第9話
七月二十日
終業式の日。太陽の照り付ける猛烈な暑さの中、校庭に全校生徒が集められて全校集会が行われた。校長先生が「夏休みは……」どうたらこうたらと延々と話しているのを藍はつまらなそうに聞いていた。
高学年の女子が貧血で倒れたのが見えて周りは「わっ!」と騒ぎになっていた。わざわざ校庭で話をしなくても、体育館でも、校内放送でもいいじゃないかと藍は心の中で毒づいた。
教室に戻ってからも関根先生から夏休みの決まりや宿題の説明と似たような話が続き、三時間授業で学校は終わった。本来ならば、友達と夏休み中に遊ぶ計画でも話しながら帰宅したいところだったが、運悪く冬樹君と日直だった。帰りの会が終わってから、黒板に日付と次の日直の名前を書き直し、今日のことを日誌にまとめた。
藍が日誌を書いている間に関根先生も職員室に行ってしまい教室には二人きりになっていた。冬樹君は相変わらず口角をひくひくさせながら笑っていて、生霊と二人して無言でこっちを見ている。思い切り「見ないでよ!」と言いたい気持ちもあったが、昨日の事が頭から離れず、とにかく見ないようにして日誌は適当に書いた。
藍は、日誌を冬樹君の机にバサッと置いて書く欄を指さした。
冬樹君は黙って頷いた。今日が終業式の日だったから日直の仕事が少なくて良かったが通常授業だったらイライラしただろうなと藍は思った。藍は昨日のことを先生や親に話したい気持ちでいっぱいだったが、話した後別室に呼ばれて説明し直したり、周りがオーバーに騒ぎ立てることを考えるのも面倒で誰にも話さなかった。
冬樹君の生霊が視えないように藍は黒板を丁寧に消したり窓を締めたりと他の作業を済ませ日直の仕事に集中した。
(一日中背中にお化けを付けてるなんて……どういうことなんだろ……)
いよいよ、自分の頭か目がおかしいとしか思えなくなってきた。
パタン、と音がしたので振り向くと冬樹君が日誌を閉じて文房具をしまっている。 藍は乱暴に日誌を取り上げた。
(やっと帰れる)
藍がランドセルを持って教室を出ると、いつの間にか真後ろにいた冬樹君がぎゅっと腕を掴んできた。
「離してよ……」
次の瞬間、冬樹君が思い切り顔を近づけて何かを言おうと口を開いた。藍は目を見開いて悲鳴をあげていた。
「近づかないでよ……!」
冬樹君は藍を半月の目でニタニタと見つめている。藍は腕を振り払うと廊下に駆け出した。 すぐ後ろを冬樹君が追いかけてくる。これまでずっと乏しい表情をしていた彼の眼に光が刺していた。藍の目は冬樹君の表情が変わったのを見逃さなかった。
彼に憑く生霊が背後で大きな靄を作っている。生霊は異様に小さな黒目で藍を睨みつけ大口を開けていた。青白い肌。黒い巨大な靄。冬樹君は予想外に足が速くて藍の真横を笑いながら走っている。藍は慌てて階段を下りたが、後ろを振り返った瞬間、冬樹君に両肩を掴まれて思い切り抱きしめられた。咄嗟のことで何もできなかったし、ものすごい力で逃げることも出来なかった。
冬樹君に張り付く生霊が背後から顔を覗かせて藍の目前に迫り視界を奪った。冬樹君はまるでキスをするかのように頬と唇を近づけてきた。藍があっと思った瞬間には、思い切り体が宙に浮いていた。すべてがスローモーションのように視界が溶けていき衝撃と共に視界が真っ暗になった。
目を開けると、そこは下の階の階段の踊り場だった。後頭部を打ち付けたのか、強烈な痛みが藍の思考回路を麻痺させ何も考えられなくなっていた。起き上がろうとしても手足が震えて動けなかった。藍の横にうつぶせに冬樹君が倒れている。背中の黒い靄は消えている。
藍は手にべったりと生暖かいものが付いていることに気付いた。踊り場は赤く染まり藍の周りをドロドロしたものが流れて行く。それは、冬樹君のパックリ割れた額から流れ出た血だった。額から脳みそが飛び出していて壁や藍に飛び散っている。遠くで先生の声と複数の足音が聞こえたとき、藍は失神した。
その後は先生達が階段に駆けつけて二人は救急車で運ばれた。病院で診断してもらうと、藍は急性硬膜下血腫を起こし脳内で出血を起こしていた。危うく手術になるかというところだったが、点滴で出血は抑えられ、二日で退院することができた。
入院中に学校と警察からいくつか聞かれたことがあったが、藍が「階段で冬樹君に抱き着かれて驚いて逃げようとしたら階段から落とされた」と正直に話すと誰もが涙目で心配そうに藍の話を聞いた。誰からもそれ以上深くは追及されなかった。
結局夏休みは家で療養している間に終わってしまい友達とは一日も会えなかった。事件は地元のローカルニュースや新聞では報道されたものの、大きなニュースにはならなかった。今調べても情報は何も出てこない。両親は藍が学校に行くのをかなり心配していたものの家にいるのにはすっかり退屈していた。
夏休みが明けて始業式の日に学校に行くと冬樹君はあの日に亡くなったことを知った。それまで冬樹君がどうなったのか両親から聞くことが出来ずにいたので、冬樹君が死んでで、もう会うことが無いとわかると心の底から安堵した。
友達曰く冬樹君は打ち所が悪く即死だったそうだ。藍の方が下敷きにされたにも関わらず冬樹くんの方が打ち所が悪かったのも不思議だが血だまりや脳みそが飛び出していたことを考えたら死んでしまったことには納得がいった。夏休み前日の事故で、事件の内容や親御さんの意見も尊重されてお通夜やお葬式にはクラスの友達は誰一人として参列していなかった。
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