第19話

 桜はちょっと火照ったような顔で話を続けた。

「ここ数日前から、榊原君と連絡取り合ってて部活のない日にでも遊ぼうって言ってるんだけど藍も一緒に来てくれない?」

「えぇ!  急展開! それってまたダブルデートみたいじゃない。しかも、榊原君と白谷君か……」  


 白谷は童顔で顔が可愛くて部内では弟キャラの男子だった。そのくせ長身でちょっとクールな一面があってギャップモテしていた。きっと進学した今もモテモテだろう。もちろん、藍も彼が現れると思わず見惚れてしまっし、何だったら好きだった。


「確かに。白谷君はイケメンだし長身だしカッコ良かったし……」

「ひゃはは。藍、心の声が漏れてるよ」

「よし、行く」

「多分、この天気だと明日は部活中止でしょう。早速明日遊びに行こうよ! 返事しておくね!」

「うん。でも緊張するなぁ。白谷君か」

「藍に彼氏がいないほうがもったいないよ! 連絡先とか交換できるといいね!」


 藍は緊張した面持ちで頷いた。桜が失恋から立ち直るのが早いのは良いことだ。ちょっと突っ込まなくてはいけないレベルかもしれない。だが、榊原はソース顔のイケメンだったし、もし付き合えれば桜の悩みなんて遠くに飛んでいってしまうだろう。白谷君に対して自分にも下心があるのも事実なので、ここは協力するのが得策だ。


 櫻田南駅に到着すると、二人は駅中のドーナツ屋さんに寄った。カフェラテを飲みながらドーナツを二つ食べて、榊原と白谷について話してから解散した。マンションに着くと、大急ぎで洗濯物を取り込んだ。雨が強くなりすっかり空気が冷たくなってしまった。ゴロゴロと雷の音が聞こえ山の向こうで稲妻が光り落雷しているのが見えた。最後のハンガーを手にしたその時だった。藍の周りを突然大きな影が覆った。


「え……?」


 上を見た瞬間、藍はハンガーを落として床に尻餅をついた。大きな影は外縁のボンヤリとして巨大な黒い靄に覆われた三上の生霊だった。青白い顔が暗闇に浮かび上がり見下すように藍を見つめている。強い怒気を感じた。


「……っ!」


 驚きのあまり声を飲み込んだ。生霊はただ浮かんでいるだけなので、気を取り直してゆっくりと立ち上がると、隔て板の向こうに雨の中ずぶぬれで三上が佇んでいるのが見えた。


「み……三上君?」


 三上は雨の中でずぶ濡れで手摺りに寄りかかっている。


「何してるの? こんな雨の中で!」


 三上には藍の声が声が届かなかったらしい。藍の方を見向きもしない。再び雷鳴が轟き三上の顔を照らした。雨粒が落ちる音がベランダに響いた。


 母の帰宅後、二人で夕食を済ませてから藍は浴室へと向かった。洗面所に鍵をかけて衣服を脱ぐと浴室へと入り水栓をひねった。温かいお湯が出始めシャワーを浴びた時だった。鏡に何かが映り込んだ。


「ん?」


 シャンプーをしながら鏡の曇りや水滴を手で拭った。何も映っていない。後ろを振り向いて確認したもののいつもと変わりは無いし、洗面所に人の気配も無い。


「気のせいか」


 トリートメントまで終えて体を洗うと浴槽に浸かった。


(白谷君。元気にしてるかな)


 目を閉じると白谷の高跳びをしている姿が浮かんできた。藍は校庭を走りながらその光景を遠くから眺めるのが好きだった。まさに理想の彼氏像と言った白谷だったが女っ気が無くて誰とも付き合ってはおらず部活に夢中な様子だった。実際に県大会で優勝し、全国大会まで進み、陸上部の強豪高校に入学した。榊原は、何人か彼女がいたようだが、部活熱心なのは一緒で彼も全国大会まで進み同じく強豪校に進学していた。桜はよく榊原と話していたが藍は白谷とは挨拶と必要最低限の会話をする程度だった。そもそも挨拶すら緊張して声が出なくなったり、顔を見るだけで頬を赤らめたりと、あんまり良い対応が出来なかった。


 当時は桜が「藍は男の子と話すのが苦手みたい」とフォローしてくれたが、白谷以外の男子とは普通に話せたし、何度か告白されたことすらあったし、白谷に藍が緊張していたのは伝わっていただろう。


 藍がハーッとため息を付いて目を開けた瞬間。黒い靄が目の前に浮かんでいた。目の前に三上の生霊がいた。生霊は浴槽の上でユラユラと揺れながら宙で浮かんでいる。 


「……っ!」


 藍は悲鳴をあげそうになり両手で口を抑えた。三上は恨めしそうな目つきで藍を睨み浴槽に黒い靄が沈んでいる。


「な……何でここまで……!」

「私に付きまとわないで!」

「どっかに行ってよ!」


 藍は思い切り、生霊を足で蹴ろうとしたが靄が揺れただけで触れることはできなかった。にも関わらず生霊は藍の顔を鷲掴みにした。


「いやっ!」


 そのままお風呂の底に顔を沈めようとグイグイと押される。抵抗しようにも異常なほどの力で押されて体が浴槽に沈められていく。


「ゴボ……ぅ……!」


 次の瞬間、水音が耳元に響き体を持ち上げられた。


「遅いと思ったら! お風呂で居眠りなんて危ないじゃない!」


 藍は驚いて周りをキョロキョロと見回した。母が慌てた様子で藍の体を押さえていた。


「体が沈んでたわよ!」


 どうやら夢だったらしい。


「だ……大丈夫。もう出るよ!」


 お風呂から出ると藍は震える体をバスタオルで包んだ。

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