第18話 幸福の味

 2週間ほど経過した。調査隊はすでに解散し、逮捕となったニコル・ハントは宇宙連邦の警察に送られた。レプレコーンも彼女の持ち物から発見され、無事に柴崎のもとへと帰還した。それ以外の隊員は地球に帰って行ったが、カペリウス隊長だけはミューズ26に残り、レイトン提督を手伝い、忙しく働いていた。今日はその中でも一番大事な件で、レイトン提督と出かけていた。

 水の引いたデポリカの街は、巨人ロボットブラックジャガーによって、大きな瓦礫がもうすでに取り除かれ、今は汎用作業用ロボットアンテックが数百体展開し、小さな瓦礫や土砂を取り除く作業に入っていた。ハニカムタンクに避難していた住人も、ガレキの片付いたところから家に帰り始めた。そんなアンテックや避難民の頭上を通り、カペリウス隊長やレイトン提督を乗せたホバーが飛び立っていった。ホバーは、海の進撃の爪痕が残る平野を過ぎ、進撃を逃れた東の大地へとスピードを上げた。そして、ファロラピスの王国へと降り立つ。あの突入部隊の破壊した城壁は働きアリたちによってすっかり修復され、正面のゲートには、もう迎えのソフィーとステラが待っていた。

 ソフィーは事件の後、王国に戻ることとなり、ステラはマルセルの始めた交流ゲートを使って、毎日のように訪れ、ソフィーと会いながら自然研究院の仕事を続けていると言う。ソフィーが告げた。

「ファロラピス女王は、宮殿の謁見室でお待ちです」(謁見室)

 ソフィーとステラ、カペリウス、そしてレイトン提督は、静かに王国へと入って行った。驚くのは、この間、あんな事件があったのに、なんの緊張感もない、どちらかと言えば歓迎してくれるアンテラス達の態度であった。みんな、いつもと変わらず礼儀正しく接してくれる。

「今、女王からの声が届きました。特別に、セオドア・フォスターの見学を許すそうです」

 実はセオドア・フォスターも謁見の許可を求めて王国に来ていたのだが、今の今まで謁見の許可は下りなかったのだ。

 そして一行は六角形に仕切られた王国の中を結ぶ道を進んで行った。あの巨大昆虫の飼育場を過ぎ、養蜂城を越え、さらにあの戦いの行われた巨大なピラミッドのような薬品塔や瞑想場へと進んで行く。生命神官のトゥリオス、精霊神官のネイスが出てきて、一向に敬意をあらわし、静かに挨拶をする。

 そして兵アリの五角形の建物を少し緊張して通り過ぎると、あの三角形を二つ合わせた六芒星の敷地の宮殿だ。

貴族アリと番兵のアリに案内されて、控えの間に進む。そこで待っていたセオドア・フォスターに見学が許されたと告げると。彼は全身を打ち震わせて神に感謝した。

そして女王の謁見の間に通じる長い廊下に初めて入る。不思議な形の7つの扉を順番に通り抜けて進んで行く。通ってみて初めて分かる。

「これはセキュリティのための扉と言うより、聖なる扉なのだ。それぞれの象徴図形をくぐることにより、魂の穢れを払い、精神を一つ一つ高めて行くのに違いない」

カペリウスは澄んだ心で最後の扉につく。

最後の扉は、あの女王しか使えない三角形を二つ組み合わせた六芒星の形をしていた。緊張感を持って最後の扉をくぐる。

「ほう、この気高い香りは…」

それは女王用にブレンドされた、心にも体にも良いとされる特別な香の匂いであった。そこは天井が高く、とても明るい。女王の謁見の間、女王がお付きのアリたちと一行を待っていた。間近で見ると、その高貴なオーラを纏った長身の女王は、息が止まるほどの迫力と存在感を持っていた。実際には2mを少し超えるぐらいだが、その何倍も大きく見える。その胸には女王だけが使える、六芒星の青い宝石をきらめかすペンダント、アンテラスの養蚕の技術で作られた絹のガウンをまとい、その頭には、たおやかな銀色のティアラを輝かせていた。

