第38話

「どうしたの? その部屋が何か?」


 三上は嬉しそうに藍を見つめた。 


「誰がいるでしょう?」


 藍は顔をしかめた。


(誰がいるでしょう?)


「さぁ、ベッドに戻ろう」


 三上は藍の背中を押してベッドに誘導する。藍は大人しくベッドへと戻った。

ベッドに戻ると再び三上に腕枕をされて横になった。暗い部屋の中で三上の生霊はくっきりと浮かんでおり、藍を凝視している。 

 今は暴れたり抵抗することは得策ではない。瞳を閉じたまま横になっていると、三上に強く抱きしめられた。気持ち悪かったが、ひたすら目をギュッと閉じて考えを巡らせた。 


(鎖の長さはわからないけど、リビングまでは行ける長さだとしたら、ベランダや玄関までは届かないかな……。口のガムテープ。それをなんとか外してもらわないと) 


 ベッドの上で三上は何もしてこなかった。薬の影響なのか極限の緊張状態に置かれていたせいなのか頭痛がひどく藍は再び眠ってしまった。 


「さて、最後の晩餐の準備をしないと」


 三上は藍が眠ったのを確認するとベッドから降りた。


 三上は寝室を出ると物置部屋の前に置かれた冷蔵庫やチェスト、食器棚を移動させて部屋の中を確認した。相田は家に藍が来たことを察知して爛々とした瞳で三上を見つめた。先ほどは死にそうな目をしていたのに、何か希望でも見つけたのだろうか。三上はマスクと手袋を付けて糞尿の始末をすると相田の足の紐を鋏で切った。下着を脱がせようとすると相田は慌てたように暴れまくった。


「お前に興味ないから」


 足を思い切り踏みつけると相田は鼻息を荒くしてうつ伏せになったままフーフーと泣いている。足の紐を切って汚れた下着をもぎ取ると先ほど購入しきたた紙オムツを履かせた。再び足を紐で縛ろうとすると足をバタつかせたので三上は桜の頬を張った。その衝撃で桜が床に倒れると、三上は満足そうに部屋を出た。


 三上は、手洗いを済ませるとキッチンへと向かった。あの悪臭の隣で調理や食事などできるはずが無い。これから、立花と最後の晩餐をするのだと思うと、三上は胸が高鳴った。


 藍は再び暗闇の中で目を覚ました。三上がいない。毛布が掛けられていたが恐怖のあまり藍はぶるぶると震えた。わずかな明かりに照らされた時計を見ると十八時十五分をさしている。まだ母は帰宅していない。部屋の外からジュージューと何かを焼く音と良い香りがする。肉の香りだ。口に布か何かを押し込められているせいもあって喉がカラカラに乾いている。藍は暗闇で目を見開いたままじっと天井を見つめた。


(どうすれば良いの? どうすれば)


 暴れたり抵抗しても手錠を付けられている限りは逃げ出せない。スマホにGPSが付いていたが、それも捨てられてしまったなら助けが来る可能性は低い。それでも、このまま三上に言われるがままでいる自分にも腹が立っていた。これまで生霊が見えていたのにも関わらず、結局何も活かすことができなかった。


(そうだ……生霊。今まで見てきた生霊達……知沙ちゃんのお母さんは飛び降り自殺をした。浮浪者は橋から飛び降り自殺をした。冬樹君は……階段から落ちて死んだ。待って……浮浪者は私を誘拐しようとしたし冬樹君は私を巻き添えにしようとした。それに、愛莉のお父さん……愛莉のお父さんはロリコンで……突然死んだ……)


 心臓がバクバクと脈を打つ。


(知沙ちゃんのお母さんは、私が最初に見た生霊。最後に『イイネ。アナタハイイネ』って言った。浮浪者は私を誘拐して一緒に橋から飛び降りようとしたのかも……冬樹君は私を下敷きにして殺そうとした……愛莉のお父さんはロリコンで……生きていたら何かされていたかもしれない……)


 動悸が激しくなり、心臓が脈を打つのを感じた。


(そして……三上君……彼が一番異常だ。間違いない)


(そうだ……みんな……私に危害を加えようとした人達だ。生霊が取り憑いているのが見えた人は、死に際の人達じゃない。私に危害を加えようとした人達だ。私に向けられた殺意だったんだ。私には彼等の殺意が視えていたんだ……)


 ドアの向こうからペタリペタリと足音が近づいてくる。ドアのわずかな隙間の明かりが遮られて部屋が真っ暗になった。


(……三上君も)


 ドアの向こうからは人の気配だけではない。ドロドロとした黒い靄に包まれた殺意すらも感じた。

 ドアに指が差し込まれ、音もなくドアが開いた。三上の背後にくっきりと殺意が見えた気がした。


 三上の背後に見えるのは黒い靄だけだった。生霊は黒い靄に取り込まれてしまったのだろうか。藍が震えると、鎖がチャリチャリと小さく音を立てた。


「起きてるの?」


 藍は喉をゴクリと鳴らした。三上が電気を付けたので顔がはっきりと見えた。三上は満足そうに藍を見つめている。


「いい香りでしょう? ご飯を作ったんだ。立花が絶対に叫んだり暴れないと約束するなら口のテープを剥がして一緒に夕食を食べよう。出来ないならここにいて。どうする?」


 藍は頷いた。食べたいと意思表示をしたつもりだ。


「じゃあ、約束だよ? 叫んだり暴れない。暴れたら……わかる?」


 三上の顔は笑っているが、藍は絶望的な気持ちで頷いた。


「いい子だ。じゃあ、ガムテープを取るよ」


 思い切りガムテープを剥がされた。それから、口に詰められたタオルを出すと藍は思い切り口を開けて息を吸い込んだ。


「手荒なことをしてごめんね。大丈夫?  痛かった?」

「……ん」


 声を出そうとしてもボソボソとした小さな声しか出なかった。三上は藍を抱きしめると、向かい合ってよくよく顔を見つめた。


「こんな立花の顔を見られるのは世界中でただ一人。俺だけだな」

「……顔?」

「ふふふ。ひどい顔。泣いて、耐えて、辛そうな……」


 藍は絶句した。

 

「やっと、顔を全部見られた。約束を守ってね?」


 三上の顔が近付き、藍は反射的に顔をそらしたが三上はそれを許さなかった。顔を両手で掴んで正面を向かせた。藍は仕方なく三上の背後の黒い靄を見つめた。それに気付かない三上は満足そうに顔を離した。


「じゃあ、リビングへ行こう」

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