第4話 青い傘は

 もの凄く強い力に身体が引きずられる。


「なに!? 待ってサヤカ!!」


 突如として起こった現実に足の踏ん張りが利かない!

 そのまま引っ張られて傘の骨組に当たるとギュッと目を瞑れば、痛みは終ぞやって来なくて、腕の掴まれていた感触も消えていて、恐る恐ると目を見開くと。


『……え? ここ、どこ……?』


 ペタンと座っている場所は、見回す限り一面の青。

 震える手であちこちを触ってもポヨポヨと跳ね返されて、まるでグミの上にいるみたい。

 暫く呆然としていたけど、ハッとして彼女の名前を呼ぶ。


『サヤカ! サヤカ!? いないの!?』

「いるよ」


 聞こえた声の方へと顔を向けると、そこには私が居た場所に立って、見上げているサヤカが……いた……。

 私の居た、場所。


『サヤカ……?』

「あっはは。そうだよね、分かんないよね! 今ショーコね、アタシが居た場所にいるんだよ!」


 サヤカが居た場所。……傘の内側!?

 何で、どうしてこんなこと? だってサヤカは、彼女は私の想像の産物じゃ……じゃ、ない?


 ザァっと青褪める私を、サヤカは笑って見ている。


「もうさー、あのまま中に居ても良かったんだけどね。何年も閉じ込められてたから諦め入ってたんだけど、諦められなくなっちゃったから出て来たくなっちゃって! ぜーんぶショーコのおかげ!」

『わた、私の?』

「そう! 実はアタシもね、ショーコみたいに暗ぁい子供だったの。人と話すことが苦手で、いつも一人でいた。仲良く話したい子がいたからアタシも当時のアタシにそそのかされて、傘の中に閉じ込められちゃったの。アタシはそんな気なかったんだよ? でもね、洋平が話しているの聞いてたら、諦められなくなった」

『洋平……?』


 呟いて、ハッとした。

 洋平。相楽先輩の、下の名前。相楽 洋平。


『……まさか』


 サヤカはゆるりと目を細め、ゆっくりと口を開いた。



「ショーコ。私ね、サヤカって言うの。――山川 清香」



 あぁ、と絶望が襲ってくる。


「迷惑なんかじゃなかったよ。構ってくれることが嬉しくて、素直に話せなかっただけ。洋平とショーコみたいに、話したかっただけなの。騙されたの。ずっと青ばっかりの世界でおかしくなりそうだった……ううん、もうおかしくなってた。だからショーコと、人と久しぶりに話せて、すっごくテンション上がっちゃって。話せるだけで良かったのに」


 世界が揺れる。

 見下ろすサヤカ……清香の傘を持つ手が、震えている。

 笑っている。清香は笑っているのに、その目から涙を流している。


「あれから何年も経ってるのに。洋平がアタシのことを覚えてたの。ずっとアタシのことで苦しんでた。嬉しかった。心の中にアタシという存在がいること。諦めたくないって思ったの。ショーコがいなかったら、ショーコと仲良くならなかったら、こんなことにはならなかったの。ショーコと、話さなかったら……っ!」

『清香……』


 聞いてしまったから。

 相楽先輩との会話さえ聞かなければ、彼女はずっとこの世界に生きることを選んでいたのだろう。

 人柄の良い先輩が気になっていた人。今でも忘れられない人。そんな人が、悪い人の筈がない。


 頬を涙が伝う。

 私は、相楽先輩に何も言えなかった。思った。サヤカなら、何て声を掛けるだろうって。


 私は涙を流し続ける清香へと、震える口を引き上げて微笑んだ。


『残るよ、ここに』


 清香が目を見開く。


「ショーコ?」

『私はあの時、先輩に何も言えなかったの。でもサヤカなら、きっと何かは言っていたんだろうなって思ったの。相楽先輩の苦しみを取り除けるのは、清香、貴女しかいない』

「ショーコ……っ」

『だからいいよ、清香。行って、今度はちゃんと素直に先輩と話してね? わた、私は平気! だって清香がずっと居れたんだよ? 私、私だって大丈夫だよ! ……ただ、』


 向こうの世界で降り続ける雨のように、二人の瞳から溢れる滴も落ち続ける。


『ただ、たまにはこうやって、会話してほしいなぁっ……』

「……ごめん。ごめんなさい、ごめんなさい祥子……っ!」



 青い世界でただ、二人だけ――……。





◇+◇+◇+◇+◇+





 一人、俯きながら歩く頭が見える。

 仕方がないなぁと苦笑して、大きく口を開けた。


『おーい!』

「え? ……わあっ!?」


 声の出所を探して見上げてくる顔が、驚愕に染まって悲鳴を上げる。

 私は笑って、その少年へと再び声を掛けた。



『じゃっじゃーん! 私、ショーコって言うの! 青い傘の妖精だよ!』




 ――青い傘は、孤独の覆い。


 ――すべて呑み込み隠してしまう。

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青い傘 小畑 こぱん @kogepan58

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