第24話 形が変わっても
松屋の車には、美和も乗っていた。
美和は小雪が車に乗ってきたことに驚いたが、それ以上の反応はしなかった。
彼女の小雪を避けているかのような様子に、小雪は静かにショックを受ける。
松屋は鏡越しに二人の様子を窺っていた。
「先生、どうして家が分かったんですか」
顔も合わせてくれない美和を寂しく思う。だがそれよりも、松屋には聞きたい事が山ほどある。
小雪が質問すると、松屋は淡々と答えていく。
「中村は、前に送ってったことがあったからな」
「あぁ。あの1回でよく覚えましたね」
「でも途中があやふやでな。仕方ねぇから、お前らの担任に住所聞いた。『副顧問として、ご家庭に話に行きたい』と言ったら簡単に教えたぞ。警戒心が無さすぎるだろ」
「だました側が何言ってるんですか。授業はどうしたんですか」
「俺も謹慎中だ。佐伯先生が怪我したときに、生徒を引き離さなかったとかで。どうせだから殴ってきた」
「殴っ!? でも、停学になってないのに、なんで美和も……?」
「ここに居るなら、そうだろうな」
松屋は美和も停学になったことを、やんわりと伝える。
彼は「加害者が優遇される世だろ」と、皮肉めいたことを呟き、「されてたな」と気がついてまた、ため息をついた。
小雪が質問することに、松屋はほとんど答えた。
でも小雪が知るべきではないことは、彼女が察せるていどに濁して伝える。
松屋は生徒に開示できる情報とそうでないものの選別と、伝え方が嫌に上手だった。
それは彼が国語の教師だからであり、彼自身が秘密主義だからでもあるのだろう。
けれど、松屋は小雪の「どこに行くのか」という質問には決して答えなかった。
小雪が聞き方を変えても、松屋の得意な話題から口を滑らせようとしても、固く口を閉じて黙秘を貫く。
小雪は
外の景色は、住宅街から商店街へ、オフィス街へと変わり、駅前の繁華街へと変わる。
松屋は車を停めると、小雪と美和に降りるように指示を出す。
小雪が車を降りると、そこは以前松屋の車が停まっていた劇場だった。
松屋は扉をくぐると、受付を通らずに劇場に入る。
赤い椅子がずらりと並ぶ中で、松屋は最前列の、さらにど真ん中に座る。
松屋の腕が、小雪と美和を隣に呼んだ。
小雪と美和は顔を合わせて、不思議そうに首を傾げる。呼ばれるまま、小雪が松屋の隣に、小雪の隣に美和が座る。
松屋がイヤホンをした耳を塞ぐ。
――ブザーの音が鳴り響いた。
松屋は苦しそうに顔を歪める。
ブザー音はかなり短くて、2秒ほどで鳴り止んだ。
徐々に暗くなる会場、赤いカーテンを照らす丸い光。小雪は胸が苦しくなった。
あの光を浴びたいと願った。
舞台の上に、一秒でも長く立ちたいと願った。
……願いは、望みは、自分の手で砕いてしまった。
それがまた、悔しくなって小雪は目に涙を浮かべた。
「まだスポットライトがついただけだ」
松屋の冷ややかな声が飛んでくる。分かってるが、どうしようもなく悔しいのだ。
最後くらい──それすらも、叶わなくなったのだから。
カーテンがゆっくりと開いた。
役者が彫刻のように立ち、命を吹き込まれたように動き出す。
彼らの動きは一つ一つが芸術作品のようで、小雪は見惚れた。
動きだけで、仕草一つで、情景も感情も伝わってくる。
自分にはまだない技術が、小雪の心を躍らせる。
目の前でチカチカと光るまばゆい輝きが、小雪の掴んで離さない。
舞台の上で
けれど、一つだけ不思議なことがある。
役者は一言も話さないのだ。
舞台は全て無言で、彼らは動きだけで場面を切り替えていく。
舞台は松屋と小雪、美和しか見ていない。演劇部のメンツだから、分かる演目にしている? いや、演劇は誰にでもわかるようにしないと意味が無い。
でも、話の内容も、役者たちの役柄も、全部理解できる。最初から誰も話していないのに。
音楽も最小限で、効果音が時折流れるくらい。
静かな空間に、役者の息すら聞こえない。
観客のわずかな吐息が、感嘆が、耳に入る程度だ。
小雪はちらっと松屋の方を向いた。
松屋はイヤホンを外していた。のんびりとくつろいで、観劇している。
美和は、舞台の移り変わる場面を見逃すまいと、じっと見つめていた。
表情一つで変わる心情に、美和は何か思うところがあるのだろう。
悩ましげに眉を寄せたり、頷いて納得したりと、コロコロと表情を変える。
二人の観賞中の様子が、それぞれの特徴が出ていて面白かった。
舞台の上で、物語は急展開を遂げる。
登場人物たちは慌てふためき、舞台の上を駆けまわる。