そして、驚くことに女王は、流暢な人間の言葉で迎えてくれたのだった。

「このような遠いところまでよくいらっしゃいました。私が女王のファロラピスです」

「?!」

みんなその見事な女王の話しぶりに驚くしかなかった。女王はあの人類の科学を取り入れた風力発電でパソコンを動かし、ソフィーの導きによってここ何年か人間の言葉を、人類に対するコミュニケーションの技術まで学んでいたのだ。

「そこに来ていただいたセオドア・フォスターさんがすばらしい辞書を作ってくれたおかげで、わたしも人類の言葉がわかるようになりました、心からお礼を申します」

「女王陛下のお力になることができて、これ以上の幸せはございません」

まさかの女王の言葉に、セオドアはひざまずいて涙した。

そして客人のために、あのサボテンや、フルーツ、薬草を使ったジュースがふるまわれ、話は早速、今日の本題へとはいっていった。

「王国を襲撃すると言う、絶対起こしてはならない事件をおこし、それでも私たちに会ってくださると言う女王に敬意を払ってもはらいきれない私たちです、まずは提督から、お詫びの言葉がございます」

カペリウスの言葉にレイトン提督が、心からの深い謝罪を述べた。

「…ありがとうございます。でもあの時、提督も地下の医務室に連れ去られ、カペリウスさんも、警備隊に襲われて長い時間、眠らされていたのを私は知っています」

「いいえ、私たちの力が及ばず、あの忌まわしい事件を止められなかった。私からもお詫びします」

カペリウスも深く謝罪した。

「当然と言えば当然ですが、女王の方から、人間とアンテラスの交流を考え直したいとの申し出があったわけです。私たちは、最大限の努力をするのでどうか今のまま交流を続けたいとお答えしました。すると女王は少し最終決定までの時間がほしいと述べられた。今日、私たちはその最終決定をお伺いするためにここに来ました。どのような答えが出ても私たちはそれに従います」

すると女王から信じがたい話が飛び出した。

「最終決定をするにあたり、ソフィーに協力してもらい、そこにおられるセオドア・フォスターさんが編纂した膨大な辞書の力を借り、人類の歴史から、あなた方がなぜこの星に来て開拓をしようとしているのか私なりに学び、考えてみました」

そして女王は女王の部屋のパソコンを使い、人類の進化や歴史に関する数冊の本を電子版で取り寄せ、読破してしまったと言うのだ。その本はどれもけっこう分厚い本格的な本で、よほど高度な翻訳技術や読解力がなければ人間でもものにできない内容であった。それをこの2週間ほどの間に読破したと言うのだ。さすがのカペリウスも最初は信じられなかった。でも、女王は確かに流暢な人間の言葉で話してくれている。セオドア・フォスターの辞書があるにせよ、人類よりはるかに知能が高いと言うのはこう言うことなのか…

「人類も2万年ほど前までは、地球全体で数万人しかいなかったそうですね。その頃は狩猟採集生活を送っていて、私たちと同じように森の中などに住んでいたと。そのころの人類は気候が不安定だと、獲物の量が減り、飢えていることの方が多かったでしょう。また獲物を求めて縄張り争いも絶えなかったことでしょう。ところが人類は飢えをしのぎ、豊かな生活をするために、次々といろいろな工夫を試みた。農耕を始め、それを大規模に行うことにより、王国を打ち立てさらに農業革命、産業革命、そして科学技術を発展させた。でもそれで、飢えはしのげたでしょうか?はなはだ疑問です。なぜなら、人類は少し豊かになるとその分人口を増やしてしまうからです。そしてまた人口が増えた分、食料は足りなくなり、次なる飢えや戦争が訪れるのです」

思慮深いカペリウスも、まさか異星人に人類の歴史を聞くことになるとは思っていなかった。だが、カペリウスは素直に女王の言葉に耳を傾け、質問した。

「アンテラスの人口は人間のようには増えないのですか?」

「人類と私たちを比べることはあまり意味があるとは思いませんが、アンテラスは、一人の女王がその環境に会った適正な人口を割り出し、その範囲内でしか卵をうみません。人口のことだけを言えば、我々はここ数万年、人口が大きく増えることも大幅に減少することもなかったようです」

