第30話 正しかった……?
達成感と終わってしまった寂しさに浸る、着替えの時間。
小雪はさっさと私服に着替えて、メイクを落としていた。
隣では美和が、アイメイクと格闘している。なかなか落ちなくて、「なんで?」とキレ気味にシートで擦っていた。
小雪がメイク落としシートを目に押し当てて、落とし方を美和に教える。
美和は小雪の真似をして、メイクを落とした。
「はぁ~~~。最高だったね。最後の舞台」
「そうだね。美和のお蔭で、アドリブしやすかったよ」
「えへへ、ありがと。でも、小雪と松屋先生もすごかったよ。あの時間ない中でさ、台詞や次の展開をパッと思いつくんだから」
美和は興奮した様子でそれを伝えてくれる。小雪は恥ずかしくて顔を逸らした。
「最後、あれで良かったの?」
美和がそう尋ねた。小雪は美和の方を向けなくなってしまった。
本来ならば、ハッピーエンドで終わるはずの物語だった。オチを変える必要はなかったのに、小雪は最後の最後でそれを覆した。
良かったか、と言われたら、良くない。
間違っている気がする。
それでも、物語はあの結末を辿る必要があった。
「……呆れてくれる?」
小雪が理由を離そうとすると、楽屋のドアがノックされた。
優紀がドアを少し開けて、外を覗く。
優紀が廊下に出た。少しすると、小雪と美和を手招きした。
二人が廊下に出ると、翔太を初めとした演劇部の3年生が勢ぞろいしていた。
「みんな、よく来たね」
小雪が驚く後ろで、美和は嬉しそうにしていた。
翔太が照れくさそうに花束を美和と小雪に渡す。
「今日、俺らより早く卒業公演するって、松屋先生が言ってたから」
「ぶ、部費で花束を買ったの。ち、小さいやつだけど」
「全然気にしないよ! めっちゃ嬉しい。小雪はピンクと赤どっちがいー?」
小ぶりの花がたくさん詰まった綺麗な花束は、小雪が思っているよりも重くかった。これが自分たちの演目に対する称賛の証なのか、と思うと涙が出そうだった。
「会場には知佳さんとか、裕翔も来てたぞ。ロビーにいるはずだから、声かけてくる。時間あるなら、この後打ち上げしようぜ」
「マジ!? 翔太さすが! ファミレス行こ! 小雪も今日は好きなの食べようよ!」
「そうだね。もう少ししたら解散だし、それまで待っててくれる?」
翔太たちが、ロビーの方へと歩いていく。
小雪はそれを見送ると、片づけを急いだ。
「あたし先に行くね!」
支度があらかた済んだところで、美和がそう言った。
美和はウキウキで廊下に飛び出していく。小雪に物語の結末を「良かったのか」と聞いておいて、すっかり忘れているようだ。
小雪としては願ったりなことだが、それを許さない人が、一人だけいる。
「中村ぁ」
気だるげで、低い声。
松屋が小雪の隣に立っていた。
さっきまで美和が座っていた椅子に腰かけると、小雪の顔をじっと見つめる。
「あれで良かったのか」
松屋は、美和よりも真剣に尋ねた。小雪は、はぐらかすこともできない。それに、松屋はきちんと聞きたがる。くだらない理由でも、真面目な理由でも。自分が納得するまで、彼は問い方を変えて、迫ってくる。
「いいんです」
「本当にそうか?」
「はい」
「お前はハッピーエンドで終わらせたかったんだろ? それなのに、どうして孤独エンドを歩いた?」
逃げられない。逃がしてはくれない。
小雪は、美和に言ったように「呆れてください」と、松屋に言った。
「舞台の上で、後半はほとんど私と美和が、物語をリードしていました。でも演じていた感触は、私が道を作って、美和が先導しているような感じでした」
美和は舞台の上で、私が演じたい私を立ててくれた。
同じ主役なのに、二番手に甘んじてくれた。物語が滞りなく、違和感なく、進むように調整役を買って出てくれた。
物語は車翼のトラブルで変わらざるを得なかった。そこで美和と二人で舞台をリードしたが、美和は物語の本来の姿を知らない。
小雪が作ろうとしている話に、合わせてついてくるだけ。
これでは、彼女が主役ではなく、小雪の引き立て役になってしまっている。
「つまりお前は、本当の主役を三井だと、観客に
「そうです」
『主役1』は小雪じゃない。美和なのだ。彼女がすごいのだ。
彼女がこの物語を率いているのだ。
だから『主役2』は、役目を終えたらいなくなるのだ……と。
松屋は納得した。
小雪は、彼の真剣な表情を見て、つい、もう一つの……隠しておきたい理由も口にした。
「それに、あれは……私の孤独の物語です。あれは私が、私だけが幸せになれる物語です。だから、きちんと終わらせる必要があったんです」
物語から退場することで、自分の溜め込んだ寂しさと決別したかった。
それが、小雪の覚悟であり、小雪が迎えるべき結末だった。
「先生、これは『正しい』結末ですか?」
小雪は松屋にそう尋ねた。
松屋は少し考えると、頭をガシガシと掻く。
「……物語的には、『正しい』とは言い難いな」
松屋は厳しい答えを、小雪に渡す。
なんとなくそんな気がしていた。小雪が「ですよね」と言いかけると、松屋が続きを付け足した。
「でも、お前としては『正しい』よ」
松屋はそう言って、小雪の肩をぽんと一回叩いた。
小雪は泣かないように堪えた。堪えたけれど、右目から一筋、涙が頬を伝う。
松屋は涙に気づかないふりをして、大きなあくびをした。
「ま、あれはあれで良いんじゃねぇの? 続きを書くにしても、なんにしても、中村が書くからな。どうせ最後はハッピーエンドなんだろ?」
――『どうせ最後はハッピーエンド』。
以前、松屋が小雪にそう言った。
小雪はその一言に救われた。今それを、思い出させるのか。
(憎たらしい教師だなぁ)
そうだ。どうせ最後は笑って終わるんだ。
なら、存分に面白おかしくしなくては。
小雪は笑った。「そうですよね」と返すと、松屋は安心した顔で「そうだ」と言う。
「これから翔太たちと、ファミレスで打ち上げするんです。先生も来ます?」
「ヤダわ! ぜってぇ俺がおごんないといけなくなるじゃん! ダルいって」
「ちゃんと割り勘にしますよ」
「大人が学生に混ざって割り勘とかダッセェじゃん! 俺を財布に飯食いたいなら、普通にそう言えって……」
「別に先生を財布にしたいわけじゃないですよ」
小雪は松屋の腕を掴んで楽屋を出た。
松屋は驚いたような顔で、小雪を見ていた。
「副顧問は、生徒の卒業公演の慰労をしてくれないんですか?」
小雪に沁みついた孤独の呪いは、松屋と仲間が解いてくれた。
ならば、松屋の足かせとなる呪いは、小雪が進んで解かなくては。
松屋は「仕方ねぇな」と、呆れ笑いしてついて来る。
小雪が松屋を連れてロビーに向かうと、松屋はすぐに生徒に囲まれた。
わらわらと集られて、絡まれる松屋は、まんざらでもなさそうだ。
このままみんなでファミレスに行くことになった。
松屋は相変わらずぶっきらぼうな物言いで、生徒たちを突き放す。
小雪たちも慣れたもので、それを軽くいなしてついて行く。
じゃれ合いながら歩く街の中は、いつもと変わらない賑わいだ。
小雪は真っ青な空を見上げて、目を細めた。
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