突然同居することになった幼なじみが、いつの間にかオタクになってた

クォーターホース

突然同居することになった幼なじみが、いつの間にかオタクになってた

「まずっ……」

「それが、久しぶりに会った幼なじみの手料理を食べた時の感想か?」


 どうやら、俺の料理はお気に召さなかったらしい。


「今日からは、お姉ちゃんが料理するからね。ふうくんはお風呂にでも入ってきなよ」

「おい、姉をきどるな年下。そして、さりげなくその毒ぶ──俺の手料理を流しに持っていくな」

海風みかぜ、いま毒物って言ったよね?」


 毒物を持ったまま俺に近寄ってくる彼女は、1学年したの幼なじみ、草野そうの彩夏あやか

 ちょこまか動く小動物系のかわいさと、真逆の大人っぽさをあわせ持った、美少女だ。特にかわいいのは、純真無垢な笑みを浮かべた時。あの笑みを前には、どんなに強固なファイアウォールも意味をなさないだろう。


「言葉の綾だよ。彩夏だけに」

「じゃあ、……食べてみる?」


 俺のギャグを無視して、可愛く小首を傾げる彩夏。

 ──そうこの表情だ。

 笑みをたたえた彩夏は、スプーンに料理名すらわからない何か──オレ作──をよそうと俺の口元に突き出してくる。


「いえ、結構です」

「…………」


 沈黙が流れる。

 なにこれ、超怖いんですけど!

 

「……すいませんでしたー!」


 沈黙に耐え切れなくなった俺は、土下座する。

 な、すごいだろ。俺なんてイチコロだぜ……。


「もう、1人暮らしだったからって、自炊はちゃんとしなきゃダメでしょ」

「はい……」

「これからは、……2人暮らしだけどね」



 彩夏は、出来の悪い弟をしかる幸せそうな表情で、はにかんだ。


 うん、俺はそのことを今日知ったけどね。


 ド田舎出身の俺は、高校に通うために東京で1人暮らしをしている。……正確には、今日までしていた、だけど。

 まあ、とにかく、俺は新二年生の春休みということもあってのんびり、まったり生活を満喫していた。

 そして今朝。正確には昼過ぎ。気持ちよく惰眠を貪っていた俺を叩き起こしたのは、インターホンの音だった。

 ──実家から野菜でも届いたんだろうか。

 ベットからなんとか離脱した俺は、おぼつかない足取りで玄関へ向かう。


 ピーンポーン


 もう一度チャイムがなった。


「ふぁーい」


 間伸びした返事をして、やっと辿り着いた玄関を開ける。


「はぁ?」


 その瞬間、やっと起動し始めていた俺の脳は、一瞬でクラッシュし、ブルースクリーンまっしぐら。

 それは、そこにいたのが、クロネコでも飛脚でもない。


「久しぶり、海風」


 俺の幼なじみだったからだ。


「はい、これ。おばさんたちから海風にって」


 あ、届いたのは野菜で合ってたのか。


「……なんで、彩夏がここに居るんだ?」


 回らない頭を必死に使って考える。

 春休みだから、こっちに泊まりに来たんだろうか?

 田舎は退屈だろうし。

 そういえば、正月に帰省した時は、彩夏が受験直前だったから、顔を合わせずに帰ったんだっけ。

 ──そう考えると、彩夏のイロイロが大きくなったような……。

 1年ぶりに会った彩夏は制服を着ているのもあって、俺の同学年の女子と変わらないくらいに成長していた。

 って、ん?

 俺は、そこで奇妙な違和感におそわれ、彩夏の全身を見回す。

 ん? んッ!?


