第45話
帰宅してからもテレビが付けられることは無かった。リモコンはどこかに隠されてしまっているしパソコンも見当たらない。母が異様に嬉しそうな顔で微笑んでいる。
「退院祝いにお寿司を買ってきたの。藍の好きなイクラと
父が家に入ってくると両親は昼からビールを出して乾杯した。藍にはコーラを注いでくれた。味の薄い病院食に飽きていたので久しぶりに炭酸が喉の奥でパチパチと弾け口内を刺激した。三人で寿司を食べ終えると部屋で寝ているよう促された。
「もう、ずっと寝たきりで過ごしたから体はもう大丈夫。それより、スマホは?」
母はビクンと肩を揺らした。
「まだ警察から戻ってきてないの」
「嘘。そんなバレバレの反応して」
「あ……藍……。私達はね」
「もう、そういうのは良いから。テレビを見せないのもスマホを見せないのも私に見せたらマズイと思っているんでしょう? ちゃんと知りたいの。私はもう大丈夫だから」
藍が二人を交互に見ると、あからさまに動揺していた。
「あなたを……守りたいから……」
「これまで守ってくれてありがとう。でも、私には知る権利がある」
母は動揺していが、父は諦めたのかテレビのリモコンをテーブルに置いた。それを見た母も観念したのか渋々立ち上がり、棚の奥から藍のスマホを取り出した。
「充電しないと使えないけど」
「ありがとう」
スマホを受け取るとすぐに自室へと向かった。ベッドサイドに繋がれたままのスマホの充電ケーブルを接続して、ランプが点灯するのを待った。数分して、藍は緊張しながらスマホの充電を入れた。
「……やっぱり……」
三上が引き起こした事件はトップニュースとして持ちきりだった。加害者も被害者も未成年で、被害者は全員生きていることから全員の実名は伏せられてはいたものの、通っていた高校、自宅マンション、三上の実家などが映像や画像として取り上げられている。ニュースで取り上げられているのは三上と藍、それから桜の三人のことだった。さすがに白谷のことはどこを探しても報道されおらず、藍はホッとした。
報道の中でこれまで知らなかった三上の生い立ちが詳しく取り上げられていた。三上の予想通り、両親の育て方が悪くてサイコパスに成長したと憶測を立てて騒ぎ立てていた。
(確かに異常だったけど……サイコパスとは違うと思う)
父親が自宅前で謝罪する映像が流れていた。
「本当に申し訳ありませんでした。被害者の方々には誠心誠意謝罪し罪を償ってまいります」
泣いている。大きく社名も報道され建設会社の社長としての権威は地に落ちたも同然だった。
女子高生が監禁、暴行されたことはセンセーショナルに取り沙汰され、詳しい時系列の動きまで報道されている。なぜ情報が垂れ流されているのか藍は疑問だった。
ニュースの中ではアナウンサーと大学の教授やら元警察官が集まってマイクの前で話し合っている。
「被害者のうちの一人は加害者と一緒にマンションの十階から転落したものの軽症だったようです」
「十階から転落して軽症とは。でも、本当に良かったですよね」
「十階から転落したことを考えたら奇跡ですよ」
藍のことだ。知らない人達から軽症で良かったなどと言われるのは不快だった。
「もう一人は、二日間に渡って監禁、暴行された。骨折、打撲痕がひどいそうです。それから加害者の自宅にあった刃物で刺されて重体でした。刺された箇所が子宮など下半身に集中していたそうです」
「加害者の少年は母親との関係に確執があったことを考えれば、子宮を刺すというのは母親に恨みがあったと考えられますね」
藍は驚きのあまりスマホを机に落とした。
「し……子宮を刺した?嘘でしょう」
桜は、まだ入院しているだろう。子宮を刺されてしまったのであれば、今後妊娠できない体になってしまったのかもしれない。
『害虫を駆除する』
三上の言葉が藍の脳裏に蘇った。それは、暗に殺すという意味ではなかったのかもしれない。
藍は机に向かうとスケッチブックに覚えていることを書き連ねた。記憶というのは曖昧で、嫌なことや思い出しなくないことほど、自分に都合よく解釈したり忘れてしまうものだ。
――――
知沙ちゃんの家で遊んでいるとき藍は知沙ちゃんのお母さんにこそっと言ったことがある。
「知沙ちゃん、全然話せなくてつまんない。それに、変なこと言いながら騒いでるし」
ひきつった笑顔を浮かべる知沙ちゃんのお母さんに藍はもう一言添えた。
「知沙ちゃんもあたしみたいにいい子だったら良かったのにね」
知沙ちゃんは生まれながら脳の病気を患っていた。
――――
公園で友達と遊んでいるときに浮浪者に向かって言ったことがある。浮浪者はベンチに座って子供を眺めていた。
「隠れん坊しながら、もう一個ルール追加ね」
藍は浮浪者を指差した。
「あのおじさんから逃げよう! 捕まったら
――――
冬樹君がしつこく机をくっつけたり勝手に物を使ったことに腹を立てて彼の上履きを外のゴミ箱に捨てたことがある。それから、彼がほとんど喋らないのを良いことに昇降口でこっそりと耳打ちした。
「上履きは捨てておいてあげたから、もう来ないで」
――――
愛莉のお父さんに二回目に会った日、帰る直前におじさんがお金を渡してきたとき、藍はそのお金を投げ捨てた。その時、この人がロリコンだと分かっていたが敢えて言ってやった。
「これっぽっちのお金で、私と二人きりになれると思ってるんですか?」
藍が微笑むと愛莉のお父さんは下衆な笑いを浮かべた。
――――
三上は、中学生の時に彼が藍を見ているのは知っていたが気持ち悪くて無視した。その頃からストーカーみたいだったし、結果的にストーカーだった。
挙げ句に三上のことを心配して気を持たせながら他の男と両思いだった。
表面では健気でいい子に見せただけ。心の中ではみんなを見下していた。誰も藍の本音など知る由もない。生霊を付けた人を探して、この世からいなくなると安堵して喜ぶようになっていた。
浮浪者の死に安堵して喜んだ両親と一緒だ。
都合が悪いことはスケッチブックに書かない。そのうち忘れてしまうし、都合よく記憶を塗り替える。
生霊は藍に向けられた殺意だと分かっても、結局死んだのは三上だけだった。
「生霊をまたどこかで見つけられるかな」
藍はスケッチブックを閉じると口角を上げながら呟いた。
「みーんな、さようなら」
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