〇番ではなく浮抄の勤める警察署に直接。というか郵送で。


 その容疑者の名前に憶えがあったことなど言わなければよかった。

 近場の弁護士だ。他の刑事だって面識くらいあったかもしれない。


 差詰さづめ弁護士。過去に浮抄が担当した事件の弁護人をやっていた。

 公選弁護人として事務的に職務を進めているという印象だったが、なぜだかよく覚えていた。

 わりと世間を騒がせた事件だったから記憶にあっても不思議はない。地方の田舎町では大事件と言ってもいいくらいだ。


 引きこもりクズニートが幼い姉妹二人に強制猥褻、暴行傷害。

 男好きのする美貌の母親の遺伝子か、娘たちもなかなかのものだった。

 あんな娘にスケベなことをして、十年やそこらの懲役など。まったくこの国は甘い。



 浮抄が悪態をついたのは、当時の怒りを思い出したからということもあるだろう。

 その時の弁護士が今度は児童買春など。


 確たる証拠があるわけでもなく、本格的な取り調べというわけでもない。

 ただちょっと事情を聞くだけ。


 所轄の警察職員と刑事の浮抄が二人で向かうのが本来だが、容疑というほどまでではない。

 制服警察を連れて行くには根拠が薄弱で、他の刑事を同伴するまででもなかった。

 本来、同じ課の刑事がツーマンセルで行動するなどほとんどない。ドラマではよく見るようだが、同行する場合は別部署の職員だ。



 捜査という名目でもない話をする。二人行動では本格的過ぎて差詰が身構える。あちらも仕事柄警察のことに詳しい。

 なら顔見知りのお前が行ってこい、と。その方が相手も話しやすいだろうなんて。

 片道四十分程度の運転を嫌ったわけではないが、苛立ちは募る。


 こういうのは大抵がクロだ。

 ヤることをヤっておいて、確たる証拠がないから話はそこまで。


 今後は誤解・・を受けないよう気を付けます、なんて言うだろうが、若い女で遊ぶことを覚えた奴はバレないように気を付けてまたやる。


 証拠がなければ何もできない。

 場合によっては、証拠があってさえ罰することが出来ないことも。

 権力者の身内だったりすると、なぜだか署内で保管していたはずの証拠を紛失・・したり。


 珍しい話でもない。浮抄は理想に燃えた熱血漢というわけではないので、立ち入るべきでないものを越えるつもりなどない。

 この世は平等などではなく、ルールとして引かれている線も都合によって曲がったり歪んだりしているのだ。

 まずいラインを踏まないよう生きていくのが社会人。



 だが、許せない気持ちはある。

 未成年者への性的搾取。

 買春にしろ暴行や痴漢にしても、踏んでいいラインより下の少女への性行為。


 ダメだとわかっているだろうに。

 ダメだと決められているから、余計に惹きつけられる。

 実際には成人した女の方が行為そのものは楽しめるものだが、禁止されているという付加価値という側面が強いのだと思う。


 それと、肌のみずみずしさについては。二十代後半と比べれば違いが明らか。

 タバコの代わりに浮抄は唾を飲み込んだ。


 渇く。


 仕事として、そうした被害者を多く見てきた。

 被害者と呼ぶにはふてぶてしい売り手もいたが。一応立場は被害者。


 やってはいけないことをやるクズがいる。

 この少女がどんな目に遭い、どんな気持ちでどんな声を出したのか。

 浮抄は妄想だけで我慢しているというのに、クズどもが。



 渇きを紛らわそうと新しいタバコに火をつけて、次の角を曲がったら目的の看板が見えた。

 差詰弁護士事務所。


 火をつけたばかりのタバコ。

 まだ先っちょが焦げ始めたばかりの真新しいそれを吸う為に時間を潰すか。


 いや。

 こういう真新しいのを蹂躙する楽しみというのを聞いてみるか。

 児童買春について詳しそうな先生に。


 そんな気持ちでまだ白い部分が長いその先端をねっとりと擦り消した。



  ◆   ◇   ◆

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