第13話
午後の本戦が始まると各校は指定された待機場所に固まって声援を送った。ふと、藍が観覧席を見ると愛莉のお父さんはいなくなっていた。
(……愛莉が本戦に出ないって分かったから帰ったんだ)
藍はそう、思い込むことにした。
――――
翌日、愛莉は学校を休んだ。
「愛莉が休むなんて珍しいよね?」
桜が不思議そうに言う。
「うん……」
一週間後、愛莉が欠席していた理由を淡々と話し始め藍は驚愕した。
「お父さんが自殺したの」
部活の帰り道、愛莉はせいせいしたように話し始めた。桜も目を丸くしていた。
「だ……大丈夫なの?」
「ごめん。桜には言ってなかったけど、お父さんは実のお父さんじゃないの」
「え……! そうだったの!」
「うん。だから、全く気にしてない……って言うのも変だけど。むしろ良かったよ。あの人が来てから家の中は、めちゃくちゃでゴミ屋敷になったし、あいつの機嫌に振り回されたし。お母さんだって、あいつのために働き詰めててさ。昼と夜で別の仕事していたの。あいつは稼いだお金をほとんど競馬に使っていたから」
「ど……どうして……」
桜はそこまで言うと、ハッとしたように言葉を区切った。藍は驚きのあまり何も言葉が出てこなかった。
「どうして自殺したのか? 過労ってとこ。夜勤が多かった。それは会社側にも訴えた。それが今は答え」
「そうなんだ……」
「私ね。今度お母さんの実家に引っ越すことになったの。夏休み中に越す」
「実家どこなの?」
「隣の県だよ」
「……じゃあ! 転校するの?」
「うん。桜と藍には仲良くしてもらって感謝しているよ! あと二週間はこっちにいるからそれまでよろしくね」
それを聞いた桜は目を潤ませていた。それから、桜が先に別れると、愛莉は言いにくそうに藍に声をかけた。
「お父さん……陸上大会の日、藍の写真撮ってたんだ」
「えっ? 私の写真?」
「うん。カメラの中の写真を確認したら観覧席に座って藍の写真撮ってた……」
「えぇっ!」
「気持ち悪いよね? やっぱりロリコンだったんだよ。私とお母さん、ドン引き。死んで良かったよ。保険金も下りるしお母さんの実家に帰ればお母さんも楽になると思うし。藍もこれまで、ありがとう!」
嬉しそうに歩く愛莉に藍は違和感を覚えた。
(愛莉……嬉しそうだな……安堵したのかな……)
夕日を浴びた愛莉は、赤く染まりながら嬉しそうに前を向いた。
「あの人がいなくなってお母さんも私も、早紀も開放された。その上、お金までもらえるって最高だよね?」
愛莉は夏休み中に転校し、それから連絡は取り合っていない。
――
「藍?」
ハッとすると、藍はスケッチブックの上でうつ伏せで眠ってしまっていた。母が部屋の入り口に立っている。
「寝てるの? 着替えてもいないじゃない」
「……何時?」
「十九時よ。早く着替えなさい」
藍はスケッチブックを片付けると部屋着に着替えてリビングに向かった。
「疲れていたの?」
「わかんない。ボーっとしていたら寝ちゃってたみたい」
「そう。もうご飯よ?」
「はぁい」
夕食後。藍はお風呂を済ませ、ほてりを冷まそうとベランダに出た。まだ雨は降っていなくて肌寒い。隣のベランダから、煙草の香りがした。
「また、吸っているのか」
思わず呟くと隣から声が降ってきた。
「俺のこと?」
手すりからから隣の部屋を覗くと暗がりの中で三上が煙草を吸っている。その背後には黒い靄に包まれた生霊が憑いてこちらを見ていたので、藍は視線を空に移した。
「そう。三上君のことだよ。洗濯物にニオイが付いちゃう」
「はは。柔軟剤代わりに俺の煙草の香り」
「笑い事じゃないからね」
「ふー」
三上はわざと煙草の煙を藍に向って吐き出した。紫煙は夜空に溶けて消えて行く。
「体に悪いよ」
「関係ないだろ」
三上は煙草の残り香を漂わせながら姿を消した。彼の後姿の黒い靄は、夜の暗闇よりももっと漆黒の色をしていた。
四月十一日(木曜日)
翌日、深夜からの雨が降り続き、灰色の雲が空を覆っている。憂鬱な気持ちで傘を差して家を出た。通り沿いはサラリーマンなら黒い傘、女性は柄物の傘、子供はカラフルな傘で街や駅のロータリーが華やいでいた。駅に着いて傘を閉じていると桜が涙目で藍に飛びついてきた。
「昨日、稔君と喧嘩しちゃったぁ」
「えぇ。仲良し二人がどうしたの?」
「稔君てば、クラスに可愛い女の子がいるとか言うからつい怒っちゃった。挙げ句に、私は陸上部の部長がイケメンだとか余計なことまで言っちゃった。もお……最悪」
「桜。口は災のもとだよ。でも、仲直り出来るから大丈夫」
「そうかなあ。私がこんなんだから、その女の子のこと好きになっちゃうかもしれないでしょう」
「ならない」
「ならないかな?」
「よしよし、まずは、落ち着いて学校に行こう」
二人はホームに向かって歩き出した。
電車を待っているときだった。藍の隣にスーツを着たサラリーマンらしき男性が電車を待っている。だが、どこか様子がおかしかった。うつむいたまま一人でずっとブツブツと話し続け、白線を越えてホームのすれすれの場所に立っている。桜は延々と話し続けていたが、その声は頭の中に響いてきたサラリーマンの言葉ですべてかき消された。
「シネバラクニナレル」
藍はハッとして男性を見た。藍の視線に気づいたのか男性がこちらを向いた。目に狂気的な光が宿っている。
「回線が参ります。白線の内側まで下がってお待ち下さい」
アナウンスが流れたあと電車がホームを通過しようと入って来る。男性の視線は藍から離れて電車の方に映った。
「桜っ!」
藍は桜を引き寄せた。電車の轟音が響く。刹那、中年の男性が電車がホームに入る直前に線路に身投げをした。電車の急ブレーキ音の後、人々の悲鳴と混乱が駅の構内に溢れかえった。
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