「ほう、アンテラスにも、歴史書があるのですね」

「もちろんありますが実は…」

ここで初めて分かったのだが、アンテラスは確かに図形をもとにした高度な文字を持っているのだが、女王だけは別の記録方法で歴史を受け継いでいると言う。

「私の頭にあるティアラをご覧ください」

「?!」

実は歴代の女王は死ぬときに「霊針」という針を残すと言う。実はこの針は種子のような細胞であり、中に語り継がなければならない重要な記憶が残されているのだと言う。それでティアラを造り、頭に取り付けることにより、細胞が活性化し次の女王に重要な記憶が受け継がれると言うのだ。

「受け継いだティアラの記憶によれば、この1万年ほどは、アンテラスの文明は大いに発展しましたが、大陸全体の王国の数も、王国の規模もたいした変化はありません。つまり我々の人口はほとんどかわっていないと言えます」

「なるほど…」

「人間は冷害や干ばつをいろいろな技術で克服し、「土地を開墾して広くしたり、品種改良を行って収穫を増やしても、その分人口を増やし、次の問題を造ってしまうようです。数万人だった人類の人口は今では100億人を軽く越えた層ではないですか。食料だけでなく、エネルギーや鉱物なども足りなくなって当然です。そこで1つの解決法が戦争、そしてもう一つの解決方法が新天地への進出、開拓だと本を読んで思いました。人類は増殖を続け、隣国へ侵入し、さらに海を越え、他の大陸に活路を求め、そこでも人口をさらに増やし、ついには自分の澄んでいる惑星でも足りなくなり、宇宙のあちこちで惑星開拓を始めてしまった。そして私たちの惑星にも来てこのままでは際限なく増殖するかもしれない。今はこの惑星の伝染病のおかげで、大勢の人々が引き揚げて行き、人類とアンテラスは共存し、おだやかな交流を持っています。しかしこのまま開拓が広がるようなら、われわれもあなた方に敵対する存在になるかもしれません」

「おっしゃる通りです。わたしにはひとつも反論するところはないようです。では、女王は、我々のパソコンの技術を使って、学ばれたようですが、人類の科学技術についてはどう思われますか?」

「確かにすばらしい、でも、交流の役に立っても、特に王国に取り入れる必要も感じません。科学技術はとても便利だけど、その結果生まれるはずの時間や豊かさはどこにあるのですか。人間はその時間や豊かさをさらなる拡大のために使いきってしまう。そんな歴史の繰り返しではなかったですか?」

人間はなぜ開拓をするのか、その根本から問い正す女王の言葉はカペリウスの胸に刺さった。

「でも、大きな目で見れば生物が色々な環境に適合し、どんどん生息地を広げて行くのも、自然の摂理かもしれません。人間の宇宙への進出も私には否定できません。でもそうだとすると、問題になってくるのは何だとお考えですか?!」

するとカペリウスが、即座に答えた。

「我々とアンテラスが出会うことが、双方にとって大きな価値があるかと言うこと、人間とアンテラスの交流で、双方にプラスになる、しかも創造的な、お互いを高めあって行くような新しい何かが生み出せるかどうかと言うことではないでしょうか?!」

話は核心部分に迫って来た。今度はレイトン提督が、人類がアンテラスの活動を決して邪魔しないような新しい惑星法の草案を提示した。

「この法案では、交流をさらにすすめる半面、開拓の範囲、方法、等に厳重な規制をかけ、開拓地の面積や開拓民の人口がこれ以上増えないような様々な工夫が盛り込まれています。私は、あなた方のような自然と共生し、何万年もに渡って持続可能な生産システムを確立し、高い精神文化を持っている種族とけんか別れになるような事態は全く望んでいません。今回ばかりは宇宙連邦も暗躍の罪を認め、新しい惑星法の制定に前向きになっています。そしてこの惑星法の制定を条件に、開拓停止の決定を、無効にすると約束してくれました。この惑星の開拓民の1部は退去し、同時にまた新しい住民もやってきて、あなたたちとの交流を続けようと言うことなのです。いかがでしょうか」