「……な、なんで彩夏がウチの制服を?」


 俺の動揺を見て取ったのか、彩夏はイタズラっ子のような笑顔で言う。


「初めまして、1年の草野彩夏です。学校でもおうちでもよろしくお願いします。木山きやま海風!」


 俺はその瞬間すべてを理解し、ふたたび凍り付いた。


 ◇◇◇


「まさか、彩夏がウチの学校を受験してたとはな」


 土下座から解放された俺は、台所でよどみなく調理をする彩夏の制服姿を眺めながら言った。


「海風には秘密にしてたからね」


 小気味良い包丁の音を響かせながら彩夏はご機嫌に答える。


「なにも、同居する当日まで隠す必要はないけどな」

「そこはほら。サプラーイズ」


 カワイイと思ってしまったのを無反応で誤魔化していると、程なくして料理が完成した。

 協力して、できあがった料理を座卓に移動させると程なくして席に着く。


「「いただきます」」


 彩夏の作った料理はどれも美味しそうで、よだれを抑えるのでひと苦労だ。

 まず掴んだのは肉じゃが。

 実家でとれた野菜以外はあらかじめ彩夏が買ってきてくれたんだろう。

 ……それなら、わざわざ俺に一度作らせる必要なかっただろ。

 という思いは、肉じゃがと一緒に消化する。


「んっまぁー!」


 食べた瞬間、ホクホクのじゃがいもと、肉と玉ねぎの凝縮されたうま味が口いっぱいに広がる。

 続けてもう一口。

 俺の箸が永久機関のように口と皿とを無限に行き来する。


「ふふっ。手料理なんて食べるの久しぶりでしょ」


 ご機嫌な様子で訊いてくる彩夏。


「いや、そんなことないぞ」


 俺は箸を止めることなく応えた。


「………………え゛?!」


 数秒間の沈黙の後。突然、彩夏が素っ頓狂な声を上げる。

 俺は、驚いて箸を止めると彩夏の方を見た。


「──手料理を食べるのが久しぶりじゃないって、自分で作ったの。でも海風の手際からして普段から料理を作ってる様子はないし。……まさか、女? えっ、でも。男子の家で手料理を作るのは幼なじみの特権なんじゃ……。え、まさか寝取られ展開?

逆じゃない、需要あるの? ……いやいや、そうじゃなくて! お、落ち着きなさい、私!」


 そこには、禍々しい妖気をまとい、なにやら高速で呟く彩夏。

 小声なのもあって、その内容までは聞き取れない。


「……海風」


 なにやら、深呼吸していた彩夏が不意に俺を呼んだ。


「は、はい?」


 返事をしながらなぜか、自然と背筋が伸びる。


「だれの手料理を食べたの?」


 さっきと変わらない笑顔で彩夏が訊いてくる。


「……クラスメイトのです。はい」


 なんで俺、敬語になってんだよ。

 相手は幼なじみだぞ。しかも、年下の。


「ふーーん。それって女の子?」


 なんだろう、この威圧感。

 笑顔なのに怖い。

 冷たい汗がつぅーっと、頬を流れるのが分かる。


「……はい」

「で?」


 はッ!

 俺は確信した。それは、まるで天啓を受けた預言者のように。

 脈略のない突然の『で?』。

 彩夏は求めているんだ、俺の気の利いたセリフを。

 どう答えるのが正解かわからない。

 それなら、考えろ。考えるんだ。

 ヒントのない問題なんて無い。今日の彩夏の一挙手一投足を思い出せ。意味のないセリフも存在しない。

 ──そうか!

 俺はまるで、現文のテストで本文からの抜き出し問題を解けた時のような快感を覚えた。

 そして、俺は一度渇いた喉を湿らせると、こう言った。


「サプラーイズ」


 サプラーイズ。サプラーイズ。サプラーイズ。サプラーイズ。…………

 その声は静かな空間に寂しく木霊こだまし、やがて霧散した。

 あ、あれー?


 ◇◇◇


 彩夏との同居が始まってから一週間が経った。

 初日になぜか彩夏を怒らせてしまったこと以外は、脱衣所のドアを開けたら着替え中の彩夏に出くわしたことなど、陳腐なことしか起こらなかった。

 なお、その時に鼻血が出たのは投げつけられたキ○イキレイのせいだけではないということをここに明記しておこう。

 まさか、上下ともに白とは……。何がとは言わないけど。


 そんなふうに幼なじみとの平凡な毎日が続いていくとそう思っていた。


 事の始まりは、インターホンの音からだった。

 春休み課題を中断した俺は軽く伸びをしながら玄関へ向かう。

 ちなみに、彩夏は友達に会いに行くとかで朝から出かけて行った。

 最近の女子高生はすごいな。他県にまで友達がいるのか。

 ドアを開けると宅配便だった。

 届いたのは大きめのダンボール。実家からだ。

 サインをして受け取る。


「重っ!」


 俺はどうにか見た目以上に重いそれをリビングまで運んだ。 

 はて? まったく中身に心当たりがなかったが、俺宛になっていることを再確認して開ける。

 まず初めに出てきたのは、温泉まんじゅうの箱。どこかのお土産だろう。

 ダンボールから取り出すと一旦横に置いた。

 その下にはなにやらびっしりと並べられた薄い冊子。

 なんだよこれ?

