第6話

 あれは、藍が幼稚園生の年長だった頃。秋が終わり、気温がグンと下がって陽が落ちるのが日に日に早くなっていた頃だった。習い事を終えた藍はマンションの近くの公園で友達と隠れん坊をしていた。


 保護者は一か所に固まって話に夢中で「見えるところで遊んでね」と言いながら子供の方を注意深く見ていなかった。藍は公園の端の方にある木陰に身を潜ませた。そこはかなり暗くて簡単には見つからないだろうと思ったのだ。木の葉の間から友達の様子を確認すると滑り台のある大型遊具の付近に隠れた子が見つかってはしゃいでいる。 


(早くこっちにも探しに来ないかな)


 一人でちょっと不安になったその時だった。強烈な異臭が藍の鼻を付いた。思わず呻いて後ろを振り向くと中年の男性が藍の後ろに四つん這いになって迫ってきた。明らかに浮浪者で髪や髭が伸び放題。作業着のような服はズタズタで膝には穴が開いている。男性は怖い顔で藍を睨んでいた。驚きのあまり藍は男性を凝視した。 

 

 男性の背中には黒いもやが乗っており、まるでおぶさるような格好で背後に生霊が憑いている。この時、藍が生霊を見たのは二度目でその時は『お化けだ!』と思った。生霊は白目を剥き出し、大口を開けユラユラと男性の背中で揺れている。暗がりの中、藍は恐怖で動けなかった。


 風がザアッと木々を揺らし木の葉が舞い上がる。藍が我に返り悲鳴を上げようとした瞬間、思い切り口を押えられてその場に押し倒された。


「みぃつけた」


 藍はもがいて逃げようとしたが子どもの藍にはどうすることも出来なかった。


「おじちゃんと一緒にいこう」


 しゃがれた声と強烈な口臭。男性の歯はほとんど抜けてしまっていて、数本生えている歯は黄色く変色している。病気なのか片方の目は白濁している。藍が驚きのあまり動けずにじっとしていると、スルリと服の中に手が入って来た。髭だらけの顔で頬擦りされ、男の唇が藍に近づき思わず恐怖のあまり藍が失神しそうになった時に友達の声が聞こえた。


「ママ! 藍ちゃんが変な人に捕まってる!」


 保護者達が一斉に駆けつける前に浮浪者は藍から手を離して逃げて行った。母は藍の無事を確認してからすぐに警察を呼んだ。

 母は、目を離したことを何度も謝りながら泣いていた。藍はしばらく放心状態で呆然とし、家に帰ってからやっと声をあげて泣くことが出来た。この経験がきっかけで人間は本当の恐怖に直面すると泣くことはおろか悲鳴もあげられないのだと知った。


(私に何をしようとしていたんだろう?)


 考えても答えは出なかったし、両親は藍を気遣って、あの浮浪者の話は藍がいる前では一切出さなかった。


 それからしばらくしてから、あの時の浮浪者が川で遺体となって発見された。

 両親が深夜にこっそりとベッドの上で話している所を藍は聞いた。


「自殺だったのか転倒したのかはわからないけど、橋から落ちて下流で遺体は見つかったみたい」

「水かさは浅い川だけど、冬の川だったからな。これでひとまず心配は減ったけど、これからも藍から目を離すなよ」

「わかってる」


 両親は浮浪者の死に安堵し喜んでいた。


 両親はこの事件でひどく心を痛めたらしく、しばらく過保護に育てられた。藍は両親にお化けを見たことを言い出そうか悩んだものの結局言い出せないまま今に至っている。


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