嵐が来て、家は飛ばされ、家畜はいなくなる。得ていたものを失い、彼らの絶望がよく表現されていた。
嘆く大人たちの元に、一人の少年が無邪気に遊びながら現れた。
その少年は、キョトンとして地面に伏せて嘆く大人たちを慰めた。
少年は、大人たちの背中をさすって回った後、一人でがれきの片づけを始めた。
自分の体重よりも重いものを、全身を使って転がして退ける。
その姿を、大人たちはじっと見つめていた。
そして、大人たちもゆっくり動き出して、荒れた村を直し始めた。
そこに音は一つもない。声も、言葉も、効果音も、何一つない。それなのに、涙がこぼれるのはどうしてだろう。
どうしてこんなにも、感情移入ができるのだろう。
小雪は二人にばれないように、涙をぬぐった。それが、この劇内で出来る、最大の祝辞だった。
***
劇が終わると、まばらな拍手が聞こえた。
広い会場に響くことなく、手元で消える音を、小雪は虚しく感じた。
松屋は会場が明るくなると、目を閉じて余韻に浸る。それが松屋の舞台への祝辞らしい。
「……良かったろ」
しばらくして松屋はそう言った。
小雪は「はい」と答えた。
「音がほとんどしない劇は、初めて見ました」
「サイレントドラマだ。無音劇場ともいう。……俺がそう呼んでるだけだがな」
松屋は、ようやく椅子から立つと、舞台の上に上がる。
小雪と美和は彼を追いかけた。
「学校が終わったら、よくここに来てた。練習風景を見せてもらってた。練習は5時から8時までだからな」
「だからいつも定時に帰ってたんですね。練習も6時までだったし」
「あと、このサイレントドラマは俺のために上演されてる。だから時間が許す限り、何回でも観たいんだよ。耳が良すぎるヤツでも、観劇できる唯一の舞台だからな」
小雪は松屋がさっさと帰る理由に納得した。
これを観に行くためなら、小雪もきっと同じことをした。
松屋は舞台袖を通って、関係者入り口に進む。
勝手に入った良いものか、小雪は悩む。怖気づいていると、松屋に腕を引っ張られた。
松屋は勝手知ったる様子で、複雑な道を進んでいく。
楽屋の前に着くと、松屋は軽くノックをして、中の返事を待たずにドアを開けた。
沢山の役者が松屋の方を向いた。小雪と美和はしり込みするが、彼らは松屋を見ると、慣れた様子で着替えを続ける。
一番奥の化粧台に座っていた女性が、松屋に近づいた。
松屋と雰囲気がよく似た女性だった。
「あら、私まだ「どうぞ」なんて言ってないんだけど?」
「どうせメイク直しだろ。着替えてるなら、すぐに分かる」
「ホント、変態チックな耳だよねぇ」
「うるさい」
楽屋にいた女性は松屋をからかって遊ぶ。松屋は呆れたため息をついた。
それすら女性にはからかう材料になる。
「またため息なんかついて」
「不幸になるとでも言う気か? あんなの迷信だろ」
「近々ハゲになるんじゃない? てか、迷信って……ちょっと信じてたの?」
「誰も信じてるなんて言ってないだろ」
女性はけらけらと無邪気に笑って、松屋の頬をつつく。
松屋は嫌そうにしているが、手を払いのけたりしなかった。
女性は松屋の淡白な反応に飽きて、話題を変える。
「舞台を観に来て、楽屋にまで押しかけておいて、花束も無し? 男のくせに、気が利かないのね」
「今日は客だと言ってないだろ」
「女の子二人も連れて、事案なんてやめてよね。私は
「俺がするかよ!」
「冗談も通じないの!? やだわ、こんな堅物に育っちゃってまぁ!」
すっかり女性のペースに持っていかれる松屋が珍しくて、小雪は笑ってしまう。
後ろで小さく笑っていても、松屋には聞こえてしまうようで、「おい」と睨まれた。
「で? わざわざ生徒の分の代金も払って、アンタの趣味に付き合わせたわけじゃないんでしょ。用件を言いなさい」
「俺、事前にメール送ったよな」
「ちゃんと口にしなさい。アンタはそれを怠るから、言わせてんのよ」
松屋は、ため息をついて、小雪たちに向き合った。
小雪は彼の言葉を待つ。美和は「何?」と、松屋を急かした。
松屋は気恥しそうに首の後ろを掻くと、二人に言った。
「お前たちは卒業公演に出られない」
「知ってますよ。そのくらい」
「あたしらケンカ売られてんの?」
「だから、別の形で卒業公演を行う」
松屋は曇りのない目で小雪たちに告げた。それは、一番星よりも輝く希望だった。
「この劇団に協力を頼んだ。卒業公演まであと3週間。今日からここで、練習するぞ」
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