第15話
夕方。帰宅後にリビングでテレビを見ていると、泣き声の桜から電話が掛かってきた。
「藍ぃ。今出られる?」
「どしたの? 今どこ?」
「藍のマンションの下ぁ」
「すぐ行くね」
藍はカーディガンを羽織ると慌ててエレベーターに乗ってエントランスを出た。マンションの下で桜がわんわん泣いている。
「どうしたの……大丈夫?」
「稔君が別れるって……」
藍はかける言葉を失った。
「稔君、他に好きな子ができたって。ひどくない」
「部屋に来る?」
「うん」
桜を自室に招いてからキッチンでコーラをついでクッキーを棚から取り出した。ふと、リビングのわずかに開けた窓から煙草の香りがした。藍はそっとベランダに出て隣の部屋を覗いたが三上はいなかった。窓の鍵を閉めると、お菓子をもって自室へと向かった。桜は先ほどより少し落ち着いている様子だ。
「あの後ねぇ、今朝は大変だったから話聞いてくれるってカラオケ行ったの。そこで優しく話を聞いてくれたと思ったら、突然稔君が別れようって……」
「理由は?」
「やっぱりクラスの女の子が好きになっちゃったからって。桜も同じ学校でいい人が見つかるよって言われた。ひどくない?」
「うん……ひどいね」
「私、別れたくないって言ったらさ……もう私みたいに無神経な女じゃなくて賢くてお淑やかな子がいいとか言われた。それに、私なんかより……」
桜の赤い涙目から一瞬殺気立つような雰囲気が醸し出された。
「藍みたいな子が良いって」
「……そんなの、適当に言ってるだけ。私の名前出したらもっと桜が傷ついて別れを選ぶと思ったんだよ。最悪の一言だね」
「そう……だよね。だけど、それから藍みたいな美少女を抱きたいって言われた。稔君に初めてを全部あげたのに、こんな仕打ちするなんて……本当にあいつは最底辺の下衆野郎だよ」
しばらく泣いた後、突如として桜の涙は止まり、頬の涙の跡は乾き始めた。
「もう、終わりだよね?」
「最低な男だよ。別れて正解。桜は、これからもっと幸せになれる」
「……ありがとう。稔君が新しいオンナ作るよりも先に幸せになってやる」
藍は頷いた。
「藍」
「何?」
「稔君に何を言われても付き合ったりしないよね?」
「え? 付き合うわけないでしょう。もともと何とも思ってない上に最低な男だってわかったんだから」
桜は頷いた。その顔は感情を失っていて、何も読み取ることが出来なかった。
桜の帰宅後、藍は室内に干した洗濯物を取り込んでからベランダに出た。雨と曇り空で眼下の景色はほとんど見えないが椅子に座って空を眺めた。少しづつ暗くなり、星が瞬き半月が浮かび始めた。
「いつだって、そう。みんな、私を巻き込んで……」
きっと、人生が歪み始めたのは知沙ちゃんのお母さんが自殺したのを目撃したあの日だ。あの日以来、視えざるものが視えるようになり自分も呪われてしまったのかもしれないと藍は考えた。もちろん自分には一切なんの落ち度もない。
四月十二日(金曜日)
翌日、雨はすっかり止んで空は晴れ渡っていた。藍は朝練の時間に家を出たが駅で桜に会うことは無かった。メールをするのも躊躇われたので藍は一人で電車に乗った。
「よう」
ハッと顔をあげると三上がいる。
「あいつら、別れたんだってな。稔がそろそろって言ってたし、いよいよかなと思ってたけど」
「そろそろって何?」
「まぁ、何回かヤッたからってこと」
あまりの言い草に藍は三上を殴りたくなったが、三上には無関係なことだ。
「最低!」
「怒るなら稔に」
「稔君には二度と会いたくもない。金輪際永久に!」
「ははは」
三上は乾いた声で笑った。
「桜はあんなに傷ついたのに、頭おかしいわ」
「立花の友達は稔に夢見てたんじゃないの?」
「騙されてたの」
「あいつが、そんなにいい彼氏になるように見える?遊び人だよ」
「だろうね。三上君も煙草なんて吸ってるし」
藍はハッとした。関係ない三上の事まで言ってしまった。
「ご、ごめん。三上君は関係ないのに」
「ふうん。俺もあいつと同じようなもんか」
「違う違う!三上君のことは何も知らないし。ごめん」
三上はスマホに目を落とすと、それから一言も話さなかった。気まずいまま駅に到着すると、三上は何も言わずにさっさと電車を降りてしまった。部活の朝練には三上は顔を出さなかった。
藍が朝練を終えて教室に着いても桜が来ていないので思わずメールすると『今日は休む』と返事が来た。
三上は教室には来たものの藍のことを無視しているのか友達と談笑したりしていて藍には見向きもしなかった。藍は、一人寂しく一日を過ごし、部活を終えてモヤモヤしたまま帰宅した。自室で桜に授業の内容やノートの写真をメールした。
ベランダに出て洗濯物を取り込んでいると、煙草の匂いがした。
「三上君……いるの?」
洗濯物をリビングに投げ込んでから思わず声を掛けると三上から「おう」と、返事が聞こえた。手すりから顔を出すとやっぱり煙草を吸っている。二人は隔て板越しに並んで会話した。
「何?」
「……今日の部活、朝練も放課後も来なかったね」
「夕方はバイト入れてたから」
「朝は?ちゃんといつもの電車に乗ってたでしょう」
「休んじゃだめなの?」
暗がりに三上の顔が見えた。後ろには黒い靄がしっかりと居座っていて、その靄の中から生霊は藍を睨んでいた。
「だめじゃないよ。来週は朝練行くでしょ?」
「さぁね」
「走る時……いつも私の先を走ってるでしょ。いないとペースが上がらないし」
「はは。俺に付いて来られないくせに」
「は?」
「何周でも追い越せるよ」
「ひど」
自然に頬が緩む。
「じゃあ、また月曜日にね」
「じゃあな」
三上は優しい笑顔で微笑んでいた。が、後ろから顔を出す生霊は余計に怒りが増して怒気を強めたように口を震わせていた。
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