第27話 燻煙_2



「あの」


 胸糞の悪い気分でドアを閉めたところで声をかけられた。

 待っていた少女に。


「うん?」


 見知らぬ少女。おそらく高校生。

 田舎の警察署の、無駄に広い駐車場の隅に車を停めた浮抄に。

 来客用に建物近くの駐車スペースを開ける為、職員が使う車は離れた場所に停めるのが通例。近くには誰もいない。



「浮抄刑事、ですよね?」

「ああ、そうだが」


 自分を知っている。覚えはないが。

 染めているわけではない感じの明るめの髪。ゆるく波打っているのも生まれつきの癖だと思われる。

 素材は良さそうなのに手入れが雑。化粧もなければ髪の見せ方もなっていない、野暮ったい娘。


「あの……」

「どこかで会ったか?」

「ま、まえに……家庭内暴力、で……」


 話すのが苦手そうな少女。

 浮抄と話しながらも視線は足元に。距離は三メートルを保つ。

 対人恐怖症の傾向。以前に暴力被害を受けたのなら不思議でもない。



「すまん、思い出せないんだが」

「い、いいえ……その……」


 周囲を気にしながらの会話。

 誰もいない。それを何度も確認してから。


「あの……母の、元恋人が……また、この町にいて……」

「そうか」


 浮抄は思い出せないが、思い出せないほどよくある話。

 シングルマザーの新しい恋人が子供を虐待する。過去に関わった案件の中のどれかなのだろう。


「ふ、浮抄さんなら……なんとか、して……」

「接近禁止命令に違反しているならどうにかしてやれると思うが」


 暴力行為などが確かで裁判所が命ずる場合がある。

 しかし通常なら有効期間は半年間。

 ここ最近の案件ならこの少女に見覚えがないのはおかしいから、もっと昔のことだろう。



「直接接触を……また母親と同棲するとかそういうことか?」

「いえ……あ、あたしが大きくなったから、だと……」

「あぁ」


 当時幼かった娘が子供を産めるくらいの年齢になったから。

 だから戻ってきた。クズ男が思いつきそうな話だ。

 こういう場合、母親の方も過去の暴力行為を許して受け入れてしまったりする。またお前に会いたかったなんて言葉を聞かされてほいほいと。



「悪い、名前は?」

「ひっ……」


 名前を聞いただけでびくっと震えた。

 こう、心に傷のある人間はどこにスイッチがあるのかわからない。

 浮抄とすれば名前がわからなければ調べようもないだけなのだが、自分のことを他人に教えるのも怖いと感じる場合もあるか。


 思い出せればよかったのだが、本当に見覚えがない。

 十年単位で昔の話。

 だとすればこの娘は当時幼児で、顔形から思い出すことは無理だ。


 強引に聞き出そうとして騒がれたりしたら、いらない面倒になるかもしれない。どうしたものか。



「あ、あの……ごめん、なさい」

「謝ることはないが」

「で、電話なら……」


 直接面と向かって喋れない人間も電話だと話せる。

 これもまた珍しい話でもない。


「そうだな。何なら相談課の方に」

「ふ、浮抄さんがいい」

「……」


 ご指名だった。

 視線をあげた少女と目が合う。

 地味で野暮ったい外見だと思ったが、真っ直ぐ顔を見ればなかなか可愛い造形だ。


「あの時、助けてくれた…から……」

「そう、だったか?」

「うん」


 ドラマのように凶悪犯と格闘をするようなことは滅多にない。酔っ払い相手ならないこともないが。

 おそらく女子供に恫喝する男に対して浮抄がドスを利かせたりしたことを、守ってくれたと感じたのだろう。

 子供心に憧れを。憧憬、あるいは恋心のようなものを。



「……これ」


 先に用意していたのだろう、少女が震える手で差し出した紙切れ。

 メモ帳を破ったそれを少女に触れないように受け取る。


「あ、あたしの……ID、なんで……」

「わかった」

「……お仕事中なのに、ごめん、なさい」


 そう言うと背中を向けて足早に去っていく少女。

 後で連絡をすればいいのだろうが。



 受け取ったメモを見てみる。

 最初からこれを渡すつもりで準備していた。あの様子だと対面で話すことは難しいと自覚があった。


 少女の文字。

 意外と整った字を書くのは性格的なものか。



「フィットーク、か」


 若者、特に中高生に人気の通信アプリだとか。

 プリインストールされていない海外製の無料アプリ。

 さすがに職務で支給されているスマートフォンに、こういう海外製のアプリを入れるわけにはいかない。そうするとプライベート用でやることになるが。



「浮抄さんがいい、か」


 個人を指名だ。

 話を聞くだけのこと。事件性があるとなればその時は仕事として取り組めばいいだろう。

 職務に生きがいを感じているわけでもない浮抄だが、怯えた少女に頼られた。多少プライベートな時間を割いたっていい。


「あの子は……どこかで確かに」


 目が合った時に、初めて見る少女ではないと感じた。

 忘れているだけで過去に見ている。嘘ではない。


 そう考える一方で、刑事として色んな事例を見てきた浮抄には思うところもある。


 罠かもしれない。

 こうした手口で人をハメる奴もいる。

 刑事なんてやっていれば恨まれることだってあるのだから。

 どちらにしろ、もう少し話してみなければわからない。


「このアプリ、通信内容が残せるんだったか?」


 児童買春などの動かぬ証拠として記録が残るものだったかもしれない。

 後で調べてから通信しよう。

 記録が残るなら、正しい受け答えに徹していればそれが残るのだから。潔白を証明してくれることになる。



 あの少女が本当に浮抄を頼り、浮抄を慕っているのならそれは悪くない。

 年若い娘に好かれる。気分が悪いわけがない。


「……犯罪じゃないからな」


 中年おっさんが女子高生に好かれたって犯罪じゃない。

 ならもう少し踏み込んだっていいだろう。

 何ならこれも人助け。その先で、互いに合意の上で何かあったって別にいいじゃないか。そんなことも。



  ◆   ◇   ◆

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