第41話

 藍は、無意識の世界からフッと意識が戻ってくると現実に引き戻された。


「……んっ……! んんん……!」


 タオルとガムテープで塞がれた口で藍は呻いて暴れた。三上は動きを止めた。藍は体を捻って三上の手から離れようとする。


「今更なんだよ。さっきまで大人しくしてたくせに」


 藍は三上を睨みつけた。ここまで来たら命乞いより戦うしかないと藍は悟った。


「もう今更止められないよ」


 このまま三上の望み通り従順に従っているわけにはいかない。藍に覆いかぶさる三上の背中に取り憑く黒い靄は先ほどよりも徐々に大きくなり天井を覆っていた。藍は鎖を思い切り引っ張ると三上の首に巻き付くように腕を回転させた。三上は藍の体に夢中だったせいで、いとも簡単に首に鎖が巻き付き、三上はベッドに突っ伏した。


(このクソ野郎! お前なんかにヤられてたまるか! )


 藍は心のなかであらん限り罵った。


「うぅ……かはっ……」


 三上は苦しそうに呻いている。藍は三上の体に乗って鎖を強く張った。


「が……うぉ……」 


 三上は鎖を外そうと喉を搔きむしるが、鎖はびくともしない。三上は鎖を外すのを諦めて、藍を背中から振り落とした。そのままの勢いで二人は床に転がった。


「ヴォぇぇ……」


 三上は落ちた勢いで更に首が閉まり口から涎をたらし、真っ赤になっている。藍は体重をかけて後ろにのけ反り思い切り鎖を張った。三上は怒りの形相で真っ赤になりながら藍の首に手をかけた。思い切り首を絞められた藍は、咄嗟に鎖を持つ手が緩んでしまった。その隙に三上は手で鎖を掴んで外した。三上は藍の横に倒れ込むとゼイゼイと荒い呼吸をした。


「立花……よくも……」


 三上は怒りの形相で拳を振り上げたがブルブルと拳を震わせただけで力なく腕を下ろした。しばらく呆然とした後に、三上は正面を向いた。


「ご……ごめん……俺が悪かった……ごめん。ごめんな」


 それから藍をギュッと抱きしめて震えた。藍は巨大な黒い靄の憑いた三上の背中を見つめた。


「ごめん……ごめん……こんなことを無理やり……許してほしい」


 三上は涙ながらに藍を見つめた。


「俺は、これまで母親からあまり愛情らしい愛情を受けてこなかった。それに、女子にはトラウマもある。だから、女子なんて毛嫌いしていたんだ。そこに現れた立花は……俺の中の輝きだった。傷付けたりしないで大切に俺だけのものにしたいんだ。これから……ずっと……一生……永遠に」


 三上は震える手で藍の口の粘着テープを外すと、口の中のタオルを取り出した。藍は思い切り空気を吸い込むと咳き込んでしばらく荒く呼吸をした。それから、正面を向いた。


「……私がね、三上君を見ていたのは理由があるの」


 ハッとしたように三上は目を見開いた。


「さっき、三上君に生霊の話をしたとき、全然信じてくれなかったよね? これまでに三上君以外には四人の生霊を見たことがあるの。一人目はこの部屋に住んでいたお母さん、二人目は公園にいた浮浪者、三人目は小学校の同級生、四人目は同級生のお父さん。五人目が三上君。信じてくれる?」


 三上は困惑した表情を浮かべた。


「やっぱり、信じられないよね。これまで生霊が憑いていた人は……皆もうこの世にはいない。だから三上君を助けたいと思った。何か辛い理由があるならそこから抜け出せば助けられると思っていた。でも、違ったね。三上君は私を欲望の対象にしかしていなかった。これまでも、今も……」

「違うんだ……欲望の対象なんかじゃ……さっきは……理性が抑えられなくなって我慢ができなくて」

「言い訳は必要ない。それに気付いた。生霊が見えるのは、生霊を持つ人が私に危害を加えたいから見えるんだって。考えたら、皆そうだった。皆私に危害を加えようとしてきた!」


 藍はふぅっと息を吐いた。


「三上君の生霊は今部屋を覆うほど大きな黒い靄になっている」


 三上は驚いて視線を彷徨わせた。


「どうして私を傷つけたいの?」

「ど……どうして……そんなことを?」

「だから、本当に見えるからわかるの」


 三上が口を開こうとしたとき、インターフォンが鳴った。二人はハッと顔を見合わせた。


「静かに」


 三上はすぐに藍の口にタオルを詰めると新しい粘着テープをぐるぐる巻きにして貼り付け、慌ててモニターに向かった。


「……はい」

「三上崇之さんのお部屋ですか?」

「はい……」

「櫻田警察署より参りました。藤田と原と申します。少しお話を伺いたいのでオートロックの解除をお願いします」

「……はい……」


 藍の耳にもはっきりとモニターから警察官の声が聞こえた。安堵と助かった喜びでその場に崩れ横になってしまった。


「静かにしてろ」


 三上は先ほどまでの落ち着いた表情からは一転し、再び狂気じみた怒りの形相に変わっていた。藍を寝室に引きずりこむとベッドの脚を持ち上げて手錠に通し鎖を巻き付けた。


「暴れるなよ」


 それだけ言うと玄関のドアを開けて外に出ていった。

 時計は十九時四十分をさしている。いつもなら母と夕食を食べている時間だ。藍は、鎖をベッドから外そうと躍起になったがベッドが重くて持ち上がらず、怒りに任せて鎖を床に叩きつけた。


 室内を針の音が響き、異様な緊張に包まれていた。玄関からガチャリと音が聞こえると鍵をロックする音が響いた。足音は一人分しか聞こえないし、話し声も聞こえない。警察官は室内には同行していないようだ。


(ど……どうして? どうして入ってこないの?)


 三上の足音が廊下に響き、わずかな隙間から顔を覗かせた。ニイッと口角だけ上げているが、目は笑っていない。

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