第31話 どうせ最後はハッピーエンド

「……ちょっと用事が」


 そう言って、松屋はロビーに向かう途中で小雪と離れた。


 劇団の公演が終わった後、松屋は小雪と仲間たちと合流する予定だったが、見知った顔が人の群れの先でちらりと見えた。


「どうしたんですか、先生?」

「大人の都合だ。めんどくせぇ」

「挨拶回りですか。私、あっちで待ってますね」


 小雪は本当に気遣いが上手だ。

 松屋は安心して、観客席へと続く廊下にいる佐伯の前に立った。

 松屋は挨拶したくなかった。けれど同じ高校の教員同士、付き合いというものが付きまとう。

 まして部活の顧問と副顧問だ。無視は許されない。



「おや、佐伯先生も来てたんですか」



 松屋は当り障りのない定型文を選んで、佐伯に接触する。

 松屋の白々しい声かけに、佐伯はプルプルと震えていた。怒りを溜め込む姿は真っ赤になったタコのようで、笑いが込み上げてくる。


「松屋先生、知っていたのか」

「はい? 何のことです?」

「演目の事だ。あれはうちの高校で演じるものだった。それをどうして、この劇団が、中村が! 演じているんだ!」


 松屋は怒り心頭の佐伯を「別にいいでしょう」と、軽くあしらう。


 小雪も美和も、停学中だ。

『学校に来るな』と言われているだけで、『家から出るな』とは言われていない。

 外で何をしようと、学校の知ることではない。



 謹慎中の松屋も同じこと。

 彼は、佐伯が怒る理由が分からない。



「あんな子供じみたお話で、金を取るなんてどうかしてる! それにあの話の著作権はうちの高校にある! あれは盗作だ! 著作権侵害だ!」



 怒り喚く佐伯を、松屋はうっかり鼻で笑った。

 こいつは簡単なことも分からないのかと、心底バカにした。


 松屋は子供の癇癪をたしなめるように、佐伯に懇切丁寧に教えた。


「ご存知かとは思いますが、高校に物語の著作権はありません。著作権は中村にあります。高校は彼女の許可のもと、演じる権利を得られただけで、彼女が違う所で許可を出すのも、自分で演じるのも、何ら問題ありません」


 普段は使わない丁寧な言葉で、松屋は佐伯をバカにする。

 佐伯は歯を食いしばって、松屋を睨んだ。


「演目の内容を一部変えて……」

「それは著作者人格権の侵害ですから、中村が訴えたら負けますよ」

「ならどうしろというんだ! 今日まで練習してきた演目が、このちんけな劇団に取られたんだぞ! これじゃ明日の卒業公演はどうなる!?」


 松屋は佐伯の必死な形相を、冷めた目で見下ろした。



「中止、しかないでしょうね」



 小雪が許可していないところで演劇をすれば、間違いなく訴えられる。

 松屋がそうするように誘導するし、しなくても小雪はきっとそうする。



「中村がそう企んだのか……!」



 佐伯の矛先はあらぬ方向に向く。


 佐伯は小雪に家を焼かれたのか、というくらい彼女を目の敵にしている。


 松屋は呆れた。佐伯の小さな脳みそが、卑屈な使い方しかされないのが哀れになった。


 松屋はここに来て、ネタばらしをする。

 小雪と美和にも伏せてきた目的を。




「俺がこうなるようにしたんですよ」




 高校の卒業公演よりも早く、別の劇団が演じれば、その著作物の所有権が高校から劇団に移る。

 その状態で高校が同じ演目を演じれば、劇団側からでも、小雪が直接でも、高校をとがめることが出来るようになる。


 劇団は、性格の悪い自分の姉が団長だ。

 どっちから攻められても、学校は避けることはできない。



 唯一気がかりだったのは、学園で演劇練習を続けている翔太たちだった。



 この計画を実行すれば、彼らの卒業公演を潰すことになる。

 翔太たちとは学校外で秘密裏に会い、直接話をした。


 もちろん、嫌だと言われたら止めるつもりだった。けれど、翔太たちはそれを快諾してくれた。




『あれは俺たちの物語です。勝手にいじくられた話なんて、俺たちの物語じゃない』




 そう言ってくれた時は、心の底から感謝した。



「人が頑張って作ってきたもんを、平気で奪い取るあんたたちにしたかったんだよ。俺らの物語、汚されなくて良かったぜ」



 松屋は言葉を崩して、佐伯をあざ笑った。

 佐伯は悔しそうに「お前は!」と怒鳴るが、それ以上の言葉は出てこない。


「あんたのAVじみた趣味に付き合う義理もないんでな。黒髪ロングの清純系とか、おっさんくせぇ」


 松屋は佐伯の感性も否定したところで、佐伯の横を通り過ぎる。

 その去り際、佐伯にそっと教えてやった。




「中村は、間違いなく主役向きですよ」




 確かな演技力と、それを補強するアドリブ力。

 舞台の上で、臨機応変に立ち回れる人なんてそうそういない。

 ――ましてや、高校生で。


 松屋は愕然とする佐伯を置いて、小雪と合流した。

 小雪は何も聞かずに、松屋を仲間たちの下へと案内する。


(その優しさが潰されずに済んで、本当に良かった)


