第23話 跡形もなく
小雪は自室の隅で膝を抱えて、顔をうずめていた。
外は快晴だというのにカーテンを閉めて、光が入らないようにしていた。
外の音を消すように、窓には鍵をかける。鍵をかけても、子供の無邪気な声が響いていた。
松屋の耳も、そう聞こえていたのだろうか。
薄暗い部屋で、小雪はただ息をして、今日をやり過ごしていた。
学校から言い渡された、3週間の停学処分は、小雪の演劇人生にトドメを刺した。
美和や翔太を初めとして、部員のほとんどが学校側の小雪への処分に抗議をした。
けれど、教員の誰も、彼らの言い分に耳を貸さず、小雪は停学処分となった。
佐伯は全治1週間の傷を負った。
それはどうだって良かった。小雪は佐伯を殴ってすっきりしていたのだから。
だが、それよりも小雪には腹立たしいことがあった。
停学期間は、元々1ヶ月の予定だったらしい。が、憎いことに、佐伯の口添えで減刑になったという。
それならいっそ、1ヶ月のままで良かった。
どうして自分から奪い尽くした人に、情けをかけられるのか。
いや、情けをかけたのではない。自分のお気に入りが、舞台の主役に立てたらそれでいいのだ。
小雪が、邪魔さえしなければ、佐伯はそれでいいのだ。
日野の勝ち誇った顔が脳裏をよぎる。
自分が書いた演目を演じないだけ、まだマシだった。
家族にももちろん連絡が来た。母親は申し訳なさそうな声で話を聞いていた。
電話が来た日の夕飯は、小雪の分だけ用意されなかった。
口も聞かずにご飯だけを無くすとは、お優しい親だ。
小雪はちらと部屋の中に目をやった。本棚は本を落とされ、机の上の参考書や小物は床に散らばる。
荒れ果てた部屋は、小雪の心情をよく表していた。
荒ぶる気持ちは燃え盛り、余韻に浸ることなく消える。
片付けをするだけの余力も残さず、小雪の心を焼き尽くした。
現実はさらに残酷だ。
スマホにラインの着信が入る。演劇部3年が使う連絡用のグループラインからで、部長からの通達が来た。
小雪は見るだけ、と、グループラインを覗いた。
連絡事項と返事代わりのスタンプが続くトークの一番下に、翔太の短い連絡が残っていた。
『演目そのまま。練習続行』
それぞれがスタンプやコメントで反応する。小雪は何も返信できなかった。
泣きたくなった。また、喚いて、暴れて、髪を掻き乱して、喉を枯らしてしまいたい。
自分が考えて、みんなで試行錯誤を繰り返して、一緒に作り上げきたものを。
仲間と話し合って、障害を乗り越えて、自分と向き合った世界を。
佐伯は簡単に奪い取ってしまう。日野は平気な顔をして手にする。
まるで、手に入らないものを欲しがって
自分たちが良ければ、周りなんてどうだっていい。それがあからさますぎて、吐き気がする。
――小雪には、何も残らないのに。
悔しくてたまらなかった。脇役ばかりの3年間が、ようやく報われると思っていた。
最後の最後に、ようやくあのスポットライトの下に立てると、本気で信じていた。
子供じみた演目ではない。自分たちで作り上げた物語で。
無理やり押し付けられた役ではない、自分が演じたい役を演じて。
それすらも、日野に譲らなくてはいけないなんて。
身を引き裂かれるような苦しみが、息すら辛い仕打ちが、あってたまるか。
小雪は眼尻に涙を浮かべた。
こんな時に慰めてくれる家族はいない。停学にすら、表情を変えなかった。
小雪は自分の腕をさすって慰める。「大丈夫だ」とかけた言葉は、沁みこむことなく床に落ちる。
ささやかな慰めは、何も満たしてはくれなかった。
学校に行けない以上、小雪には何もできない。できる限りの抵抗も、反論も、説得すらも。
この状況を、指をくわえて見ているしかないのだ。
「……もう、諦めるしかないのかな」
小雪はそう口にした。
手立てはない。小雪にできることは、もう何も残っていない。
「――本当にそうか?」
松屋の声が聞こえた気がした。小雪は固く閉じていた目を開けた。
松屋はどこにもいない。いるはずが無い。
……バカだなぁ。いない人の声が聞こえるなんて。
けれど、松屋の声は、彼の言う事は、小雪に勇気を与えた。
『演目? お前が書けばいいじゃん』
『お前は何を演じて、何を伝えたいんだ』
『この話、書き始めたきっかけは?』
『それ、演技にぶち込めばいいじゃん』
孤独も、寂しさも、彼は「いいじゃん」と軽く言ってのける。
今の小雪に必要なのは、きっと「いいじゃん」と言える軽さだ。
でも、どうしたらそれが実践できるのやら。
「……できる人に、聞くのが一番だよね」
小雪はスマホを手にした。
それと同じタイミングで、窓に小石が投げられる。
小雪がカーテンを開けると、松屋が車を家の前に止めて、外に立っていた。
松屋の手には、小石が握られている。
小雪が窓を開けると、彼はいつものように、大きなため息をついた。
「はぁ~~~。カーテンくらい開けろよ。陰気臭い部屋によく居られるなぁ」
「先生こそ、来たならチャイムくらい鳴らしたらどうですか」
「それができたら鳴らしてる。下りてこい」
「……あぁ、耳が良いのも困りものですね」
小雪は階段を下りて、玄関に向かった。
ふと、リビングの方を向くと、窓にヒビが入っていた。小雪は唖然とする。
急いで靴を履いて、松屋の元に走った。
松屋は、小雪の私服をじろじろと見るなり、鼻で笑った。……ダサい格好はしていないはずだが。
しかし、小雪はそれどころではない。外に出て、小雪は最初に松屋を問い詰める。
「信じられない! 人を呼び出すためだけに、家の窓割るなんて!」
「いや、石の大きさを間違えただけだ。次からちゃんと小さいヤツ選んだっての。つーか、それを言うんなら、お前だって部屋分かりやすくしろよ。してくれねぇから、家中の窓に石を投げることになったんだぞ」
「普通に声かけてくださいよ! そっちの方が断然早いじゃん! まさか、他にも割ったとか言わないですよね!」
「さぁな。それはお前が確かめろ。あとでな」
松屋はキャンキャンと吠える小雪を、無理やり車に押し込んだ。
松屋は怒る小雪を無視して、車の運転席に乗る。
松屋は車を走らせた。快晴の下を走るのは、とても気分がいいだろう。
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