第13話 天秤にかけたから

 昼休み、小雪は家庭科部に衣装の依頼をしに行った。

 隣のクラスの斎藤さいとう知佳ちかは小雪と仲の良い友達で、家庭科部の部長をつとめていた。


 今は友達と昼ごはんを食べていて、おしゃべりに夢中になっていた。

 小雪は申し訳ないと思いながら、知佳に声をかけた。


 知佳は友達に軽く断りを入れると、食べていた菓子パンを持って、廊下に出た。


「小雪、どかした?」

「卒業公演の衣装依頼をしにきたの」

「はぁ~。どうせまた、あんたんトコの顧問が、主役の衣装をビカビカにしろ〜って、言ってくんでしょ」

「ビカビカ……いや、今回は口出ししないよ」

「マジで? どんな風の吹き回し? ついに学校辞めんの? やったね」

「違くて。そうなら良かったけどね。ほら、3年生にお気に入りがいないから」

「あーね。ねー、誰かウチのスケブ取って」


 知佳はクラスの子にスケッチブックを持ってきてもらうと、ページの端にイメージを書く。


「どんなヤツ?」

「あの、先に書いてきたんだけど、いる?」

「いるいる! めっちゃ助かるわ〜。最高じゃん。さすが演劇部の気遣い屋!」


 知佳は嬉々としてそれを受け取り、さっそくイメージを見てみる。

 にこにこしていた顔がすんっと、真顔になり、真剣なトーンで「正気?」と聞いてきた。


 小雪が頷くと、知佳は困ったような顔で紙に目を戻す。その様子があまりにも深刻そうに見えるので、小雪は不安になった。


「作れない? 予算は演劇部から出せるように、智恵が計算してくれた」

「や、作れないとかじゃなくてさ。今までの主役の衣装じゃないじゃん。こんな地味でいいの? いや、多分これが普通なんだけど。どうせ主役、1年のあの下手っぴちゃんでしょ」

「私が主役やるからいいの」

「ま? 小雪やんの?」

「うん」


 小雪が主役やると聞いて、知佳は驚いた顔をする。

 いつも一言二言喋ったら出番が無い小雪が主役をすることが、知佳には信じられなかった。


 知佳は満面の笑みで「分かった」と、衣装製作を引き受けた。


「たださぁ、時期的にウチらも卒業制作しなきゃなのね?」

「あ、そうだよね。忙しい時にごめん。使いまわしとか、リメイクでいいから……」



「この衣装、ウチらの卒業制作にしていー? まだ決まってなくて、わりと困ってんだよね。こんなかっこいいの作れるとか、マジ神じゃん」



 知佳は嬉しそうに言った。小雪はいいよ、と二つ返事をする。

 衣装の打ち合わせを智恵とするよう伝え、依頼は終了。




「よかったね。舞台、最後まで立てんの憧れてたもんね」




 知佳は小雪に「頑張ってね」とエールを送る。

 小雪はそれだけで、頑張れる気がした。


 衣装の依頼も終わり、あとは美術部に背景依頼をしなくては。


 小雪が次の教室に行こうとした時、予鈴が鳴った。


 放課後は部活がある。

 部活の前に行こうか。いや、今日から動きをつけての練習だ。主役が初っ端からいないとか、話にならない。


 公演まで期間はある。そんなに焦ることもないか。

 明日また、依頼しに行こう。


 小雪は自分の教室まで走った。


 ***



「全然ダメだ」



 部活の練習で、小雪は初めて松屋にダメ出しされた。

 固まって動けなくなる小雪に変わり、美和が「どうして」と松屋に尋ねる。


「動きはいい。台詞の言い方も、前にすり合わせた通りだ」

「完璧じゃん。なのにどうしてダメなのさ」


 松屋は小雪に言った。



「お前、心込めてる?」



 ――心?


