第27話 物語は進む

 あと1週間で公演日が来る。

 学校の卒業公演のポスターで街は溢れているから、劇団の広告は、劇場の近くだけにとどめた。


 小雪が小雪が発声練習を終えると、優紀が音を消して近づいてくる。



「ちょっといい?」



 そう聞いた彼女の声は、少し重かった。





 優紀は小雪を控室に連れて来た。

 優紀は公演のチケットを3枚、小雪に渡した。


 小雪がそれを受け取ると、優紀は「家族に観てもらって」と言う。


 小雪は心が重くなった。

 家族が観に来る事なんて無い。話すことすらないのに、娘の演じる舞台の観劇なんてありえない。


 でも優紀はそれを知らない。小雪は「ありがとうございます」と、差し支えない理由を、今から模索していた。


「……ちゃんと話した?」

「何をです?」

「家族と、自分のことについて」


 優紀は小雪の事情をなんとなく知っているような口ぶりだった。

 松屋がふんわり伝えたのだろう。


 優紀はおせっかいだと分かっている上で、小雪にチケットを渡した。


「人の家庭環境に口を出すべきじゃない。それは分かってるの。うちもそうだから。でも、あんまりじゃない。自分の思い通りにならないから、口を利かないなんて。無視をするなんて。親の所業じゃないわ」


 優紀は苦しそうな表情で、そうこぼした。



「だからこそ、ちゃんと話してほしいの。ごめんね、おせっかいで。でも、私は小雪ちゃんの活躍、貴方の両親にも見て欲しい」



 優紀は小雪の両手を包んだ。暖かくて、少しカサついた手に、小雪は優しさを感じた。

 ちょっと強引で、相手を思いやるのは姉弟そっくりだ。口の悪さが違うだけ。


 小雪は気が進まないながらも、「わかりました」と言った。

 優紀は安心した表情で胸を押さえる。


「良かった。……さあ、練習しよう。小雪ちゃん、上達早いから舞台バッチリよ」


 小雪はついでに、聞きたい事があった。

 本格的に練習を始める前、優紀は台本を読んで「本気?」と言っていた。

 小雪はそれがちゃんと観客に受けるのか不安だった。



「プロとして、私が書いた物語はどうでしたか?」



 優紀は少し考える素振りを見せた。小雪はその間、不安と緊張でどうにかなりそうだった。


「舞台にしてはちょっと、展開が無難かなとは思ったわ」


 小雪は落胆した。やはりそうかと、どこかで知っていたような心地もある。

 でも優紀は目を細めて笑った。無邪気で、新しいオモチャを見つけた子供のように。



「でも、これほど『演じてみたい』って思った作品はないかも」



 きっと社交辞令だ。自分に気を遣ってくれたのだ。そう思ってもすぐに上塗りされるくらい、小雪は嬉しかった。


 その日の練習は、どんなに辛くても乗り越えられた。

 嘘だろうと本当だろうと、演劇に携わる人にそう評価してもらえたことが、小雪の自信になったから。


 ***


 9時に練習が終わり、すっかり当たり前になった松屋の送迎で、小雪は家に帰る。

 家に帰ると、弟が外で膝を抱えて、すすり泣いていた。秋の風が冷たく吹き付ける夜に、半袖で外に居るのだから、小雪はさぁっと青ざめた。



ひろ! どうして外にいるの!」



 小雪が自分の上着をかけてあげると、紘はボロボロと泣き出した。


「ね、姉ちゃん……」


 紘から聞いた話は衝撃的で、小雪は頭に血が上った。

 玄関の鍵を開け、家に乗り込むなりリビングでくつろぐ両親の頭にカバンを投げつけた。


 振り向きながら睨む両親に、小雪は声を荒げる。



「あんたたち人間じゃない! テストの成績が80点だったくらいで外に放り出すなんて!!」



 紘は塾のテストでいつも90点をキープしていた。だが、今回は88点だった。それに腹を立てた両親が、「お仕置き」と称して紘を外に追い出したのだ。


「テストが何!? 誰かが作って、誰かが決めた配点がそんなに大事!? そんなに自分たちの思い通りじゃないと気が済まないわけ!?」


 小雪が怒鳴ると、父親が反論してくる。


「勉強ができないで、社会に通用すると思うか! 頭のいい大学に入らないとその後の給料にも響いてくるんだぞ!」

「それを中学生に求めないでよ! だいたい、今どき大学行ったところで給料なんか変わんないよ! いつまで古い考えにすがってるつもり!?」


 父親とのケンカに、母親が柔らかい口調で割って入る。


「小雪、これは紘のために言ってるのよ。子供には分からないでしょうけど、親は子供の将来を心配して言ってるの。かわいそうだけど、心を鬼にしてやってる事なのよ」


 まるで正論を言っているかのような口ぶりに腹が立った。

 小雪は「馬鹿言わないで!」とさらに声を荒げる。


「子供の心配!? かわいそう!? 全部自分たちのためじゃん! 全部子供の事考えてないじゃん! 何で勝手に哀れんでるの!? 何で自分たちが正しいと思ってんの!?

 どこが子供のためなの!? 本当に子どもの事思ってんなら、寒空の下に放っておくな!」


 ──あぁ、イライラする。


『自分たちは正しいのよ。子供たちが悪いのよ』なんて態度が腹立たしい。

 こんな親の元に生まれたくなかった。こんな親に育てられたくなかった。


 親は大事にしなさい、親孝行しなさいなんて、親に恵まれた奴の妄言だ。


 親なら子供をペットのように扱わない。

 親なら子供を外に放り出したり、無視したりしない。



 こんなの、親じゃない!



 いつか話し合えると思っていた。けれど、それは間違いだった。

 いつか和解できると思っていた、それは一生来ないだろう。


 小雪は両親に昼にもらったチケットを投げつけた。

 両親はそれを拾わない。小雪はそれを知ったうえで言った。


「1週間後、私が主役の舞台公演があるの。ぜひ観に来てよ。アンタたちの育て方、否定してやるから」


 小雪は何も言い返さない両親を置き去りにして、紘を部屋まで送り届けた。

 自身も部屋にこもる。どうせ両親は「娘は頭がおかしい」くらいにしか思っていない。


 小雪はベッドを叩いて寝返りを打つ。

 感情を飲み込んで、夜が明けるのを待った。



 悔しい、悔しい、悔しい――!



 どうしてあんな仕打ちを平気でするのか。

 心を鬼に? そりゃそうでしょう。鬼でなければできない所業なのだから。

 いいや、元々人ですらなかったのかも。そうでなければつじつまが合わない。


 小雪は興奮が収まらないまま布団にくるまった。


 どうやって怒りを抑えよう。

 どうやって……――



『それ演技にぶち込めばいいじゃん』



「――やっぱり、それが一番だよね」


 小雪は松屋の言葉を噛み締めて、目を閉じた。


 見てろよ、必ずお前たちが間違ってるって思い知らせてやるからな。

 小雪は硬く誓って眠りについた。


 全ては舞台の上で、思いのたけを表現してやろう。

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