第18話 問題は突然に 2

 部員のバックレは、すぐに松屋の耳に入った。というより、全部聞こえていた。


 翔太が頭を下げるが、松屋は「はいはい」と、どうでも良さそうな様子で部活を始める。

 小雪が気にならないのかと問えば、松屋は「どうして来ない奴を気にする」と、本当に興味なさげに返した。


「来たくないなら、来なければいい。部員なんて、本気で何とかしようと思えば、どうとでもなる。今から勧誘するでも、別の部活から助っ人でもな。所詮しょせんは高校の部活動だし、いてもいなくても、俺はどうだっていい」


 松屋は冷たく言い放って台本を開く。それでも一応、彼なりの気遣いのつもりなのか、バックレした部員の役が少ないシーンの練習を、重点的に行った。


 小雪は、部員の問題をどうしようかと、頭を悩ませる。

 美和には明日に、と言ったが、一秒も惜しいことに変わりはない。



 ――けれど、どうやって?



 小雪一人で立ち向かえる問題ではない。

 部活に来なかった部員にも、事情はあるのだろう。

 それを、どうやって解決すれば?


 考えても、考えても、最適な答えは出ない。小雪は、松屋に「集中しろ」と、三回も怒られた。


 ***


 次の日、昼休みになった途端、美和が動き出した。


 廊下で小雪が声をかけても気づかずに、階段を下りて、2年生の教室に向かう。

 小雪は殴り込みに行くかのような美和の雰囲気に、慌てて止めに向かった。


 2年生の教室では、戸田が仲間と大きな口を開けて笑っていた。げらげらと品のない笑いは、廊下にまで響いていた。

 美和は開きっぱなしのドアを掴んで、「戸田いる?」と短く彼女を呼び出した。


 戸田は遠めに見ても分かるように、嫌そうな表情をして、小さく舌打ちをする。

 美和はそれに気づいていながら、あえて無視をした。


 同じ階の空き教室に移動し、美和は戸田に尋ねた。



「昨日、部活来なかったの何で?」



 小雪が同じ教室に入ってくると、美和はちらりと見るが、それ以上のことはしなかった。

 戸田は態度が悪いまま、「別に」とぶっきらぼうに返す。


「たまたま用事があったんでぇ、急いでたし、早く帰ったんすよぉ」

「部員を脅すだけの時間があって、顧問に出られない事情を話す時間が無いのはおかしいだろ」

「……んだよ。全部知ってて聞くとか性質悪たちわる

「お前が性質悪いだろ。部員の弱み握って、脅して、従わせて――」


 美和が戸田に掴みかかったところで、小雪が仲裁に入る。

 小雪は落ち着いたトーンで、戸田に言った。


「今、部活が佳境に入ったのは知ってるよね。あと2ヶ月で私たちの卒業公演だし。最後の舞台で、3年生は気合が入ってる。そこに、水を差す真似はしないで?」

「うざ。一年早く生まれたぐらいで、先輩気取ってんじゃねぇよ」


 戸田は聞く耳を持たない。

 美和が前のめりになるのを押さえて、小雪は戸田に言った。




「何が不満なの?」




 そう聞けば、戸田は「全部だ」と言う。



 佐伯の采配で、演劇は軽いものばかり。


 練習だって、やっていないような環境で、駄弁って時間を潰せていた。


 主役は決まった生徒だけだから、オーディション形式で役を勝ち取る必要もない。


 雑な演技でも許されていた生ぬるい環境が、3年生が主体になった途端、厳しい環境に変わってしまった。



 戸田はそれが面白くないらしい。

 途中で帰ることも、適当な演技も許されない。本格的な部活じゃなかったのに、真面目じゃないと怒られる。

 自分にとって気楽で快適なたまり場が、奪われたのが嫌なのだ。


 彼女の言い分を、小雪はなんとなく理解していた。

 小雪も、卒業公演の話が丸投げされなかったら、自分たちでオリジナルの物語を作らなかったら、と想像することがある。


 佐伯が提供していた環境は、何も考える必要はなかったし、演劇の配役も、自分で選ぶことすらしなくて良かった。



 言ってしまえば、何もしなくて良かったから、考える必要がなくて楽だった。



 けれど、自分たちで動くようになって、自分たちで考えるようになって、小雪は変わった。


 やりたい事や自分の主張は、きちんとしなくては『自分』になれない。

 松屋のようなことを言うなら、この学園という舞台で、自分という役で、何もしないのはその辺に生えている草木と何ら変わりない。



 自分の役があるのだ。


 自分の舞台があるのだ。



 台詞を紡ぎ、動きを足して、きちんと演じなくては、何者にもなれないまま幕引きを待つことになる。


「……来たくないなら、来なくていいんだよ。別に、アンタ一人がいなくなるくらい、あたしらには関係ない」


 落ち着きを取り戻した美和は、戸田を突き放すように言った。

 戸田は、ふてくされた顔で、美和を睨み上げる。美和はそれに負けないくらい睨み返した。


「でもさ、周り脅して自分と同じことさせんのは違くね? 部活に行きたい子もいんだよ、あんたと違って。辞めたいなら辞めてもいいんだよ。そこは好きにしな。でも……次やったら、あたし容赦しないからね」