 込めているに決まってる。

 小雪は演劇がしたくてこの学校に入ったのだから。


 初めてまともな演劇ができる。だから、いつも以上に本気だ。小雪なりに登場人物に心を寄せて、ちゃんと演技している。

 ちゃんとやっているのに。どうしてそんなことを言われるんだろう。



 松屋は頭をポリポリと掻くと、「まぁいいや」と続きを促す。

 小雪は松屋の一言で身が入らなくなってしまった。

 美和は小雪を案じながら、演技を続ける。


 美和の演技は、練習でも本番のように力強い。

 登場人物を演じるというよりも、美和が登場人物本人だと錯覚する。


 こんな風に演じろということだろうか。

 小雪に、美和のような本物の演じ方は出来ない。


 モヤモヤとした考えがぐるぐると頭の中で回る。

 小雪が悩んだところで、演技は続く。


 結局、終わりの時間まで答えは出なかった。


 ***


 部活が終わり、小雪は意気消沈して帰り支度をする。

 美和が小雪を待っていたが、「今日先帰んね」と言って、いきなりいなくなる。


 小雪はいきなり一人ぼっちにされたショックで固まっていると、「おい」とぶっきらぼうな声が降ってきた。


 松屋が小雪の隣にしゃがむと、小雪はいろいろと察した。

 美和は気を使ったのだろうな。松屋が話をしたいからとでも言ったのか、さっき部活で言われたからか。


 松屋は小雪の顔を覗きながら、「今日どうした」と尋ねる。


「台詞合わせん時は、あんなんじゃなかっただろ」

「べつに、いつも通りですよ」


 小雪はそう言ったが、松屋は納得していない。

 松屋は台本をぺらぺらと捲りながら、質問を変えた。




「この話、書き始めたきっかけは?」




 松屋の質問に、小雪は口籠った。

 この物語で伝えたい事や、表現したい事は事前に伝えたはずだ。

 どうしてそれを、もう一度聞くのだろうか。


 小雪が以前に伝えたことをもう一度伝えると、松屋は「そうじゃねぇよ」と言う。

 台本を叩きながら「これの元になるやつあんだろ」と小雪に言った。


 小雪は背すじが冷えた。そんなことまでわかるのかと思うと、松屋には透視能力でもあるんじゃないかと疑ってしまう。


「この文章、寂しさのようなもんが詰まってんだよ。書き手がそういう状況で書いたってことだろ」


 予想であってほしい。ただの、勘であってほしい。

 小雪がそう願うほど、松屋は物語の文体を読み込んでいた。



「どうして書いた」



 その質問があまりにも恐ろしくて、小雪は唇が震えた。

 答えることすらできない威圧に、小雪は声を奪われる。


 松屋は小雪が答えるまで待った。

 辛抱強く待ち続けた。


 何秒経とうと、何分経とうと、小雪が答えるまで松屋は待った。

 小雪は観念したように答える。





「……そうですよ。寂しいから、書いたんです」





 小雪にも、両親に可愛がられていた時期があった。

 けれど、受験が近づく時期に観た演劇に心を奪われた小雪は、演劇部のある学校に行きたいと両親に訴えた。


 有名校へ行ってほしい両親と、自分の望む世界を見たい小雪のケンカは今も続いている。


「可愛かったんですよ。自分たちの思い通りになっていた私は。可愛いみたいですよ。自分たちの思い通りの道を歩んでいる弟は」


 両親の視界から消えた小雪は、自由を手に入れた。同時に孤独も手に入れた。

 甘えることも、相談することも、何もできなくなり、小雪は寒さにも似た寂しさに耐えてきた。



 それから逃れるための物語。


 自分のためだけに描かれた世界。



 みんなにちやほやされる主人公が嬉しくて、自分も幸せで、――羨ましかった。


「いけませんか。自分を救うだけの物語。自分を慰めるためだけの主人公。書いている間だけ満たされた。それで幸せだったんですから」


 それでも、書き終えたら空しさが小雪を襲う。

 物語では手にできる幸せが、現実にはない。欲しいものは手に入らない。


 孤独と寂しさと劣等感を凝縮したような物語だけが、手元に残る。

 それに3年間も費やしたと思うと、一周回って誇りに感じる。


 小雪の思いを受けても、松屋は「そうか」とそっけない返事を返す。

 だろうな、しか感想はない。小雪は松屋に慣れていた。




「それ、演技にぶち込めばいいじゃん」




 本当、松屋は何を言っているのだろう。

 小雪は怪訝な顔で松屋を見上げた。


 松屋は台本をくるくる巻いて、平然としている。


「物語に感情ぶち込んで書いてたんだから、それを演技にもぶち込みゃいいじゃん」

「先生、分かってます? これ独りよがりの話じゃないの。全員で作り上げなくちゃいけないのに、私一人がそんなん演じたら話おかしくなるじゃないですか」




「おかしくしろよ。どうせ最後はハッピーエンドだろ」




 松屋は「それを調整するのが俺のやること」と言って帰った。

 小雪は松屋の言うことがイマイチ分からなかったが、自分が溜め込んでいたものを吐き出せて、少しすっきりした。


 小雪が荷物をまとめて廊下に出ると、先に帰っていたはずの美和がそこに立っていた。


「あ、ごめ。聞くつもりなかったんだけどさ」

「別にいいよ。親とはもう口聞いてないし。そういうのは全部、弟に任してるから。私の役目はもう終わり。舞台は弟に譲ったの。私の出番は、もう来ない」

「……あたしは小雪の味方だからね。あたしは小雪の事、可愛いって思ってるし、大事に思ってるもん」

「あはっ、美和は私のお母さんじゃないでしょ」

「いや、産んだ気する。絶対産んだわ。ほら、ママってお呼び」

「あはははは、やめてよ。しかも『お呼び』て! お腹痛い。あははは、最高。美和大好き」


 小雪は美和のジョークに腹を抱えて笑った。美和も一緒に笑った。


「帰りにさ、駅前のクレープ買って帰ろ。ずっと気になってたんだよね~。けっこう人気らしいよ」

「うん、いいね。どうせ家に帰っても、冷めたご飯しかないもん。美和とクレープ食べて帰りたい」

「小雪~! たんとお食べ!」

「いや、まだ買ってないし。お母さんムーブまだ続く感じ?」

「だって産んだもん」

「あははお母さん同年代とかウケる!」


 小雪は満たされた笑顔で帰路につく。

 橙色と紫色が混ざり合って暗くなる空は、秋の気配を感じさせた。

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