第17話 問題は突然に

 演劇部の練習はだんだんと厳しさを増す。

 3年生は最後の演劇だから、練習にも本気でぶつかるし、松屋もそれに本気で応えてくれる。


 小雪も本気で練習に打ち込んだ。美和も、小雪や松屋に「ここ、どうしたらいい?」とか、「動きにもっと意味を持たせたい」と、頭を下げて教えを乞う。


 翔太や智恵も、下級生を引っ張りながら自分たちが演じる役を固めていく。

 裏方だった3年生も、道具の作り方や照明の操作などの引継ぎをしながら、自分たちの役の練習をする。


 2年生や1年生も、先輩たちの本気についていこうと、一生懸命に練習した。誰も文句も弱音も言わずに、厳しい練習に耐えていた。



 それが続いて、しばらくした頃、それは突然起きた。



 小雪と美和がいつものように部活に行く。

 部室のドアを開けると、そこに居るのは3年生だけで、他学年の部員が一人もいなかった。


 翔太は深刻な表情で二人を迎え入れる。

 小雪が「どうしたの」と聞けば、智恵が泣きそうになって答えた。




「――バックレ、されたみたい」




 ──バックレ?

 部活で? 公演まであと2ヶ月しかないときに?

 どうして今そんなことをするの?


 小雪は頭がパニックになる。

 今下級生に練習を抜けられたら、練習時間が足りなくて、公演がダメになってしまう。

 かといって、バックレした生徒たちが大人しく戻ってくるだろうか。


 話を聞いて、説得すれば和解出来るかもしれない。

 でも、もしこのまま、部員が部活に来なかったら?


 3年生は下級生にバックレされたことで、全員頭が真っ白になっていた。

 比較的冷静な小雪も、どうしていいか分からない。


 そんな時、行動出来るのは美和一人だった。


 美和は部室を飛び出すと、廊下を速く歩き出す。

 小雪はとりあえず美和の後を追いかけた。


「美和、美和! どうするの!?」

「決まってんじゃん。まだ学校にいる2年と1年引っ張ってくんの」


 美和は怒っていた。でも、その割に冷静で、2学年の教室を一つ一つ尋ねて、部員をいるだけ部室に呼び出す。


 1年生は日野を除いて全員いた。

 教室で談笑している所を、美和が突入し、彼女の呼び出しを喰らった。


 2年生はほぼ全滅。一部の3年生と仲のいい部員だけ、教室で強張った表情で座っていた。


 小雪は美和が無言で教室を回る様子を、ただ見ていた。美和は一瞬、苦い顔をした。


 ***


 美和はいるだけの部員を集め終えると、「なんで来ないの?」と尋ねた。

 けれど、部活に来なかった生徒たちは、後ろめたくて何も言えない。



「黙ってても分かんないんだけど。なんで来なかったの?」



 美和の聞き方に威圧感があるせいか、より答えにくい雰囲気が出る。

 智恵は「き、きっと事情があるんだよね」と、優しく聞いた。


「さ、最近ほら、ぶ、部活忙しかったし、みんな疲れてたもんね。で、でもさ、いきなり来なくなると、部長も私も、し、心配するし……」


 智恵が尋ねても、誰も理由を言わない。しびれを切らした美和が、「早く言ってよ」と急かした。


 美和は苛立ち、翔太もピリピリしてきた。この二人は怒ると本当に怖い。小雪も、他の3年生もたじろいでしまう。

 二人の雰囲気に、智恵もオロオロする。何とか落ち着かせようとしても、彼女では歯が立たない。


 下級生たちは、だんだん涙目になってきた。お互いに目配せして、『どうしよう?』なんて表情で語る。


 小雪はどう聞いても、どれだけ待っても答えないだろうと踏んで、聞き方を変えた。




「誰が言い出したの?」




 小雪の質問に、下級生の怯えた雰囲気が和らいだ。美和も「その手があった」と、唇をキュッと結ぶ。


 下級生がいきなり全員休んだのなら、きっと誰かが提案しているはずなのだ。


 1年生は先輩の圧力に逆らえないから、従うしかない。2年生は、おそらくが強いタイプの部員に押されただろう。


 その生徒さえ分かれば、多分原因が分かる。小雪は静かに聞いた。


「多分さ、誰かが『サボろ』って声かけなきゃ、やんないよね。いきなり全員休むの。顧問に断りもないし。あんまりこっちも時間かけたくないからさ。教えてくれない? 怒ってるんじゃないんだよ。原因が知りたいだけなの。怒るのは、それを言い出した人に怒るから」


