第32話

 マンションの集合ポストで立花の帰宅のタイミングを伺って出ていくと話しかけてくれた。その声も保存したい。エレベーターの中では後ろから触れたくて触れたくて俺は必死に理性と戦った。立花の全身から良い香りがしているし、白くて細い首、綺麗なうなじ、可愛らしい横顔。理性が崩壊しそうだ。


「えと……何階?」


 思わず「同じ階」と言いそうになって慌てて口をつぐんだ。


「えーと、そうだ、私、同じクラスの立花藍だけど、私のこと覚えてる?」


 覚えているどころか二十四時間見張っている。俺は笑顔で答えた。


「もちろん、覚えているよ。立花さんは長身の男性がタイプなんだってね」

 からかうと立花は見たこともないような顔で俺を見た。恥ずかしそうにしている。

「そ……それは、桜が言っただけで」

「あ、着いたよ」


 ニヤけてしまいそうで足早にエレベーターを出た。


「家……十階なの?」

「そう、ここだから。じゃあな」


 立花は俺が隣に住んでいるのを知ってかなり驚いたようだ。部屋に入るなり、俺は玄関にへたり込んでしまった。会話できたし一緒に帰宅できたなんて嬉しすぎる。暫く悦に浸っていたかったが、すぐにスマホの電源を入れて立花の位置を確認した。盗聴器から足音が聞こえるので部屋にいる。衣擦れの音も聞こえた。今、着替えているようだ。それからドアの音が聞こえる。


 部屋を出たようなので監視カメラの映像を確認するとリビングからベランダ向かっている。細くて白い脚の際立つショートパンツを履いていた。俺はすぐにベランダに向かった。テーブルの上の煙草を手にすると、手すりにもたれかかり、立花のベランダを覗き見た。洗濯物を慌てて取り込んでいる。


(これからが楽しみだな……)


 俺はふっと笑みをこぼし、外の景色を眺めた。その日、俺の興奮はなかなか冷めなかった。


 その日の晩、篠崎稔から連絡が来た。嫌な予感がした。


『俺の彼女とその友達で遊びに行かねえ?』

『彼女の友達って誰?』

『立花藍って子』


 嫌な予感は的中した。


『目的は?』

『もちろん、立花藍と遊ぶために決まってるだろ。そろそろ桜はたっぷり遊ばせてもらったから友達に乗り換えようかと思ってな』


 本当に性根の腐った最悪な男だ。立花に手を出そうとしている。他の女ならどうでも良いが立花は絶対に許さない。だが、俺が断って他の友達を誘って遊びに行ったりしたら取り返しがつかないことになるかもしれない。


『いつ?』

『週末に行こうぜ。カラオケで二部屋取って最初は俺と桜で、途中桜と立花藍を交代して』

『わかった』


 策を練るしかない。


 翌日、俺は陸上部の朝練に参加した。見学も無しに朝練から参加する俺を、先輩達は相当やる気のあるやつだと喜んで迎えてくれた。走っていると、立花が登校して来る姿が見えた。今日も可愛い。しかも、俺のことを見ている。心の中で向こうも俺に気があると確信した。


 その日は、下校後に部活動見学がありそこに立花は参加していた。俺は最後まで部活に参加し、帰り道に偶然立花と出くわした。立花は変わらず凛とした瞳で俺のことを見つめてくれている。だが、見ているのは俺ではなく背後のように感じる。


「何?」


 俺は、不思議に思い後ろを振り返った。


「なんで、そんなに俺のこと見てるの?めちゃくちゃ視線を感じるんだけど」

「べ。別に。見てないし」 


 嘘が下手すぎる。その表情。俺のことを気になっているならすぐにでも言ってほしい。


「……そうかよ」

「……そんなことより、昨日煙草吸ってたよね? ベランダからポイ捨てしないでね」

「んなこと、しねーよ」


 今日も一緒に帰宅できた。立花の香りを鼻一杯に吸い込んで肺にためた。瞬きもしないように横顔を見つめた。それから、俺は立花にカマをかけた。


「立花の友達の相田桜って篠崎稔と付き合ってるだろ?」


 立花は予想通り驚きの反応を示した。


「そうだよ。稔君と友達なの?」

「俺と稔は同じ北桜中学出身で同じ陸上部だからな」

「まさかと思うけど、今週末、稔君に遊びに誘われてない?」


 立花は嫌そうな顔をしている。稔のことが嫌ならハッキリ断ってくれ。

 

 翌朝、マンション前に姉が来た。突然のことで驚いたが、俺を出待ちしていたようだ。

「崇之、久しぶり!」

「久しぶり。どうしたの?」

「ここで一人暮らししてるんでしょ?」

「おう」

「私も……ここで一緒に住みたいんだけど」

「は?」

「お母さん、やっぱり病気がなかなか良くならなくて。向こうは友達もいないしやっぱりこっちに戻ってきたいの」

「今更……父さんのことは聞いてるだろ?新しい女と籍入れて赤ん坊も生まれるんだよ」

「それはお父さんから聞いた! だから、実家には帰りたくないし、ここに一緒に住ませて」

「嫌だし、無理に決まってるだろ! 母さんと一緒に出ていくって決めたんだし、高校だってそっちに通ってるんだろ!」

「もう、嫌なの! 祖父母は厳しいし、毎日病院にお見舞いに行かせられるし、あんなお母さんを毎日見るのも嫌なの!」

「俺じゃなくて父さんに相談しろよ!」 


 姉は泣き出した。これではまるで俺が悪者だ。その時、俺の視界に立花が入った。


(んだよ! 最悪だな!)

「とにかく、このマンションには一緒に住めないから」

「……わかった……。お父さんに相談する」

「相談に乗れなくてごめん。ごめん、急でちょっと言い過ぎたよ」

「うぅん。私が急に押しかけちゃったから……」


 姉はとぼとぼとマンションを後にし、その後は父に相談に行ったそうだが、その意見は通らなかった。 


「養育費や高校生活に必要なお金はしっかり払っている」


 姉は結局母の実家に帰った

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る