第三章 命を懸けて

第37話

 暗い。そして、空気が淀んでいて息苦しい。頭が痛い。藍は震える瞼を薄く開いた。目を開けても辺りは真っ暗で夜目が効くまでに時間がかかった。ドアが僅かに開いていてそこから光が差し込んでいる。白い壁に囲まれた部屋は自分の部屋のベッドの上だと思った。


(いつの間に寝ちゃったのかな……)


 あくびが出て口を開けようとした時、口内に何かが入れられていて、口が開けないことに気付いた。口に着いているものを取ろうと両腕を動かした時に、手首に何かが付けられていることに気付いた。頭の上でジャラジャラと音がする。


(な……何なの……)


 ふと、隣に温もりを感じた。その温もりは幼い頃、両親に腕を枕してもらったときの感覚と同じだったが、藍の背筋はゾワッと震えた。恐る恐る横を見て、腕枕をしているのは三上だと藍は気付くと動きを止めた。


(そうだ……三上君に何かを飲まされて……)


 暗がりの中、黒い靄に包まれる中に三上の生霊が浮かんでいる。青白かった肌は灰色に変わり、般若の形相で上から藍を見下ろしていた。


「……起きたの……?」


 三上の声が耳元で囁かれた。藍は肩をビクリと震わせた。ゆっくりと三上の顔を見ると、光悦の表情を浮かべて笑っている。


「無理して起きなくていいよ。」 


 ひどく頭が痛いものの意識がハッキリして来た。ここが三上の寝室のベッドの上だと気付き慌てて身をよじった。声を出そうとしたが、くぐもった声しか出ない。


「ん! んー!」


 話したくても言葉にならない。両手は手錠をつけられた上に鎖が付けられていると気付いた。驚いて動こうとする度にジャラジャラと音が聞こえる。足首もそうだった。足首のところで何かに拘束されている。


「逃げないで」


 三上は藍を抱きしめた。藍は恐怖と不安で身をよじり抵抗したが、両腕の中に収められてしまうと全く身動きが取れない。


「んーんーんー!」


 三上は藍の口を手で塞いだ。


「可愛い声は聞いていたいけど、隣にきこえちゃうでしょ」


 隣が自宅なのに、助けを呼べない。藍は絶望的な気持ちになった。


「良かった。落ち着いたね?」


  藍は、モゴモゴと喋った。


「んーんー!」 

「何言ってるのかな?」


 三上は笑った。いつもとは違う異常な笑顔を浮かべている。


(やばい……冷静になれ………私)


 段々と夜目が効くようになってきた。部屋を見回すと壁に掛けられた時計が見えた。


(十七時五分……)


 母が帰宅するのは毎日十九時ごろだ。藍が帰宅していないことに気付いたら学校に連絡して早退したことを知るはずだ。マンションの監視カメラに藍が帰宅した映像が映っていることは間違いない。もしかしたらエレベーターの監視カメラに藍が三上の家に入るところが撮られているかもしれない。そしたらすぐに警察が助けに来てくれるはずだ。藍は、思案を巡らせた。運が良ければ今日中には助けが来るかもしれない。


(でも、運が悪ければ?)


 考える間もなく藍の頬を涙が伝った。一度涙が流れ出すと次々と涙が溢れ嗚咽も漏れた。三上は笑顔で抱きしめて離さない。


「立花の可愛い泣き声を聞きたいからテープを剥がしてやりたいけど、隣が立花の家だから聞こえたらマズいんだ。ごめんね」


 三上が細い指で藍の涙を拭った。


「寝顔が可愛かったよ」


 三上は目を細めて藍を見つめた。その表情の気持ち悪さにゾクリとした。


「ほら、写真撮っちゃった」


 三上がスマホを取り出すと藍の寝顔の写真を嬉々として見せてきた。何枚もの写真をスクロールする。藍はフルフルと首を振った。


「泣き顔も撮りたいな。可愛い。」


 三上は藍の頬に手を添えて優しくなぞり瞳を舐めた。涙を舌で絡め取る。藍は驚いて暴れようとしたが、力では全く敵わない。三上の唇が頬に触れた。藍はあまりの悍ましさで両手で払い除けようとしたのでジャラジャラと鎖の音が響いた。三上が手首を押さえて上に覆いかぶさってくる。


「無駄だよ。手首は手錠で繋いで更に鎖で繋いでいる。鎖は長いからトイレは行けるよ。立花がいい子にするならリビングもね。」


 鎖を見るとベッドから鎖が垂れ下がりドアの先まで伸びているのが見える。藍は泣くのを堪えた。


(こんな奴に泣き顔なんてみせるものか)


 これから助けが来るまでどうしたら良いのだろう。三上が藍の顔に口付けを繰り返す背後で、生霊は般若の形相を藍に向けたまま背後に浮かんでいた。


「うーうー!」

「何?」


 藍はドアの方を見やった。

「トイレ?」


 頷くと、三上はニヤッとした。


「いい子に出来る?」

 

 藍はもう一度頷いた。


三上は藍の上から離れるとベッドから降りた。部屋の入口に向かうと電気のスイッチを押す。あまりの眩しさに藍は咄嗟に目を閉じた。

「よし、言うとおりに」


 三上が鎖を掴んでベッドから降りるように指示を出した。藍は改めて足元を見ると、手錠でしっかりと拘束されている。なんとかベッドから降りるとヨタヨタと少しずつ進んだ。


「トイレは正面だよ。一人で出来る?」


 藍は頷いた。


「出来ないなら手伝いに行くからね」


 三上は下衆な笑顔を浮かべた。藍は青ざめて首を横に振ると、ヨタヨタとトイレまで向かう。部屋を出ると強い異臭を感じた。汚い公衆トイレの匂いがする。前に来たときはそんな匂いはしなかった。


 なんとかトイレを済ませ、洗面所で手を洗い自分の顔を見た。頬がリスの様に膨れてひどい顔をしている。


「終わったらさっきの部屋に戻るよ」


 部屋に戻る前、寝室の隣の部屋の異変に気付いた。ドアの前に冷蔵庫やチェスト、食器棚まで置かれている。藍は立ち止り部屋の入り口を見つめた。


「ん……ん……」


 僅かだが声が聞こえた。異臭もここから強く臭っている。声に聞き覚えがあった。三上が藍の視線に気付いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る