第25話 物語は変わらない

 松屋の言葉に、小雪の胸は破裂しそうになった。


 小雪は夢でも見ているんじゃないかと、心配になる。


「でも、先生。卒業公演は、演目変えないことになったんですよ」

「そんなの、こっちが一日早く演じればいい」

「私たち、停学中だし……」

「ただの登校禁止だ。学校に行かなければ、何の問題もない」

「でも、私たち劇団員さんたちにギャラ払えないです」

「はぁ~~~。これだから真面目は……、ギャラは必要ない。ボランティアで引き受けてくれた。他に質問は? ないなら話し続けるぞ。練習時間がもったいないからな」


 そんなことが可能なのか、そんなことをしてもいいのか、いろいろ聞きたい事はあったが、美和の今にも泣きそうな顔に、小雪の疑問や不安は全て消えた。


 松屋が劇団員の紹介をしようとすると、女性が「待って」と制止をかけた。



「……私、聞いてないんだけど?」

「はぁっ!?」



 それには松屋も驚いていた。目を丸くして、あんぐりと口を開ける松屋に、女性は眉間にしわを寄せた。


「メール送ったろうが!」

「それ、私に届いてないし。……え? 本気で言ってる?」

「こっちの台詞だ! 言ったろ、ちゃんと!」

「3週間で劇完成させろって、ずいぶんと無茶を言うじゃない。小道具も大道具も、用意できる時間ないのに」

「『それくらい大丈夫よ!』って言ってただろ!」


 女性は困惑した様子で、松屋の言うことを全部否定する。松屋はそれに焦って、メールの履歴を漁り出した。次の瞬間、松屋は大きくため息をついて、壁を強く叩いた。




「…………騙されたぁ!!」

「あっはっはっはっは! 何回同じ手に引っかかるのよ!」




 松屋は悔しそうに拳を握る。額を壁に打ち付けて、見抜けなかったことを悔しがっていた。


 一方で女性は、悔しそうに壁に額を擦る松屋の背中を叩いて笑っていた。

 その対照的な姿に、美和も小雪も混乱する。


 小雪が女性に「あの」と声をかけると、女性は自己紹介した。


「私は松屋まつや優紀ゆうき。これの姉」

「これって言うな」

「しがない劇団長だけど、頼りにしていいわ」


 松屋いわく、優紀は演技でクセがあり、ある時は記憶喪失、ある時は耳が聞こえなくなったフリ、またある時は、松屋の妹の設定で演技をして、松屋を困らせてきた。


 この口が悪くて態度もデカい松屋を困らせたなんて、優紀の演技力は相当なものなのだろう。

 疲れた顔で「もうやめろ」と言う松屋から、散々困ってきた事が読み取れた。


 優紀は小雪と美和と握手をすると、「んー」と二人の顔をじっと見る。


「こっちが三井ちゃん?」

「あ、はい。三井美和です」

「じゃあ、こっちが中村ちゃん?」

「はい、中村小雪と言います」


 小雪が挨拶を済ませると、優紀は唇を尖らせた。


「智和。ちょっと、どういうことよ。いい子たちじゃない。生意気だとか散々言っといて、どこに目ぇつけてんのよ」

「その言い方チンピラくせぇぞ。生意気だよ、こいつら。噛みついてくるし、言う事ちっとも聞きやしねぇ」

「はぁ? 先生が口悪いのがいけないんじゃん! それに、言葉足りてねぇし!」

「ほら見ろ! 生意気じゃねぇか!」

「は〜ぁ、弟が元気そうで何より……」


 優紀は手近な椅子を引き寄せる。松屋が焦ってイヤホン越しに耳を塞ぐと、「馬鹿だね」と音を立てずに自分の傍に置いた。


「で、演目は? 練習してた台本があるでしょ。見せてくれる?」


 そう言われたが、小雪と美和は半分拉致される形で家を出ていた。

 台本なんて持っていない。小雪が困っていると、松屋がよれよれの台本を優紀に渡す。

 文句の一つでも飛んでくるかと思ったが、優紀は何も言わずに台本を読んだ。


 眉を寄せて、「本気?」と聞いてくる。



「私、今までたくさんの劇をやってきたけど、これは初めて見るわ」



 優紀の表情は、とても険しくて、小雪は怖くなった。

 優紀が手にしているのは、小雪が書いた完全オリジナルの物語だ。プロの目線からすれば、子供のお遊戯みたいなものだろう。


 それを、劇団の力を借りてまで演じようというのだから、松屋の度胸は計り知れない。


 小雪が言い訳を考えている間に、松屋は「オリジナルの物語だ」と言った。

 彼は小雪を指さした。



「中村が書いた」



 思いっきり巻き込まれた。

 優紀の睨むような目に耐えられず、小雪は美和に救いを求める。美和は「松屋先生が修正した」とフォローを入れた。優紀は目線を小雪から離さない。台本の先を、小雪に向けた。