提督は紙に印刷された草案を女王に手渡した。するとファロラピス女王は驚異的なスピードでそれに目を通し、いくつかの質問をして、深く考えていた。

「よくかんがえてありますね。これだけのものをよく短時間で仕上げたと思います。人類が我々との交流を続けたいと言う意欲がしっかり伝わってきます」

「…ありがとうございます。」

そしてテレパシー能力のある女王はカペリウスやレイトン提督の精神波動を感じ取り、次のように述べた。

「…少なくともあなたたちは、クィーンゼリーだけがねらいで動いているような人物でないことはしっかり伝わりました」

そうなのだ、政治的な駆け引きは通用しない。高い精神能力を持つ女王荷は、知恵と誠実さだけが通用するのかもしれない。すると女王は今一度聞いてきた。

「間とアンテラスの交流に、創造的な、お互いを高めあって行くような価値はあるのでしょうか?!」

もちろんはちみつや農作物などの公益、発電設備、パソコンや言語を使っての文化的交流など、いくつかの事柄が頭にはすぐ浮かんだ。でも、カペリウスもレイトン提督も、女王の求めているのはもっと創造的な、素晴らしい価値を生み出すものをいっているのだと感じた。なぜならば、人類の持つテクノロジーは、交流には必要だが、アンテラスの持続可能な生活システムにはなんら寄与しないようなのだ。接してわかることは、彼らの眼には人間の科学力などはリスクをもたらす余計な存在でしかないということだ。双方がプラスにはならない。このままではもう少しで、女王の口から、交流を終わりにしたいと言う言葉が出てきそうだった。だが、カペリウスは、そこであることを思い出した。一か八かで最後の手段に出ることにした。それは黒川が、何かの役に立ったらと、地球に帰る前にカペリウスに託したものだった。

「ファロラピス女王、実はあなたにお見せしたいものがあります。わが調査隊の隊員だった黒川と言う男が女王様にと…」

カペリウスは、手荷物から、あるものを取り出したのだった。

その頃、黒川は、中央医療センターにいた。今は外科の手術が終わり、午後の勤務がひと段落し、ちょうど一服といったところだ。あの事件をきっかけに黒川は考えるところがあり、病院側と話し合い、勤務体系を変えたのだった。今日のように、病院に出てくるのは週2日、その間に集中して手術を行う。完全な休日は土日だけだが、あと3日は自宅で手術のコーディネートや事務仕事を行う。自宅勤務だ。多少丘陵は下がったが、とてもゆったり充実した時間を過ごしている。

実は、調査隊が解散した時、黒川は小百合にこう申し出た。

「…今回の件で、君がいかに優秀なメディカルエンジニアであることが分かった。そこで相談なんだが、この春からうちの病院では、機械に強いスタッフが足りなくなり、探している状態だ。君とまた一緒に働けないだろうか?別に今のアートの仕事だってそのまま続ければいいし…」

すると、小百合は少し考えてからこう言った。

「そうですねえ。私は、メディカルエンジニアもアートの仕事も、やるならばきっちりやりたいから、両方やるのは無理かなあ…。それにあんまり忙しいと、家族とすれ違いが多くなるのも嫌だし…」

小百合は、やんわりと断ってきたのであった。

「そうか、君は仕事のパートナーとしても最高だと思ったんだけどな。残念だ」

でも、小百合はほほ笑みながら続けた。

「がっかりしないでください、実は私、黒川さんの最高のパートナーに心当たりがあるんです。よかったら連絡をとって、明日にでもお連れしますよ」

小百合はなぜか詳しく語ろうとしなかった。一体どういうことなんだろう?次の日、まさかの人物が病院に現れた。あの調査隊のロボット技術者、柴崎であった。復活したレプレコーンがポケットから顔を出して、久しぶりと挨拶をしてくれる。

「…というわけでね、きみにどうしても合わせたい人がいるのさ」

柴崎に呼ばれてドアから入って来たその人物を見て、黒川は息がとまるほど驚いた。

「ハロルド、ハロルドじゃないか!」

子どもの頃、いつも黒川とジャックとともに歩んできた愛犬ラッキーのハートを持つアンドロイド、ハロルドではないか?あのなり代わりロボットのラルフ・ゴードンに殺されそうになった時、体を張ってみんなを守り、砕け散ったハロルドではないか?!