 美和は戸田に威圧して、教室を出ていった。

 小雪は美和を追いかけず、戸田と残る。気まずい空気の中、小雪は精一杯フォローしようとした。


 けれど、戸田は美和の脅しが全然響いていないようで、「だる」と一言吐き捨てる。

 小雪は自分を落ち着かせようと、深呼吸をした。


「アタシがサボろうと先輩たちに関係ないんなら、わざわざ言いに来る必要なくね? 面倒な事しにきてホントお疲れって感じ」


 小雪は自分を抑えようとした。感情のコントロールは慣れている方だ。


「つーかさ、脅したくらいで部活休む方が悪くね? 行く気あんなら、脅し無視していけって話じゃん。マジ弱すぎ」


 今までは、美和が代わりに怒ってくれていた。

 美和が全部代弁してくれていた。彼女が小雪の感情表現の一部だった。


「あ、先輩まだ残ってたんだ。影薄すぎて忘れてました。アタシ用があるんで、もういいっしょ?」



 でも今は、自分を抑える必要はない。


(我慢しないでいいや)



 小雪は、振り返りざまに戸田の顔を殴った。

 戸田は大きく仰け反って、床に倒れる。

 小雪は頬を押さえる戸田に近づいて、彼女の髪の毛をわし掴みにした。



「あんた、一人で部活サボるの怖かったんでしょ。だから他の子巻き込んだ。違う?」

「は? あ、頭おかしいんじゃない!?」

「聞こえないの? 一人でサボれないから、脅して仲間作ったんでしょ。マジ弱すぎ」

「あ、あう……」


 戸田は情けない声を出して、静かに頷いた。小雪はもう一発、戸田の顔を殴った。鼻を強く殴られた戸田は、ポタポタと鼻血をこぼす。

 小雪は手を離すと、冷めた目で戸田を見下ろした。


 戸田は小さく震えていた。

 普段大人しい先輩が、いきなり殴ってきたのだ。さすがに危機感は芽生える。

 小雪は戸田に言った。


「前の方が楽だったよね。その気持ちはわかるよ。でも、今と前は違うじゃん? 私たちは本気なの。私たちは最後の舞台で、自分たちを表現するの。それに水差すの、うざいからやめて」


 美和は優しいから今回は許した。小雪は美和より優しくないから、許さない。


 小雪は髪を掴む手にさらに力を入れた。

 戸田は痛みに顔を歪ませる。



「一人が怖くて、居もしない「みんな」を作って、『ホントお疲れって感じ』」



 小雪は戸田に顔を近づける。戸田の奥歯の鳴る音が、小さく聞こえてきた。

 小雪は、うずくまる戸田の顎を強く掴んで、自分と無理やり目を合わせた。



「部活、続けんのか辞めるのか。今日中に答えだしてちょうだいね。他の子、いじめたらどうなるか、その腐った頭でよぉく考えて」



 ──脅しってのは、こうするのよ。

 そう語る目に、戸田は情けなく泣き出した。

 小雪は手を離し、震えて立てない戸田を残して教室を去った。

 教室を出た後、小雪は深呼吸をして息を整える。

(……大丈夫、大丈夫)


 階段を上がって、自分の教室に寄って、昼ご飯を持ってから、いつもの空き教室に行った。


 教室では、まだ怒り心頭の美和が、翔太になだめられていた。

 とはいえ、翔太も怒っているようで、二人で盛り上がってしまっている。

「ねぇ、小雪。やっぱりもう1回、話に行こ!」

「部員脅したのは許せねぇ! 部長として、きっちり話つけてやる!」

「もう大丈夫だよ。美和に怒られたから、『もうしない』って約束してきたし」


 小雪は大きく息を吐いて、二人をなだめる役に回る。その笑顔が、台詞が繕われたものでも、彼らは気づかなかった。


 その場の誰も、小雪が戸田を殴ったなんて知らない。想像もしないだろう。


 小雪は美和の隣に座り、昨日のテレビや演劇の話をした。そのまま談笑して、残りの昼休みを過ごす。

 いつも通りの昼休みだ。いつも通りの学校生活だ。小雪はそれを、演じ切ってみせた。




 その日の放課後、部活の始めに松屋から「戸田が退部した」と報告があった。

 脅された生徒たちはほっとして、美和や翔太も安心したように笑っていた。

 小雪も笑った。その笑顔をキレイにとは、言えないかもしれない。

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