「でも大筋はあなたよね?」

「……はい」


 小雪はなんとか言い訳をしようとしたが、それらしい理由も事情もない。

 優紀の追撃から逃れられず、小雪は消沈して頷いた。


「ふぅん。……矢崎ぃ!」


 優紀は少し考えると、団員を呼んだ。


 大柄の男が来ると、優紀はなにやら打ち合わせをして、どんどん話を進める。

 少しすると、優紀は体の向きを変えて、小雪たちの方に話を振る。


「これ、配役は?」

「あ、えっと」

「中村、三井がダブル主人公で、後は部員が担当してた」

「じゃあ、その二人以外の穴を、私たちで埋めたらいいのね」


 優紀はそう言うと、小雪と美和の背中を押して、楽屋から出した。


「舞台で待ってて。ちょっと大人の話し合いするから」


 優紀はウインクをして、小雪たちに手を振った。松屋も楽屋に入れたまま、ドアは閉まる。


 美和と二人で残された小雪は、美和と迷いながら舞台まで向かう。

 あっちでもない、こっちでもないと迷ううちに、自然と手をつないでいた。



「美和は、あの劇どうだった?」



 沈黙が辛くなった小雪の、ぎこちない話題探りに、美和が乗ってくれた。

 美和は時間をおいて、「すごかった」という。


「台詞ないし、音もないのに。舞台のシーンも、場面の切り替わりも全部わかるって、超ヤバくない? 自分が表面的にしか演技できてないって、思い知らされたよね。プロってすごいんだなぁ」

「私も。効果音も、ナレーションもないのに、舞台の上で起きてる事だけで全部理解できたの、初めてだった」

「あたしらの演劇とかそうだけど、台詞でも「これ何で今言った?」みたいなのあるのに、無駄が一切なかったよね」

「ねー。自分たちの部活歴じゃ、到底及ばないよ」


 ようやく舞台にたどり着いた。

 少し冷えた舞台の上は、演劇があったことすら忘れる静けさがあった。


 舞台の上から見える、2階に分けられた観客席が、小雪たちをじっと見つめている。

 小雪は身震いした。


 ここに立てるのか。

 スポットライトを追いかけて、ハリボテの街をさまよって、自分たちが描く物語を、沢山の人が観る――……!


 まだ起きていない事柄に、小雪は思いを馳せた。

 奇跡のような出来事を、松屋は小雪たちにくれた。こんな幸せなことは無い。


 美和は舞台の真ん中に立つと、深呼吸をした。

 感慨深そうな横顔に、小雪は尋ねた。



「どうして、美和も停学になったの?」



 美和は佐伯に2度も叩かれた。

 だから、足を蹴り飛ばしたくらいじゃ停学沙汰にはならないはずだ。それなのに、松屋に連れ去られるとき、彼女はいた。


 松屋はその理由を語りたくなかった。美和も言いたくないはず。けれど、小雪は聞かずにはいられなかった。

 美和は案の定、困ったように笑った。


「いやぁ、最初は停学逃れたんだけどね。部活で佐伯がさ、小雪の事バカにしたから、頭来ちゃって。つい、手が出ちゃってさ」


 そのついでに、窓も壊したという。

 それが原因で、停学になったのだとか。


 美和は学校に行けないのは残念だという。

 目を伏せて、強気な声は小雪の胸を振るわせた。



「小雪と舞台に立てないなら、停学した方がマシだった」



 そのくらい、彼女は小雪との舞台を強く夢に見ていた。

 小雪は、自分の手で壊してしまったことを、心の底から後悔した。


「ごめん」

「謝んないでよ」

「……ごめん」

「あたしが決めた事だし、小雪は悪くないじゃん」

「………ごめん」

「ほら、笑って? 形が変わっても、あたしら同じ舞台に立てるんだからさ」



「一緒に主役やろ? 悪いと思ってんならさ、あたしの夢を叶えてよ」

「……私たち、でしょ? ……うん。叶えるよ、絶対に」



 小雪は今一度、美和と約束する。

 叶うことは無いからと、はぐらかし続けてきた約束に、しっかりと指を絡めた。

 美和の笑顔は大好きだ。綺麗で、可愛らしい。けれど、今ほど美和の笑顔を、美しいと思ったことは無い。

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