「ハロルドはねえ、ラルフにやられたボディはもうどうにもならなかったんだが、人工知能は難を逃れたんだ。ボディをすべて新しいものに取り換えて復活、汎用アンドロイドとして登録できたから、ここの病院でも勤務できる、どうかな、君の仕事場のパートナーとして?!」

ハロルドはいつもと変わらぬさわやかな笑顔で言った。

「黒川さん、いかがでしょうか、よろしければお邪魔にならないように精いっぱい頑張ります」

黒川は、ハロルドの両肩に手をおいて、こみあげる熱いものを感じながら告げた。

「断る理由は何もない。お願いだ、病院で一緒に働こう!!」

そう、小百合が自分の代わりに進めてくれたのはハロルドだったのだ。

そういう経過を経て、この病院のスタッフとして勤務しているハロルドが、くつろいでいる黒川の部屋にノックして入って来た。

「コーヒーをお持ちしましたよ。エチオピアのキリマンジャロのいい豆が手に入ったので、プロの選別・焙煎・抽出技術をダウンロードして、私がフライパンで焙煎して、ペーパーフィルターで入れてみました」

「うん、たまらないいい香りだ。またちょうどいい時間に持ってくるねえ」

黒川は満足そうな顔でほほ笑んだ。ハロルドは今、病院での機械・事務関係のサポートを全面的にやってくれている。病院で必要な機械操作やメンテナンスの仕事のスキルもすべて学習が終わり、特に報告書の作成のスピードや綿密さは驚くしかない。黒川のもともとの好みや価値観を良くわかっているので、黒川の本当に喜ぶことをさりげなく見つけ、実行してくれる。キチキチでもダラダラでもなく、少し余裕を持ったタイミングがちょうどいい。なんでも気さくに相談してくれるし、わかっていることは何でも黙って片付けてくれる。まかせて安心だ。

「いやあ、香りはいいし、すきっとした透明感のあるコクと後味のほろ苦さが絶品だね」

なんといってもフライパンで手間をかけて焙煎してくれたコーヒー豆だ、いつもよりずっとおいしい気がする。

「満足していただいて、私もうれしいです」

ハロルドはそう言って、ほほ笑んだ。黒川は、ふと浮かんだ疑問を素直にぶつけてみた。

「君も、とても幸せそうに見えるよ。ロボットにも幸福感ってのはあるのかい?!」

するとハロルドは黒川の表情やしぐさから、冗談で言っているのか、まじめに聞いているのかを読み取り、答え始めた。

「人間一人ひとりにそれぞれの身に多様な欲求や解決しなければいけない問題があります。私の問題発見解決型の人工知能がそれを読み取り、周囲の状況に合わせて達成度目標や優先順位をその都度決めて、一番効率よく実行します。うまく達成できたかどうかもリアルタイムに評価し、たとえば、今のように満足そうにコーヒーを飲んでいただければ、達成度の数値は跳ね上がり、それが何度も続けば、私の感情表現も明るくなるわけです」

「なるほどね…」

「達成度の高い状態が続くと、人工知能のストレス値も下がり、わたしもいつも笑顔でいられます。これって幸福感なんじゃありませんか?!」

「…そういうことなんだ…」

黒川は、満足そうに最後の一口を飲み干した。

「よろしければ、キキュロがもう自動タクシーをとってありますので、いつでもお帰りになれますよ」

「ありがとう、じゃあ、そうするかな」

黒川は鼻歌を歌いながら帰り支度にはいる。

「あら、黒川先生、おかえりですか?!この頃は、たまに病院に来たと思っていたら、すぐ帰っちゃうんだから、もう」

受付のお茶目なエミリさんが意味ありげにほほ笑む。

黒川は自動タクシーに乗り、帰途についたのだった。

口の中が渇いた感じがして、カペリウスはあのサボテンジュースを一口飲んだ。目の前では、女王が渡された包みをそっと開けていた。その手元をソフィーもステラもじっと見ていた。ただならぬ緊張が辺りを包んだ。レイトン提督は、人類との交流がこれで終わるのかと、なかばあきらめムードであった。一体黒川は、何をカペリウスに託したと言うのであろう。

