第21話 役が形になる
小雪が部活を休んだ次の週、部員が交代で休息を取るようになった。
松屋がそう部員に通達したのだ。小雪が倒れてから、松屋もきちんと対策を練るようにしていた。
部活動は、休憩をこまめに挟むようにして、水分補給やリラックスできる体操を取り入れた。
休んだ部員のシーンは、松屋や前回休んだ部員が埋めた。
小雪も意識して、気を抜くようにした。そのおかげか、ミスが減り、部員を労わる余裕も持てた。
松屋は荒い言葉遣いを、意識して柔らかくする。
緊張感に満ちていた部活が、小雪が倒れた件から、少し穏やかになった。
さらに1週間後の今日は、家庭科部が部室に来て、衣装合わせをする。
生徒たちは、今まで手抜き感のある衣装に
知佳は卒業制作に間に合ったから、と言って余った生地で作った花束を、演劇部にプレゼントしてくれた。
小雪は美和と一緒に、主役の衣装を合わせる。
美和は胸周りのサイズが合わず、少し修正することになった。
小雪は腹部の生地が余った。気にならない程度だったが、知佳がそれを「ちょっとダサい」と言うので、直してもらうことにした。
イメージ以上の仕上がりに、知佳も小雪も、部員全員が満足していた。
知佳は修正する衣装を回収すると、「公演までに直すわ」と言って部室に戻っていく。
翔太の衣装合わせを担当した家庭科部の部員が、知佳の後ろについて、げらげら笑いながら部室を出ていく。翔太は何かを失ったような顔で隣室から戻ってきた。
「何も聞くな」
そう言われたら、何も聞けなくなる。一体何があったのか気になるが、翔太の胸に貼りついたままのテープや、口紅の擦れた跡が語ってくれる。
小雪はいろいろ察して「分かった」と返事した。
いつもの発声練習の後、小雪は台本を開く。
美和は小雪の隣で、小雪と同じくらいボロボロになった台本を開いた。
美和の台本の書き込みは小雪より少ないが、注意されたことやアドバイスなど、松屋だけでなく、翔太や部員と話し合ったことを細かく書いていた。それは小雪にはない、彼女の努力の証だった。
「今日は通し練習するぞ。できるだけ途切れないように、それぞれ役を意識すること」
「はい!」
小雪と美和が、部室の真中に立つ。
二人で深呼吸して、役に集中する。
小雪は頭の中で思い描いた。
主人公の性格を、行動原理を、言葉を。
そして、自分の弱さを、孤独を、わがままを。
美和との約束は、より強く、役にリンクさせる。
見てくれる人をがっかりさせない。それも大切だ。同時に、小雪たちはこれが最後の演劇なのだ。
自分たちが楽しめるように、最高の自分を思い描く。
「始め」
松屋の一言から、ナレーションが始まる。
2年生の綺麗な声が、世界観を説明する。
美和が、部室の真ん中で役を演じ始めた。
小雪は、どんな役も自分のものにできる美和が羨ましかった。
彼女の演技は、登場人物そのもの。それができるのに、他人を羨ましがるなんて、本当に不思議で、妬ましい。
日野が小雪たちの前を通り過ぎる。
小雪を睨むような眼差しに、小雪はわざと大げさに微笑んだ。
「『こんにちは。初めまして』」
日野は心底悔しそうな顔で、会釈して通り過ぎる。
美和は、笑いそうになりながら、「感じ悪いね」と演技を続ける。
松屋は、なぜか驚いたような顔をして、小雪たちの演技を見つめていた。
シーンは
智恵が台詞を一つ飛ばすまで、演技は止まることなく続いた。
台詞を飛ばしたことを、松屋は「本番は気をつけろよ」と軽い注意で済ませる。
松屋の変貌に、部員はみんな驚きを隠せない。
松屋はむすっとして「休憩」と、部室を出た。
***
部活が終わり、各々が帰り支度をする中、松屋が小雪を呼び出した。
別室に小雪を連れていくと、「今日の演技はどうした」と、直球で聞いてきた。
小雪は変な所があったのかと不安になるが、松屋はその逆らしい。
「今までで一番、いい演技をしてた。何かいいことでもあったのか?」
松屋に問われ、小雪は「特に何も」と返す。けれど、すぐに美和との電話を思い出し、それを松屋に伝えた。
「美和から、電話があったんです。倒れた日に、その時美和との約束思い出して」
「約束?」
「『いつか二人で主役を』と。それを、自分が壊しかけてたんだって」
だから、彼女との約束を果たすためにも、自分の気持ちを片付けるためにも。
今日できる精一杯を、練習にぶつけた。
松屋はそれを聞いて、安心した。
大きくため息をつくと、その場にしゃがみこんだ。
「っはぁ~~~。ビビった。休みの間に無茶したのかと」
「しませんよ。美和と舞台に立ちたいですから。それに、私の物語です。私の全部を表現しないと、意味なんて無いでしょう?」
小雪の吹っ切れた様子に、松屋はそうか、と笑った。
美和が教室に入ってくると、ふくれっ面で小雪の腕を自分に絡める。
「先生ぇ、小雪返してよ。あたしら一緒に帰るんだからさぁ」
「お前、少しは中村から離れて生活しろよ。目に入ると大体一緒にいるだろ」
「いいんですぅ。あたしと小雪は一心同体! 二人で一つ!」
「それぞれ別個体です」
松屋は小雪の辛辣な突っ込みに吹きだし、美和は「そんな……」とショックを受ける。
松屋は「話済んだから帰れ」と、小雪と美和を追いだした。
美和は不満を言うが、松屋は聞き流す。
「じゃあ先生、また明日ね!」
「はいはい。気ぃつけて帰れよ」
美和は松屋に手を振った。小雪も、「また明日」と松屋にお辞儀をする。
松屋は腕時計を見て、軽く手を振った。
***
小雪と美和は一緒に駅前に寄って、人気のクレープを食べた。
美和はフルーツ沢山のクレープを。小雪はティラミス風のクレープに夢中になる。
たわいもない話をしながら、それを頬張っていると、近くの劇場に松屋の車が停まっているのが見えた。
夜の7時近くになるというのに、松屋の車がそこにあるのが不思議で、小雪はつい、じっと見てしまった。
卒業公演の舞台貸与依頼とか? いや、あの教師がそこまでするとは思えない。
小雪がじぃっと見ていると、美和も同じ方向を見た。
松屋の車に気が付くと、美和も「音ダメじゃなかったっけ」と首を傾げる。
「……ヤバッ! もう7時になんじゃん! そろそろ帰んないと怒られる!」
「マズいじゃん。急いで帰ろ!」
美和と一緒に食べかけのクレープを持って、小雪は駅前から住宅街の方へ走り出す。
小雪は美和を心配しながら、一度だけ松屋の車を振り返った。
時間きっかりに帰りたがる松屋と、劇場は何か関係があるのだろうか。
彼の謎と同じく、空は藍色を深めていった。
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