 松屋は小雪の背中をじっと見つめる。

 小さい背中は、誰よりも大きかった。


 ***


「え~、小雪と美和の卒業公演! 無事成功したことを祝いまして」




「「「かんぱ~~~い!!」」」




 ドリンクバーからそれぞれ好きなジュースを持ってきて、グラスを掲げた。

 グラスは打ち付けない。そこは松屋に配慮する。


 松屋がうるさそうにイヤホンを直して、「好きなの頼め」と言ってくれたので、各々好きな料理を選んだ。

 松屋はそれに追加して、みんなで食べられるピザを注文する。


 料理を待つ間、小雪と美和は翔太たちから佐伯と日野、学校全体に抗議の意を示して劇団の公演日を自分たちの演劇より早くするよう松屋に言ったこと。公演が終わったことをさっき学校に連絡したことを、聞かされた。


 美和はやるじゃん! と翔太たちを称えるが、小雪は彼らの卒業公演をダメにしたことで、申し訳なさがいっぱいになった。


「俺ら、小雪と美和がいない演劇なんて、ハナからやるつもりなかったんだよ。だから、松屋先生から話持ちかけられたとき、『やったぜ!』って、『さすが松屋先生!』って、みんなで喜んだんだ」


 翔太はそう言って、小雪を安心させた。


 学校に電話した時、予想通り小言や文句を言われたが、智恵が思いのほか法律関連に強く、先生たちを言い負かしかけていたことも伝えられる。

 智恵は顔から火が出そうなほど、赤くなっていた。


 それでも、小雪は気にしてしまう。


 松屋は「大丈夫だ」と、コーヒーを飲みほした。


「優紀に冬休みにある劇の役もらってきた。明日の件が全部片付けば、放課後から練習に参加させてもらえるようになってる」


 それなら安心だ。

 小雪は胸を撫でおろす。


「あ、明日、小雪ちゃんのところに電話来たら、ろ、録音して私に送って? な、内容によっては脅迫になるから」


 おどおどしている割には、したたかである。

 智恵の意外な一面も見られたところで、料理が運ばれてきた。


 和気あいあいとした食事に、松屋は「悪くないな」とこぼした。

 食事が進んでいくと、途中で小雪のスマホに着信が入る。


 見ると、『お母さん』と表記されていた。

 小雪は見なかったことにしようとする。松屋がそれを止めた。


「話し合ってこい」

「嫌です。あんな親」


 小雪が顔を背けると、松屋はため息をついた。

 スマホを持たせたまま、小雪を席から追い出す。


「大丈夫だ」

「何が大丈夫ですか。どうしてそんなことが言えるんですか」


 小雪が松屋に尋ねると、松屋は真剣な表情で返した。




「どうせ最後はハッピーエンドだから」




 松屋は食事に戻る。それでも心配なのは隠しきれていなかった。

 美和は親指を立てて、小雪にエールを送った。


 ***


 小雪はトイレで、母親からの電話に出た。

 通話早々、母親は『すぐ電話に出なさい』と小言を言った。


『演劇、観たわよ』


 母親はそう言った。

 小雪がどうだった? と聞けば、大したことない、と返ってくる。


『あんなのに熱中するなんて、バカげてるわ』


 そう言われて、小雪は腹が立った。

 言い負かしてやりたい。でも両親にそれは無駄だ。


 こんな苦しい思い、またしなくちゃいけないのか。

 でも、結末は決まっている。それなら、面白おかしくしてやろう。



「お母さん、あのね……――」



 ***


 電話を終えて、戻ってきた小雪を仲間たちが「おかえり」と迎えてくれる。

 美和はあえて「どうだった?」と聞かなかった。


 小雪の晴れた表情に、松屋がいち早く察した。


「中村、優紀が団員見習い募集してたぞ」

「本当ですか?」

「あぁ、お前なら専属脚本家にもなれんじゃねぇの? 文章、この中じゃ一番上手いからな」

「またそんな適当なことを……」



 ――でも、面白そうだ。



 小雪が前向きに考える旨を松屋に伝えると、松屋はいいのか? と小雪に言う。


「地元離れることになるかもしれねぇぞ」

「いいです。もう、私には必要ないですから」


 小雪は両親と決別することにした。

 今さら情なんて湧いてこない。


 地元を離れるのも最高。

 あちこちを旅するかも? そうしたらいろんな景色が見られるかもしれない。


 そうしたら、きっと自分の物語も広がる。

 狭い世界はもう飽きた、これからはもっと広くて、眩しくて、鮮やかな世界で生きたい。


「先生、その団員募集って、もう一枠あったりします?」

「……あぁ、推薦か。いいぜ、誰かいるのか?」


 松屋はとぼけるが、彼が実力を認めているのはもう一人。

 小雪はラインでその人に尋ねた。


 旅は道連れ世は情け。

 これは誰かのための物語なのだから、腹がよじれるくらい、引っかき回してやらなくては。




『一緒に劇団に就職しない?』




 その人はラインにすぐに気が付いた。そして、『喜んで』と返信を返す。


 もう一度主役を一緒に演じるのなら、この人がいい。

 美和の泣きそうな笑顔を見て、小雪はグラスを掲げた。


 卒業するまでは苦労が付きまとうだろう。それも、きっと辛く感じない。

 卒業してからも、苦労は終わらない。


 きっと、たくさん泣いて、たくさん怒って、それ以上に笑うのだ。


 人生の荒波なんてまだ知らない。でも、小雪は乗り越えられると信じていた。




 どうせ、最後はハッピーエンドなのだから。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カーテンコールが終わるまで 家宇治 克 @mamiya-Katsumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