 その冊数に圧倒されながらも、俺はそのうちの一冊を抜き取る。

 そして、表紙を見た瞬間硬直した。

 表紙には、着ている制服がはだけるのを恥じらってか、手で隠そうとする女の子の絵がでかでかと載っていた。

 こ、これは!

 緊張から自然と生唾を飲む。

 なんとなく中身を予想しつつも、怖いもの見たさからか、俺は振るえ手で冊子を開いた。

 その時。


 ガチャ


 鈍い、ドアの解錠される音が聞こえてきた。

 ウチの鍵を持っているのは、俺と彩夏だけ。

 つまり……。


「ただいまー」


 開かれたドアから、幼なじみの声が聞こえてきた。

 その瞬間、全身からイヤな汗が一気に吹き出す。

 ヤバい、ヤバい、ヤバい!

 リビングでエ○マンガけて、突っ立っている。この状況はまずい。たとえ、これが本意でなくてもマズイ!

 そんなふうに俺が焦燥しているのとは無関係に、彩夏の足音が近づいてくる。

 2LDKのこの家で足音が聞こえる、それすなわち死を意味しているわけで。


「お、おかえり」


 結局、俺の取れた行動は右往左往するだけだった。そんな状態でリビングに姿を現した彩夏にぎこちなくあいさつした。


「んっ。ただいマァァ゛……ッ!」


 何か良いことでもあったんだろうか、弾んだ声で応える彩夏。

 だが、それも最後までは続かなかった。

 俺の手元に視線が向いた瞬間、口からカエルが潰れたような声が漏れる。

 まずい!

 俺は条件反射的に本を背中に隠した。

 その行為に怒ったのか、それとも軽蔑したのか彩夏の瞳から光が消えうせる。


「………………」

「………………」


 沈黙が俺と彩夏の間に横たわる。

 俺はいまさらエ○マンガを隠したことが悪手だと気づいた。

 やましいことがあると言っているようなもんじゃないか。

 せめて隠していなかったら。

 そんな後悔が頭をもたげた。

 いや、落ち着け俺。まだ、逆転の妙手があるはずだ。

 俺は感情を押し殺すと、息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

 置かれている状況を整理し、あらゆる対策を検討した。

 そして、方針を定めた。


「あは! アハハハッ! 冗談じゃないよな、エ○マンガ送りつけてくるとか。母さんたちもどうかしてるよ」


 俺はそう言って、背中に隠していたエ○マンガを下心がないと分かるように、堂々と掲げてみせた。


「んッ……!」


 その瞬間、彩夏からの視線が絶対零度までグッと下がった。

 あ、あれ、ミスった?

 鮮明だったはずのビジョンを早々に見失った。だが、いまさら方針は変えられない。


「これ送り返してくる」


 そそくさとエ○マンガを元あったように戻す。それから、相変わらず重たいダンボールを持って彩夏の横を通り抜けようと、すれ違う。


「……って」


 その時、彩夏がボソッと呟いた。

 何か言った?

 そう訊こうと振り向いた。そのときには、腕をつかまれていて、

 ひッ!

