第27話
俺が六年生になった頃、母が突然変わった。天気の良い日の土曜日、母に誘われて三人でレストランに食事に行った時に個室に案内されて不思議に思っていると男性が個室に現れた。
「
早川は、お辞儀をしてから母の隣に座った。二人は俺と姉の前にも関わらずベタベタと仲良さそうにメニューを見ていて俺は呆気に取られていた。注文を終えると早川はペラペラと自己紹介を始めた。年齢は母よりも三つ年下。不動産会社で働いていて営業を担当しているそうだ。
「これから、よろしくお願いします」
何を持ってよろしくと言われたのかサッパリわからなかった。最近父は帰宅しない日があるが、離婚しているわけではない。仮に彼氏を作ったとしても、こんなに堂々と紹介するなんて母は病気なのではないかと思った。もしくは、自分は今夢の中にいるのかと首を傾げるしかできなかった。
それからというもの、母は帰宅が遅くなる日もあって、そんな時は姉弟二人きりなので交代で家事を行うようになった。もちろん姉は身勝手な両親に不満たっぷりだった。
「私、部活もあるのに夫婦揃って何考えてるんだか」
姉は父も大分前から浮気をしているのではないかと疑っていた。
「お母さんが一人でお酒を飲んだり泣いていた頃があったでしょ? その頃から夫婦関係は更におかしくなっちゃったよね? きっとお父さんも、浮気相手のところにいるんだよ」
姉は洗濯物を取り込んで俺に畳むように指示した。俺が渋々洗濯物をしていると、姉はキッチンで炒飯を作りながら呟いた。
「こんなこと、学校の先生にも友達にも誰にも相談できないし崇之と愚痴るくらいしか出来ないわ」
父は生活費はしっかりと口座に入れてくれていたようで生活自体は困ることは無かった。
「これからどうなるのかな?」
姉はふてくされていた。
「お父さんもお母さんもそれぞれ自由にしてるし俺たちも適当にすればいいよ」
俺は正直な気持ちを言ったが姉は泣き出した。これまで大切に育てられていた分ショックが大きかったのだろう。
「あんたは、何もわからない子供でいいわね」
俺は父も母も家族に愛情を注がないだけ、それだけのことだと思うようにしていた。
母は彼氏ができてからは精神的な拠り所が出来たようで、俺を罵倒したり頬を張ったりすることも無くなった。
間もなくして、母は自宅にまで彼氏を呼んで一緒に食事を取ったり、父が帰宅しないのを良いことに家で寝泊まりさせるようになった。これまで両親の寝室であった部屋に当然のように二人で寝ていた。その頃の俺には何の知識もなくて二人が一緒に寝ていることに何の疑問も抱かなかったが、今思えば二人には吐き気すら覚える。
小学校卒業間近となったとき、父が突然定時に帰宅するようになった。一緒に夕食を取ったり食後はテレビを見ながら晩酌をする普通の父親像を演じ始めた。母は突然のことに戸惑い帰宅した父にただ絶望していた。
姉の誕生日の日、父はケーキや寿司の出前を取って一人で大声で酔っ払って浮かれていた。姉と俺にはお小遣いを渡し母にはブランド物のバッグをプレゼントしていた。母がキッチンで片づけを始めて、子どもは自室に戻っても上機嫌なまま一人で晩酌をしていた。
食事を終えて、入浴を済ませた俺は自室のベッドの上で心のモヤモヤと葛藤していた。寒い晩だったから夜空は澄み渡っていて、出窓から三日月や星が瞬くのがよく見えた。俺がトイレに行こうと廊下に出て両親の寝室の前を通ったときだった。二人の会話が耳に飛び込んできた。ドアが数センチ開いていて中が見えた。父はベッドの上で胡座を組んでいて、母はベッドサイドに立っていた。
「ごめんなさい。貴方のことはもう……」
父は母の言葉を黙って聞いていた。
「もう、貴方とは終わったと思ったの。貴方も彼女がいたでしょ?」
「彼女とは別れた。お前も終わりだ。佳穂がこれから受験もあるし、崇之も中学生になる。まともな親に戻ろう」
母は頭を垂れた。
「寝るぞ」
母が電気を消すためにドアの方に近づいてきたので、俺は慌ててドアから離れて身を隠した。
それから父はしばらく普通の父親を演じていたが、母は彼氏と別れなかった。家では普通に振舞っていても、会う日は化粧が濃かったり、香水をつけていたりとどこか雰囲気が女らしかった。これまで散々両親に振り回された姉はイライラしていた。反抗期が重なったのも悪かった。俺はというと、そんな歪な家族の全てが面倒くさいと思っていた。
毎晩のように、寝室から父と母の罵声が聞こえて、段々とその内容はエスカレートしていった。俺は心配で時々様子を見に行っては聞き耳を立てていた。
「お前! 早川と別れていないんだろ! 帰り道、早川の車に乗ってるところ見たぞ!」
「どうして別れなきゃいけないのよ! 貴方は、これまで、散々好きにしてきたでしょう!」
「俺はもう彼女と別れたんだ……それに、俺に口答えするのか! 俺がお前を養ってるんだ! お前は俺と結婚して俺が建てた家に住み、俺の会社の金で生きてる! 女の分際で口答えするな!」
母が頬を殴られた音が聞こえた後、ベッドから床に落ちる音がドスンと響いた。
「今別れろ」
父はこれまでの自分の事を一切反省していない。それなのに母には有無を言わさない自分本位の態度だ。さすがの俺も母を罵り殴ったことは許せなかった。でも、子どもの俺には何もできず、泣いている母の声をこっそりと廊下で聞いていた。
翌日、俺が起床して階段を下りて行くと父は和室で胡座を組んで座っていた。
俺が起床したことに気付くと和室へと手招きした。正座をして父と向かい合って座った。
「崇之、お前は会社を継ぐんだ。これまでの怠惰な生活をやめて勉学に励め」
俺は返す言葉が見つからず頷いた。和室を出ると母は、キッチンにいた。頬が青く腫れてしまっている。俺に気付くとチラリとこちらを見たものの、朝ごはんをお皿に盛り付けると何も言わずに二階へと上がってしまった。俺は何も声を掛けてあげられなかった。
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