「…あら、この金属製のものは一体なんですか?」

女王が聞いた。中からは缶詰がふたつ出てきた。カペリウスが作りたての味を百年間保存することのできる缶詰だと説明した。

缶づめ…?!レイトン提督は、食べ物で女王の機嫌をとることができるものかと、さらに不安になってきた。

「どうぞ、お召し上がりください…」

カペリウスは封印シールをゆっくりはがす。すると、缶詰全体が自動的に開封され、付属の銀のスプーンも取り出せる。

「へえ、便利。よくできてるわね」

「パッケージのデザインもとってもかわいい」

ソフィーとステラも顔を見合わせた。一体何なのだろう、どきどき、ワクワクする。

「黒川さんからのメッセージがあります。マルセルアンナの限定品のプリンです。どんな材料が使ってあるかわかりますか。楽しんでお召し上がりください」

この大事な交渉の場に、黒川は何を考えているのだろう?女王はそもそも人間のスイーツを食べることができるのだろうか?

「…ありがとうございます。さっそくごちそうになります」

もともとクィーンゼリーなどを食べている女王には、やわらかなプリンは問題がなかったようだ。銀のスプーンですくって、一口食べてみる女王。

「あら、これは…」

女王は黙って、2さじ、3さじと口に運ぶ。

ステラが興味深げに見る。

「ふうん、切り口が…。中が層状になっているんだ?!」

このプリンもあのマルセルが発明して特許をとった、多層プリン製造気によって一瞬で積み重ねられた芸術品らしい。

「いろいろな味が混ざり合って…あら、この味は…?」

女王のスプーンが止まった。人類をはるかにしのぐ嗅覚を持つアンテラスだが、味覚はどうなのだろう?

「わが王国の蜂蜜、しかも花の一番いい時期に撮った、最上級の者だわ…。花の種類もわかる…素材の味を生かした…絶妙な…しかも口の中でいくつもの味が、食感がまじりあって、音楽を奏でるような味覚が広がります…」

女王は味覚も優れているようだ。だが、予想しなかったことがさらに起こった。感情によって色の変わる女王の瞳が、冷静な青から透き通るような青に、そして金色の輝きを宿して来た…。女王の超感覚に何かの映像が浮かんできたのだ。

「…なぜかしら、王国の周囲の森を歩く風景が見えてきます、黄色や、白、赤や紫、森の中の様々な花が、草原の咲きほこる花畑が見えます。そして飛び回る虫たち、王国で働くわが民、働きアリたちも心をこめて世話をしています。そしてそのとろけるような蜂蜜を使って、人間のふとった男と小柄な女が心をこめてひたすらにプリンを造っています。それと同時にたくさんの笑顔が重なって見えてきます…。この小さなスプーンの一口の中にかぞえきれない思いが凝縮されている…」

そしてしばしの沈黙の後、女王が言った。

「…とても…おいしいです」

瞳を透き通った金色にまばゆく輝かせて、女王が食べ終わった。見事な完食だった

カペリウスがレイトン提督に目をやった。レイトン提督もうなずいた。もう、これ以上引き延ばすこともない、答えを聞こうと覚悟した。女王が言った。

「これは誰が作ったのですか?」

「…マルセルとあんな…。交流ゲートを初めて超えた勇気ある男とそれを支えた妻です。マルセルは伝染病で亡くなりましたが、妻が店を引き継いでいると言うことです」

「王国の素材の味を存分に生かしながら、複雑な風味と食感を奏でるこのプリンは200年近く生きてきた私にも、まったく新しい始めての体験であり、創造もできなかった豊かさです」

女王が予想以上に喜んでいるのがみんなにも伝わった。レイトン提督が緊張して女王を見つめた。女王はソフィーやステラに目をやり、ほほ笑みながら言った。

「本当においしくて、みんなにも食べてほしいけど…缶詰はあと一つしかないわね…。というか、もしここで交流をやめたら、王国の蜂蜜も、このお店に届かなくなって、この味は永久に途絶えてしまう…」

そして女王はレイトン提督に向き直って行った。

「今、決めました。このような食べ物でも交流によってこんな素晴らしい豊かさを生みだすことができるなら…ほかのことにも期待が持てます。提督の示された新しい惑星法が守られるなら、可能性にかけて、交流を続けましょう」

