第四章 藍の想い

第44話

 藍は搬送先の病院で、胸骨、頭蓋骨の骨折と診断された。集中治療室に運ばれ、医者や、看護士以外は誰にも会わずに過ごした。一人きりで横になっているとあの数時間の出来事が何度もフラッシュバックしてくるので、ほとんどの時間を寝て過ごした。


 数日で回復し集中治療室から個室へと移動することが出来た。藍が助かったのは一〇六号室の真下に生け垣があったからだ。知沙ちゃんのお母さんの投身自殺の後、コンクリートに生々しく跡が残ってしまった為に生け垣が設置されたらしい。皮肉にも知沙ちゃんのお母さんのお蔭で助かった。


 個室にはテレビが無かった。備え付けの棚の上には、ホコリが積もっていない四角い箇所があり、そのまわりは薄っすらとホコリが積もっている。あえてテレビを移動したのだと藍は気付いた。


 最初に面会に来たのは警察だった。藍の状態を考慮したのか、来たのは女性警察官が二人だった。


「辛いと思うけど、事件の解決に向けてお話を聞かせてもらえないかしら」


 墨田すみだと名乗る茶髪の若い警官がベッドサイドの椅子に座って藍の目線に合わせて話を聞き、もう一人の年配の黒澤くろさわは立ったままボードを片手に証言を記録できるよう準備している。


「録音させてもらっても良いかしら?」


 回復はしたものの、藍の記憶は飛び飛びになっていたり、既に曖昧になっていた。


「……ちゃんと話せるか……曖昧になっている部分もあります」

「大丈夫よ。こちらで整合性は確認するから、リラックスして話してちょうだい」

「わかりました」 


 藍は頷くと睡眠薬を飲まされたところから話し始めた。途中休み休み、最後まで話すと藍はふっと息を吐いてベッドに横たわった。


「話してくれてありがとう」


 墨田は丁寧にお辞儀した。


「三上さんは……亡くなったんですよね?」

「はい。転落で」

「そう……ですよね」


 それを聞いて、藍は改めて安堵した。


「それから……相田桜さんと白谷雄也さんは生きていますか?」

「はい。二人とも大丈夫です。生きています」


 藍は驚きで目を見開いた。桜は滅多刺しにされていたはずだ、どうやって生き伸びたと言うのだろうか。


「相田さんは三上さんから包丁で刺されたのを見ました。それでも大丈夫だったんですか?」

「はい。急所は外れていましたし……搬送先で一命は取りとめました」

「そう……ですか。良かった」


 藍は内心首をひねったものの、桜が生きていたことを喜ばなくては、と思い直した。


「そういえば……私のスマホ……ありませんでしたか?」

「立花さんのスマホは、立花さんの自宅のベランダに落ちていました」


それを聞いて藍は納得した。外に捨てに行くよりも、隣のベランダに投げ込んでしまう方が楽だ。GPSで居場所を確認してもベランダにスマホがあれば居場所は割れない。


「また、何かありましたら伺うことがあるかもしれません。その時はよろしくお願いします。今日はありがとうございました」


 二人は一礼すると病室を出ていった。午後になって面会に来たのは両親だった。二人とも涙目で藍を抱きしめた。


「藍……良かった……」

「大丈夫だよ」


 藍が笑顔でそう告げると、両親は何を言えば良いのか思いつかなかったようでただ頷いた。それから持ってきたショートケーキやシュークリーム、飲み物をテーブルに出した。ケーキを見た瞬間、藍の頭に三上が最後に食べたショートケーキがフラッシュバックした。藍はショートケーキのお皿を手に取るとフォークを突き刺し、そのまま口に運んだ。その姿に両親は驚いていたものの何も言わなかった。


「私のスマホ持ってきてくれた?」


 両親は何故か一瞬動きが止まった。


「持ってきていないなら、次に面会に来るときに私のスマホを持ってきて欲しいんだけど」


 両親はそれを聞くと顔を見合わせて首を振った。


「ごめんなさい。今は警察に証拠品として押収されているの。戻ってきたら渡すわね」

「そう……ここはテレビも何も無いし退屈だから」

「今はしっかり寝て体力を回復させないといけない時期だからね」


(もう、たっぷり寝たよ)


 藍はショートケーキの最後の一口を放り込んだ。


 両親が病室を出ると、シンとした部屋に一人で取り残された。体の痛みは引いて、すっかり退屈していたしスリッパを履いて病室を出るとフラフラと院内を歩いた。集団部屋からは、テレビの音や人の話し声が聞こえる。テレビの画面が気になって立ち止った時、後ろから声を掛けられた。


「あら! 立花さん! まだ出歩いちゃだめですよ」


 若い看護師が、小走りに藍に駆け寄った。


「すみません。……売店にでも行こうかなと思って」

「売店? だめだめ。まだ先生から許可が下りてないでしょう」


 看護師さんは藍を病室へと肩に手を添えて促す。


「ここに相田桜さんと白谷雄也さんは入院していませんか?」


 看護師は一瞬目を見張ったものの首を振った。


「さぁ、病室に戻りましょうね」


――――


 翌日、退院の日取りが決まったものの、藍はその日まで病室を出るのは化粧室以外は許されず泥のように眠って数日を過ごした。


 退院の日、両親が迎えに来ると裏口に誘導されて、そそくさと病院を後にした。車内は音楽が流れていて、カーナビは道路地図を映している。藍は後部座席から両親に声を掛けた。


「テレビが見たいんだけど」


 父は間を開けてから返事をした。


「……今、音楽聞いてるから」


 その返事に藍は違和感を覚えた。


 マンションに到着するとエントランスに報道カメラマンやアナウンサーのような人が数人立っているのが見えた。父は車を正面には停めず裏にある機械式の駐車場まで来てから裏の入口で藍と母をおろした。その時マンション前にいた報道陣が何を撮影しているのか藍は悟った。

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