 小雪が問いかけても、なかなか喋らない。

 お互いに目を合わせて『どうする?』『言っていいの?』なんて、目で会話する。


 松屋が来る前に、松屋の耳に入る前に、出来たら聞き出したい。

 松屋が知れば、きっと次の部活は説教から始まる。3年生としては、貴重な練習時間を無駄にしたくなかった。


 少しして、2年生から声が上がった。


「あの、私は戸田さんに言われて。その、本当は嫌だったんですけど、戸田さんに『部活行ったらいじめる』って言われて。怖くて行けなくて……」


 その生徒は眼尻に涙を溜めて話してくれた。

 その後から、ぽつりぽつりと同じ名前が出てくる。


「戸田さんが『絶対行くなよ』って言ってきました」

「私も、同じこと言われて」

「戸田先輩に髪掴まれて、脅しみたいなことされました」


 ちょくちょく被害が出ているようで、髪を掴まれた、カバンの中身をばら撒かれた、お気に入りのものを捨てられたなど、看過できないことも出てくる。


 翔太は「分かった」と言って、尋問をやめるが、美和は納得いかない。



「誰か、戸田が今どこいるか分かったりしない?」



 美和の質問で、小雪は彼女の次にとる行動を察した。

 2年生から、「駅前のクレープ食べに行くと言っていた」と聞くと、美和は翔太に「あたし、ちょっと抜けるわ」と言ってまた部室を飛び出す。


 小雪が戸惑っていると、翔太に「あいつ止めろ!」と言われた。小雪は急いで美和の後を追いかけた。


 美和はさっきと違って、廊下を走っていた。

 それがかなり速くて、小雪は美和の後ろ姿を見失わないようにするだけで精一杯だった。


 なんとか校門のところで美和に追いつくと、小雪は彼女の腕を掴む。


「ちょっと、どこ行くの!」

「決まってんじゃん! 戸田を問い詰めんの!」

「主役いなくちゃ練習できないよ!」

「他の役、ごっそりいなくなってんだよ!? 今一番大事な時にさ、勝手にいなくなってんのに放っておけっての!?」

「だからって、帰ったヤツ追いかける必要ないじゃん!」


 美和は小雪の腕を振り払った。初めて振り払った。小雪は目をぱちくりとさせる。


「じゃあどうすんの!? いなくなった役、誰が埋めんの!? あんた一人でできるわけ!? できないじゃん! 他人ひと脅してまで部活に迷惑かけてんのに、なんで小雪怒んないの!?」

「怒ってるよ! 怒ってるから追いかける必要ないじゃんって言ってんの! 来たくないなら来なくていいって、学校いる時に言えばいいじゃん! 別に今追いかけてもさ、まだ駅前にいるか分かんないし!」


 美和は息を整えると、悔しそうに髪を掻き乱した。駅前にいたとしても、逃げられたら勝ち目はない。


 それに、校内よりも行動範囲の広い街中を、しらみ潰しに探すより、絶対に逃げられずに行動範囲が分かる時間に探した方が、手っ取り早いだろう。


 小雪は美和に「戻ろう?」と手を差し出した。美和はそっと、小雪の手を握る。


「……ごめん、ちょっとイライラしすぎた。そうだよね。小雪の言う通りだわ」

「ううん、私こそごめん。美和の気持ち、ほったらかしにしてた。部活の穴、一人で埋めらんないのに」

「言いすぎちゃったね、お互い」

「そうだね、仲直りしよう」


 小雪は美和を離さないように、玄関まで歩いていく。

 美和の手は、本当に握っているのか分からないくらい、弱い力が込められていた。

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