193円(+税)

@rei___0

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スーパーで見るたびに、彼女はそれを欲しがった。


「ねぇねぇ! 赤いきつね買って! おねがい!」


僕にしがみついてねだる様はおもちゃ売り場で駄々をこねる子どもみたいで、何度だめといっても聞いてくれなかった。


結局僕は毎回彼女の押しに負けて、赤いきつねを二つ取ってカゴに入れていた。


僕らは一緒に暮らしていたが、金銭面ではむしろ頼りなく、特売日でもないのにしょっちゅう買うせいで月末はいつもギリギリだった。


それでも家に帰って彼女が嬉しそうに食べている姿をみると、それすらもどうでもいいと思えた。


「一人で食べても美味しいなら二人で食べたらきっともっと美味しいよ!」


彼女はそれを食べる時決まってそういって僕に半分寄越しては美味しいねえと柔らかく笑っていた。


僕は紛れもなく、幸せだったと思う。


彼女とこのワンルームで過ごして、たまに不安になる感情を塗り替えるように愛を確かめ合って、彼女と手を繋いで眠る。決して贅沢と言える暮らしぶりではなかったけれど、彼女の優しさのせいか、不自由と感じたことはなかった。


けれどある年の冬、僕はバイトや課題に追われて余裕がなく、遊びにいこうよと誘う彼女にきつく当たってしまった。


「僕は忙しいんだ! 話しかけないでくれ!」


その時、彼女が一瞬だけ見せた今にも泣き出しそうな顔で、僕は少しだけ冷静さを取り戻し、慌てて謝ろうとした。


「ご、ごめんね? 邪魔しないようにするね……」


しかし彼女は僕が言葉を考えている間に取り繕ったような笑みを浮かべて、ふらりとどこかに消えてしまった。


パタン、とドアが閉まって、彼女が見えなくなる。追いかけるべきだろうと思うのに、あんなことを言ってしまった手前、何を言っていいかわからなかった。


出かけたと言っても、きっとすぐに帰ってくるだろう。そのときにきちんと謝っておけばいい。


__そんな期待は、触れたら消える雪のようなものだった。


知らない番号からの着信で目が覚めたのは夜中の0時。


「相良さんのお電話でお間違い無かったでしょうか?」


「はい、そうですけど……」


ごろんと寝返りを打ちながら返事をする。


あれ? ……彼女がいない。


突然嫌な予感に襲われた僕は跳ね起きて玄関に向かった。


ない。ない……!


彼女が出て行った時に履いていたブーツがない!


「あぁ、よかったやっと繋がった……私、××病院の香山と申します」


「病院……?」


「実は__」


そこからのことは、よくおぼえていない。


僕は寒空の下、コートすら羽織らず、無我夢中で自転車を漕いで病院に向かった。


彼女は、そこで静かに眠って僕を待っていた。


命に別状はないが、目覚めるかどうかはわからない。


それが、僕が彼女にかけてしまった呪いだった。


横断歩道を渡って家に帰る途中、彼女は飲酒運転の車に撥ねられた。


辺りにはケーキが落ちていたらしい。あんなことを言ってしまったのに、彼女は僕にあげようとケーキをわざわざ買いに行っていたのだ。


「ごめん、ごめん……僕が悪かったよ……」


だからおねがい、目を開けてよ。僕は病室で一人泣きじゃくった。


その日から僕は、入院費を稼ぐために大学を辞めて就職した。彼女の家族が入院費を出してはいたが、元はと言えば僕があんなことを言わなければ彼女はここで眠り姫になることもなかったのだ。


仕事終わり、休みの日など少しでも暇さえあれば僕は彼女の病室に足を運んだ。


果物やお花、彼女が喜びそうなものは全て持っていって並べた。


だけど彼女は目覚めることはなく、病室には僕の声と無機質な機械音だけが響いていた。


そんな生活が続いていくうちに、いつのまにかちょうど一年がすぎていたらしい。


「……もう、冬になっちゃったよ」


彼女に買っておいたクリスマスプレゼントのネックレスを首元にかけてやりながら、僕は深く息を吐いた。


仕事終わりに何も食べずにきたせいで、僕のお腹はしょっちゅう空腹を主張していた。


悪い、と思いながら彼女にあげた赤いきつねを作って、彼女の隣で食べた。


温かく優しいだしの染み込んだお揚げ。味なんて変わらないはずなのに、彼女と食べるよりどうしてか美味しくない。


思えば僕は特別にインスタントが好きな訳ではなかった。ただ、彼女がいたからこれだけはおいしいと思えたのだ。


ずるずると彼女との思い出に浸りながらうどんを啜っていると、不意に頭にほんのりと暖かさを感じた。


「しゅー、くん……」


実に一年ぶりに彼女の声を聞いた僕は、情けなくむせてしまった。「大丈夫?」と心配されたがそれは僕のセリフのように思う。


「もー、ずるいよぉ、ひとりで赤いきつね食べてるなんて……」


一緒に食べようっていつも言ってるじゃん。目覚めてすぐのセリフがそれなのが紛れもなく彼女で、僕は思わず泣いてしまった。


「え、ごめん! 怒ってないから泣かないで……?」


「そんくらい、わかってるよ……ばーか……」


僕がぎゅっと抱きしめると、おぼつかないながらもたしかに彼女は抱きしめ返してくれた。やっぱり、僕の生活には彼女がいないとだめだ。


彼女はその日から頑張ってリハビリを繰り返して、なんとか元の生活を送れるようになった。


退院の日、彼女を迎えにいくと、とびっきりの笑顔を浮かべながら僕の手を握った。


「退院祝い、何がいい?」


久しぶりに二人で帰り道を歩く。この幸せがもう一度訪れるなんて、奇跡という言葉以外で、どうあらわしたらいいだろう。


「ずーーーっと我慢してたから、赤いきつねがいい! 箱で!」


「はは、相変わらず好きだね。いいよ、スーパーよろっか」


193円(+税)。あの頃と変わらず特売日でもなんでもなかったけれど、幸せの対価と思えばあの頃よりも安く感じた。

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