第43話

 室内は暗闇に包まれ窓から入るわずかな光だけが部屋を照らしている。三上は笑顔でフォークを持つと「いただきます」と言ってから思い切りケーキを口に放り込んだ。


「ワンホール全部食べるのが夢だったんだ」


 三上がガツガツ食べている間、藍は意識がハッキリしてくると、家の中が鉄のような匂いに包まれていることに気付いた。物置部屋から床にかけて血の足跡が付いていてお風呂場に向かっているのがわかる。


(生きている……桜は生きている)


 藍は涙をこぼした。


「俺の誕生日に泣くな」


 突然、ドスの利いた声で三上が怒鳴った。藍が驚いて三上を見ると三上はケーキにフォークを思い切り突き刺した。そして、テーブルの上に置かれた血まみれの包丁を手にして見せた。


「あいつは駆除した。立花は……最後に言いたいことはあるか?」


 呆然とする藍を三上は笑った。


「悪い悪い、口を塞いでいるから話せないんだったな。それに、思考も追いつかないか」


(お前に……言うことなんか無い)


 藍はぼんやりとしながら再びケーキを食べる三上を見つめた。


(お前だけ死ね。お前だけ死ね。お前だけ死ね! お前だけ死ね!)

「きっと喋れたら、まだ死にたくないとか? 逃がしてほしい? それとも、相田に生き返ってほしいとか言うのかな……ああ、でも、一度でいいからその声で俺のことを好きって言ってほしかったな」


(お前だけ死ね。お前だけ死ね。お前だけ死ね。お前だけ死ね)


 藍は目で念じた。三上は、ケーキを食べ終えると藍の隣に横になった。


「十二時きっかりに、ベランダから一緒に飛び降りよう」


(えっ……?)


 藍は頭の中で三上の言葉を反芻した。


(十二時きっかりに……ベランダから一緒に飛び降りよう……)


「それまで、ここで二人きりで過ごそう」


 三上は優しく笑って満足そうな顔をしている。


(ここは……十階なのよ)


 昔、冬樹君と階段から転落したときでさえ冬樹君は額がぱっくり割れて亡くなった。十階からだなんてひとたまりもない。


「大丈夫」


 三上は笑顔で藍をじっと見据えていて言った。


(お前だけ死ね!) 


 藍は笑い返した。

  

 無情にも静まり返る室内を時計の針の音だけが響いている。藍は最初はまだ二時間半もあるから何か思いつくかと思っていたが、三上に見つめられたまま時間だけがどんどん過ぎていき、ついに一時間を切っていた。一分、一秒、それがこんなに早く感じるのはは初めてだ。口を塞がれているので、何も言えない。両手両足は手錠で固定されている。テーブルの上には包丁があって正面に三上が寝転がっている。


(……今できることは三上を刺激しないことくらい……)


 藍は息をひそめて目を閉じた。

 

 二十三時半を回ったとき、再び三上の家のインターフォンが鳴った。三上は、ハッとして立ち上がると廊下に設置されたモニターまで向かった。


「はい」

「夜分遅くにすみません。相田桜さんと白谷雄也さんの件でお伺いしました」

「相田桜? 誰ですか?」

「とぼけないで下さい。詳しく話しますのでドアを開けてください」


 藍はリビングからモニターを見つめたが遠くて何も見えない。きっと警察官が来ているのだろう。今度こそ助けてくれるはずだ。

 ドンドンと玄関のドアが叩かれた。警察はエントランスでは無く、すでに家のドアの前にいる。


「白谷雄也なんて知らないな。相田桜……誰だっけなぁ?」

「礼状があります。開けない場合ドアの鍵をこちらで解錠します」


 藍が不安で三上を見つめていると玄関のドアを解錠する音が響いた。上下に取り付けられた鍵はすぐに両方解錠された。きっと大家が協力してくれているのだろう。ドアが開けられるとドアガードがガタンと大きな音を立てて開くのを拒んだ。


「開けてください。警察です」


 警察官がドアの隙間から何やら紙を見せている。礼状だろう。三上はその場で何かを喚き散らして地団駄を踏んだ。それから藍に駆け寄るとむりやり抱えあげようとしたので藍は暴れて手足を突っぱねた。


「刺すぞ!」


 三上がテーブルの上の包丁を手に取り振りかざしたが、藍は思い切り三上を睨みつけた。


(やってみろ!)


「くそっ……!」


 三上はリビングの窓を開けると抵抗する藍を引きずってベランダへ出た。玄関のドアが解錠され部屋に警察が踏み込む。三人の警察官は、怒り狂う三上と拘束された女子高生を見て白目を剥きそうな顔で驚いている。


 三上が藍を担ぎ上げようとした時、突然違和感を覚えた。立ち上がった藍の背後から何か煙のようなものが立ち上っている。煙草を消し忘れたのかと一瞬考えが過ぎったが、そんなわずかな煙などではなかった。藍の背後には巨大な黒い靄が立ち上がり、靄の中には般若のような顔で怒り狂う藍がいた。


 靄の中の藍が生者ではない無いことは三上にもすぐ分かった。灰色の肌に真っ黒の瞳。


「なんだ……何が……」


 警察がドスドスと部屋に踏み込んでくる音が三上の耳に響いた。立花は勝ち誇ったように笑っていた。黒い靄に包まれて背後にいる藍も三上をあざけるように笑っている。その様子に三上は青ざめたものの藍の腕を無理矢理引っ張り上げると首にかけて藍をおんぶする格好でベランダの手すりから身を乗り出した。三上の黒い靄と藍の黒い靄が重なった。


「やめろ!」


 警察が叫んでいるが、三上は一切の躊躇は無かった。警官が駆け込んで来る。藍も警官が何か叫んでいるが頭が真っ白になって、何も聞こえないし何も考えられなかった。


「立花……逝こう」


 体が宙に浮き、目の前に夜空が広がった。月も星も見えない。ただ、真っ黒な夜空だ。胃が浮くような不快感の次に来たのは衝撃だった。

 轟音と共にグシャッという音が耳に響く。藍は頭の片隅で、知沙ちゃんのお母さんと一緒だと思いだして笑った。


 目を開けたとき藍は生け垣の上に落ちていた。三上は、生け垣の先のコンクリートの上で血達磨になっている。


(枝が痛い……)


 ゆっくりと体が木の中に沈み、コンクリートの上に落ちた。隣に横たわる三上は、目を半開きにしたまま絶命している。背中に憑いていた生霊も消えていた。


(そう……お前だけ死ね……)


 藍はそのまま意識を失った。


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