しゃけ

サカモト

しゃけ

 猫が床を歩いてる、そこにいる人間になにひとつ気兼ねすることなく。

 白黒のハチワレ柄だった。野良として半生を過ごしたためか、毛並みはやや固めだった。

 飼い主の青年はすぐそばを通りすぎてゆく猫を眺めながら、同室にいた友人へはなしかける。「あのさ、じつは、うちのネコなんだな」

「おい、なんだよ、電気ケトル壊れるのか」しかし、似たような年頃の友人は、その青年は話を聞いてない。「いっこうにお湯が沸かん」

「あっちで沸かせ」彼は台所へ視線を向けて指し示す。「水を沸かすのは、そこの鍋を使え」

「へいへい」と、友人は答えた。そして、蛇口から鍋に水を入れ、台所で湯を沸かす。

「で、うちのネコだかな」青年は話をあきらめず、再起して持ち出す。「それがなかなか、ただならぬネコなんだ」

「赤いきつねと、緑のたぬき、お前どっちがいい」

「緑のたぬきがいい」答え、そして、続ける。「しゃべるんだ」

「ヨーシヨシ、じゃあ、おれはきつね、っと」カップを手にとり、包装をといて、テーブルに起き、フタはんぶんを開けて、あと湯が沸き立つのを待つ体勢までもっていった上で、ようやく「ネコはしゃべらんだろ」といった。

「いや、しゃべるんだ」青年もカップの包装をとき、来るべき湯のために、準備する。「しゃべったんだ」

「しゃべる、ってなにを」

「食べたものをしゃべる。にんげんの言葉で」

「なんだそれ」

「このまえ、シャケをやったんだ。猫缶のサーモンを。そしたら、しゃべった。しゃけ、って」

「聞きまちがいだろ」友人は、かるくあしらい、その後、猫をみた。

 猫は部屋のはしに鎮座して、人間たちを見ている。

 友人は、猫と三秒ほど目を合わせ後、顔を青年へ戻した。「そりゃ、聞きまちがいだって」

「いや、しゃべったんだ。事実だ。あいつはしゃべる。しゃけだけじゃないぞ、マグロ、と言ったこともある。ササミ、とも」

「ちょっとまってろ、いまからそれに対して、適切な反応はなにかを考えてみる」

 そういって友人は考え出した。たが、うまく考えつかないまま、時間が過ぎる。やがて、湯も沸いた。すると、友人はも黙ったまま、湯をみどりのカップにそそぐ。青年のあかいカップへもそそぐ。

 次にハシをおいて、フタをとじる。

 また、沈黙の時間がしばし流れる。

「ネコがしゃべる」友人が口を開いた。「けっか、言われた方の負担はでかい」

「信じられないのか」

「信じて裏切られるのがコワい」

「いや、ホントなんだ。口にしたものをしゃべるんだ、うちのネコ次郎は」

「ネコ次郎って名前なのか」友人はそういった後で「時が来たぞ」といった。  

 それからカップからフタを剥がして、テーブルに置いた。が、いつの間にかテーブルの上に猫がいた。ふたりして「おっ」と、声を出して、驚いているうちに、猫がフタをペロリと舐めた。

 ふたりは、はっとなり動きをとめる。

 それぞれのカップから、湯気ゆらめいている。

 友人が選んだのは、赤いきつね、である。

 そして、その猫は口にしたものを、人間の言葉で言い放つという。

 しゃけや、マグロなら聞き間違いもありえる。しかし、いま口にしたのは、赤いきつね。

 赤いきつね。

 赤いきつね。

 と、ネコが顔をあげて、口を開く。

「ダシ」

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しゃけ サカモト @gen-kaku

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