「有難うございます」

提督もカペリウスもほっと胸をなでおろした。

「わたしは…」

セオドア・フォスターは深く反省していた。

「私は、ただ一方的に女王にすがっていただけだった…。人間とアンテラス、双方にプラスになることでなければ、うまく行くはずがなかった…。浅はかだった…」

カペリウスがもう一つの缶詰を取り上げて女王に差し出した。

「残りの缶詰も、もちろん女王がお持ちください。百年持ちますから…」

「はい、そうさせていただきます」

女王はとても喜んでそれを受け取った。マルセルアンナのプリンは、またみんなを笑顔にしたのだった。

黒川を乗せたタクシーは、川沿いの道へと走って行く。夕暮れ間近の雲が金色に輝く。

「おや?」

キキュロがメールが来たと知らせるのでそのサイコロボディを見ると、「今日は、時間がばっちりとれました。二人だけの庭で待ってます」とあった。

やがて自動タクシーは川沿いの道を静かに走り、あの芸術家のアパートメントの前で止まった。

「ただいま」

「おかえりなさい」

ドアを開けると紅茶のいい香りがした。

「おや、もう用意ができてるのかい?」

にこっと笑って出迎えたのは小百合だった。

「キキュロが、予想到着時間を送ってくれたからそれに合わせたの。ばっちりだわ」

黒川はお茶が抽出し終わるわずかな時間にさっと着替えて小さな包みを持って出てきた。そのまま二人はドアを開けて庭に出た。時間がとれた、そう二人だけの庭だった。初夏の日差しも傾いて、川から涼しい風が吹いていた。庭の隅に並べられたバラがちょうど先ごろで、優雅な香りを振りまいていた。白井氏は自慢のティーセットを庭に運び、黒川とテーブルに着く。

黒川は地球に持って帰っていたマルセルアンナの残りの2つの百年缶詰を取り出し、一つを小百合に渡した。

「さあ、宇宙一美味しい、マルセルアンナの百年缶詰だぞ」

黒川がそう言うと、小百合は改めて聞き直した。

「…そんな大事なもの、マルセルさんの命がアンナさんの愛がこもったものを私が食べちゃっていいのかしら?」

木立を揺らす川からの風に吹かれ、黒川は答えた。

「こんな素敵な夕暮れ時に、二人だけの庭で、君の入れた紅茶とともに食べないで、いつ食べるって言うんだい?!」

すると小百合はにこっと笑った。

「…ありがとう…いただきます」

そして二人は、庭に誰も入ってこないのを確認すると、邪魔が入らないよう電話やネットもすべて切ってしまった。そして、楽しそうに調査隊の思い出を話しながら、紅茶とプリンを味わった。

そこには、二人だけの庭があるだけ。ハロルドやキキュロたち沢山のロボットたちが作ってくれたこのゆったりした時間や豊かさをこれからは存分に味わえるなら…。

「あの太っちょのマルセルの笑顔が浮かんでくるよ。いろんな思いが、味や食感がながれだしてくる…」

「すべてが…すべてがおいしいわ」

そう言って小百合は黒川を見つめた。

思えば、今回の調査隊の行程で黒川と小百合はいつも一緒だった。始めて巨大生物を見た時も、あのヒポタスで走った時も、いつもそばに小百合がいた。ソフィーに会いに行った時も、マスターの店に行った時も、ラルフと戦った時も、提督を目覚めさせたり、ソフィーの手術をしたり、そしてあの第三の月の下での大波の時もいつも一緒だった。

黒川は小百合小百合を見つめて思った。

ここに移り住んで間もないが…、

調査隊の数日間の驚くべき体験はあらゆる場面が心に響き…、

人生を揺るがすものだった…。

だが、その体験を共有し…、

話し合える相手がいると言うことはどんなに幸せなことなんだろうと。

「紅茶はどうかしら?」

「これ、今までに飲んだことないよね。なめらかでコクがあっておいしいねえ」

「気に行ってくれると思った。時間をかけて選んだんだから」

これからは、自然の素晴らしさを分かち合い、

世界の広さ、奥深さを分かち合い、

さりげない毎日の暮らしの中で、

喜びや悲しみを分かち合い、

同じ思いを伝えあい、共感することができる。

幸せの波紋が、響き合ってもっと大きく広がるように思えた。

折からの夕暮れに、川の上の雲が茜色からバラ色に染まって行った。

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ロボリューション セイン葉山 @seinsein

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