 恐怖に体が凍りつく。しかしすぐ、違和感に気づいた。

 彩夏の手が小刻みに震えていたのだ。

 それに、その手は服の裾を弱々しくつかんでいるだけだった。

 予想外の反応に困惑する俺。だけど、次の言葉の方がさらに衝撃が強かった。


「……なの。それ、私のなの! お母さんに必要だったから送ってもらったの!」

「え! あっ、はあ?」


 冗談というには、彩夏の表情が真剣だった。


「このエ○マンガか?」


 そう言って、俺は持っていたダンボールに視線を向けた。


「同人誌は、……その同人誌はエ○マンガじゃない!」

「どうじんし?」


 聞いたことがあるようなないような単語に、首をかしげる。


「知らないの?」


 心底意外そうな顔をする彩夏。


「じゃあ、コミケは?」

「…………」


 コミケとは、一日に数十万人を集めるとかいうイベントのことだろう。ニュースで取り上げられているのを見たことがある気がする。

 ただ、俺にはどうしても彩夏とコミケが相反するものに思えた。

 なにか明確な理由があるわけではないけど、そんな気がした。あるいは、俺がそうであってほしいと望んでいるのかもしれない。

 別にそれは、俺がオタクに偏見を抱いているからではない。

 彩夏がオタクであることを、幼なじみの俺にまで隠していたかもしれないことが切ないからだ。

 いや、それもちょっと違うな。

 ただ俺は────。

 それ以上の思考を無理やり断ち切ったとき。手に重さを感じて、ちらりと見る。

 そこには、例のダンボール。俺がどうやって都合よく解釈しても。

 それが、何よりも雄弁に真実を物語っていた。


「彩夏って、オタクなのか?」

「……アニメは普通の人よりも見る方かな」


 彩夏の反応で、疑念が確信に変わった。

 俺には、隠しておきたかったんだろう。

 バツが割るそうに、ぼやかして応える彩夏。

 その表情が、俺の腹の中を激しくかき乱す。

 だから、つい口走ってしまった。


「なんで、隠してたんだよ!」

「……ッ! そんなの言えるわけないでしょ! 拒絶されるかもしれない、もしかしたら幼なじみがそれでいなくなっちゃうかもしれないんだから!」


 彩夏の瞳が潤む。

 それには、多少の罪悪感を覚えた。だけど、話をうやむやにしようという考えは思い浮かばなかった。


「そんなわけないだろ! 俺がお前と何年一緒にいると思ってるんだ!」

「14年だよ。私のとしより、1年短いんだよ。その1年の間で海風は変わってたの!」

「変わってない。…… 彩夏に対する気持ちがたったの1年で変わるわけないだろ!」


 俺がどれだけ彩夏のことを……。


「噓だよ。だって、そうじゃなかったら女の子に自宅で料理なんてさせないはずだもん!」

「また、その話かよ……。それは、前に説明しただろ」

「口で説明されただけで、はいそうですかってなるわけないでしょう!」

「じゃあ、どうしろって言うんだよ?」

「くうっ……私がどれだけっ……不安だったかなんて、海風には……わからないんだよ。だからそんなに冷静でいられるんでしょ」


 潤んでいた彩夏の瞳が揺れる。

 涙がとめどなくあふれ出した。


「違う」

「違わない!」


 駄々っ子のように、首を振る彩夏。


「あーもう、じれったい!」


 俺は、ダンボールを置くと、かゆくもない後頭部をかいた。

 そして、少し強引に彩夏の肩を掴んだ。


「いいか、一度しか言わないからよく聞けよ」


 俺はそう前置きして、こう続けた。


「俺は彩夏のことが好きだ」

「え!?」


 彩夏が素っ頓狂な声を上げるが気にしない。


「ずっと前から好きだったんだ。それはこの1週間一緒に暮らしていても変わらなかった。むしろ、前よりもっと好きになってたよ。一緒の高校に通えるって分かってすごく嬉しかった。同居できるなんて夢かと思った。だから──」


 そっか、俺は悔しかったんだ。彩夏に話してもらえなくて。大好きな女子のことを全部知らなくて。無力で。無頓着で。鈍感で。

 辛いことを一緒に背負ってあげられなくて。


「──隠さずに言ってくれよ! 彩夏が俺のこと好きじゃなくても、幼なじみだろ! ちょっとは頼ってくれよ!」


 そこまで言い切った時。

 彩夏が胸に顔をうずめてきた。


「わたしも、私も海風のことが好き!」


 そう言って顔を上げた彩夏と至近距離で見つめ合う。

 無言のまま。

 彩夏が静かに目を閉じる。


 ──ああ、やっぱり大好きだ。


 そう思ったときには、お互いの距離がさらに近くなっていた。

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