第22話 崩れ落ちる世界
本番まで3週間を切った。
大道具も、小道具も大方全部仕上がった。
美術部に頼んでいた背景も出来上がり、家庭科部からも衣装の完成品が届けられた。
裕翔は卒業公演のポスターの製作もしてくれた。知佳や智恵が、お店に掲載してもらい、街に広く公演の知らせが広がる。
周りにそこまでサポートをしてもらった以上、演劇部としては生半可な演技はできない。
演劇部は、練習に気合いが入っていた。
松屋も部員も、最後の追い込みとして、練習に更に力を入れた。
小雪は自分の役を確立させるために、練習時間以外にも、演じる役が取りそうな行行動を意識して動いたり、仲間に頼んで台本の読み合わせをする。
美和も、翔太や智恵に演技指導をしてもらい、演技に磨きをかける。
誰もが本番に向けて、本気で突き進んでいる。
誰もが最後の舞台の一瞬のために、努力している。
そんな時に限って、悲劇とはやってくるものだ。
「おぉっす」
今まで来なかった佐伯が、部活に顔を出したのだ。
松屋はあからさまに眉間にしわを寄せ、翔太や美和は「最悪」と呟く。
佐伯は松屋と目が合うと、へらっと笑った。その笑い方は、久しぶりに見たが気持ちが悪い。
「松屋先生、珍しいなぁ。部活にいるなんて」
「生徒を監督できる人がいないと部活ができないんで、いるだけですよ」
松屋は遠回しに佐伯を非難する。だが佐伯は「そうか」なんて、松屋の嫌味に気が付かないで、のんきに返す。
松屋は佐伯を鼻で笑った。
佐伯は何か納得したように、勝手に頷く。
「松屋先生はもういいぞ。俺が来たからな」
いきなりの『用済み』発言に、松屋は目を見開く。「どうして」という安直な言葉すら、出てこないようだ。
小雪は未来予知に近い、最悪の展開を想像した。
いや、これはもう知っている。未来予知なんかではない。
こいつが来ると、必ずそうなるのだ。
3年間の部活で、思い知っているのだから。
佐伯の後ろでは、日野がにんまりと笑っていた。
その後の展開を知っているのは、小雪だけではないらしい。美和も、苛立った様子で日野を見ていた。
佐伯は予備で置いていた台本を開くと、「なんだこれ」と鼻で笑った。
「こんなのが舞台になるわけないだろ。あり得ない物語が世に受けると思うか? 今から練習できるとなると、童話しかないな。去年か
そう言った佐伯の目は、小雪に向けられる。
「中村、主役交代だ。日野と変われ」
死刑宣告のような言葉に、小雪の喉がひゅっと鳴った。
日野は「一生懸命頑張ります」と、空気が読めないことを言う。
「お前は主役に向いてないんだから、身の程知らずな役を取るなよ。こういう派手な役は、日野みたいな華やかな奴がやるもんだ」
なるほど。これは汚い手を使ったものだ。
日野は、わざと佐伯を部活に呼んだのだ。
自分が主役じゃないから、なんてしょうもない理由で、佐伯に相談したのだろう。佐伯はそれに乗ってしまったのか。
この時期を選んだのは、3年生に対する腹いせだろうか。
小雪は頑張って怒りを飲み込んだ。
冷静になろうと、努力していた。
「馬鹿じゃねぇの?」
佐伯に口答えしたのは、美和だった。
美和はいつだって、佐伯に対して抵抗を止めなかった。今回は口調を取り繕う余裕はない。それでも、佐伯に大きく噛みついていく。
「今さら配役も題材も、変えられるわけないじゃん。もう宣伝してるし、練習もこの演目で続けてきたし。主役がパッとしないとか、お前が言うなって感じ」
美和はいつも以上に怒っていた。
それは小雪のためでもあり、自分のためでもあった。
「そもそも、卒業公演キョーミなくて放り投げたのあんたでしょ。今になって口出すとか、ありえなくね? あたしらに丸投げしたんだから、権利もヘチマもないでしょ」
美和の怒りを受け止めた佐伯は、「はぁ~~~」と大きなため息をついた。
「顧問に向かって口答えするのか。三井、お前はもっと利口だと思っていたが」
「あんたに振り回されんのもう嫌なの。あたしらの舞台なんだから、邪魔しないでよね」
「お前、退部な」
「――――は?」
美和に言い渡された退部宣告に、部室が固まる。
翔太が「それはないでしょ!」と反論すると、「顧問の言うことが聞けないのか」と、部員を睨んだ。
下級生だけでなく、3年生すら口が開かなくなる。
美和は耐えきれず、佐伯の足を蹴った。
佐伯は苦痛に顔を歪め、怒りのままに美和の顔を叩き、床に転がす。
美和はすぐさま立ち上がるが、佐伯がまた、美和の顔を叩いた。
日野は勝ち誇った顔で部室を見ている。
美和は「クソ野郎」と悪態をついた。
佐伯の暴力に、誰も何も言えなくなった。
佐伯は気持ちの悪い笑顔で小雪に言った。小雪は、言葉が詰まってしまい、動けなくなった。
「主役、もちろん変わるよな? 三井の穴は他の部員で埋めるし、日野の方が主役にぴったりだ。練習だけでも、十分いい夢見れたろ」
佐伯は囁いた。悪意があっても無くても、それは小雪を奈落に落とす一言だった。
「お前は脇役が適任だよ」
――この気持ちは、なんと言えば発散できるのか。
――この感情は、どう表現すべきだろうか。
小雪は堪えた。努めて冷静でいようとした。
呼吸を整えても、手に込める力が抜けない。
自分に「そういうヤツだ」と言い聞かせても、奥歯を食いしばる力が解けない。
『そうなる運命だった』『結末は知っていたでしょう』と、諦めようともした。
自分の世界が壊される。
自分たちが築き上げて来たものが、全て水の泡になる。
努力が、試行錯誤が、想いが――……
……――全部なかったことになる?
(そんなの絶対に嫌!!)
――聞こえたのは、部室に響く悲鳴。
それと、取り乱す翔太と松屋の声。
小雪は腹にかかる重りに、優しく手を重ねた。
胴にぐるりと巻き付いた、美和の腕。
震えながらすすり泣く、彼女の声が小雪を正気に戻した。
小雪はいつの間にか握っていた椅子を手放した。
大きな音を立てて落ちるそれに、部員がまた悲鳴を上げる。
小雪はようやく、足元に倒れているのが佐伯だと、認識した。
頭から血を流す彼を見て、小雪は自分がやったのだと悟った。
松屋が救急車を呼び、翔太が部員のケアに回る。
日野は腰を抜かして、ぶるぶると震えて泣いていた。小雪と目が合うと、悲鳴をあげて逃げ出した。
松屋は小雪に尋ねた。
「……自分が何をしたか、分かるか?」
小雪は、とても冷静だった。
「佐伯先生を、椅子で殴りました」
戸田を殴った時点で、自分の感情に抑えが効かなくなっているのは分かっていた。
それでもまだ、コントロールできると思い込んでいた。
(ミスったなぁ……)
小雪は冷めたことを考える。
美和は小雪から腕を離さなかった。
すすり泣いて、「もういいから」と、何度も何度も繰り返していた。
松屋は駆けつけた教師たちに説明するべく、部室を出た。
遠くから救急車の音が聞こえる。ずいぶんと早い到着だ。
小雪は窓から見える、夕日を眺めた。
血のように赤い空は、雲一つない。
綺麗な赤だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます