第12話 演劇部、始動

 約束通り、松屋は部活に顔を出した。

 新しいイヤホンを買ったのか、いつもと違う形のイヤホンをしていた。でも相変わらずイヤホンをつけたままだ。

 松屋は気だるげな顔で、部室の戸口に立っている。


 2年生や1年生は、3年生担当の松屋をほとんど見たことがないため、松屋の自己紹介から今日の部活は始まる。


 下級生から見ると、松屋の顔はかっこいいのか、女子部員は浮足立っている。

 仲良くなることを夢見ている姿を見ると、3年生たちはだんだん申し訳なくなってきた。


「3学年の国語を受け持ってる、演劇部副顧問の松屋智和だ。下級生は部活以外で会うことはないので、部活のことで聞きたい事は、部活中に聞くように」


 松屋は簡潔な自己紹介の後、「質問はあるか」と尋ねた。それだけで3年生には苦行の時間だった。

 2年生の女子が手をあげて、松屋に「彼女はいるんですか」と質問する。

 初めて見る先生には定番の質問だが、小雪は止めればよかった、と後悔する。松屋はすぐ眉間にシワを寄せた。



「それ、部活に必要な質問か?」



 ――ほら、こうなった。


 松屋の質問返しに、女子は固まる。

 松屋はこめかみをかしかしと掻くと、大きなため息をついた。


「彼女はいるのか、その質問が部活で本当に必要なら答えてやる。必要ない、もしくは関係ない質問なら、俺は答えない。だいたいさぁ、失礼だと思わないのか? 彼女、彼氏はいるのかなんてプライベートな質問。これが好きな色とかなら、まだわかるぞ? それでも嫌だけどな。必要性感じねぇし。つーか、恋人の有無なんざ聞いてお前、どうすんだよ。知ったからって、なんかあんのか? ん? お前、恋人いんのかって聞かれて、すぐ答えられるか?」


 怒涛の不満と文句に責められて、女子は泣きそうになった。

 松屋また、大きくため息をこぼすと、さっさと仕事に戻る。


「俺は6時までしか部活は見ない。それ以上は他の先生に頼め。いるか知らんが。あと、余計な音を立てるな。黒板引っかいたり、椅子を引きずったり、ドアの開け閉めも最小限に。今の質問のおかげで追加事項がある。デリカシーに欠けた質問はするな。以上」


 松屋が話し終わると、温まっていた部室の空気は氷点下にまで下がる。

 翔太が気を取り直して、発声練習を始めた。

 松屋はその間、部室の外に出て、ジュースを買いに行く。


 小雪は初めて頼る相手を間違えたと、本気で後悔した。美和もさすがに「ヤバいかもね」と、困った様子だ。


 下級生はすでに怖くて声が出ないし、質問した女子に至っては辛すぎる返しに、我慢していたが遂に泣き出した。


 智恵が慰めるが、さめざめと泣く女子が落ち着く様子もない。初見で松屋の皮肉を聞いて、立ち直れはしないだろう。


「本当に、大丈夫か?」

「……今『呼ばなきゃよかった』って、思ってるところ」


 翔太も不安をあわらにする。

 前途多難な部活が始まってしまった。


 ***


「声が硬い。台本はちゃんと読んだのか? ストーリーを読めば、どう演技するべきかが分かるはずだ」


 テーブルを囲んで、台詞合わせの最中、松屋は細かく口を出した。

 翔太の台詞にストップをかけると、松屋は「前後の台詞」と指でページを叩く。


「主人公と、村人が揉めてるんだろ? そこでお前はどう仲裁するんだ」

「えっと、『おやめなさいアンタたち』――」

「おどおどするキャラか?」

「いいえ」

「どういうキャラだ?」

「堂々として、意見をはっきり言うキャラです」

「じゃあそんな風に喋ろ。声が硬いと、キャラにもブレが出る。それにこれ、オカマのキャラだろ。夜の番組にも出てんだから、わかるだろ」


 松屋は「真似でいいから喋ってみろ」と指示を出す。

 翔太が演技を変えると、笑いが起きた。

 松屋も薄く笑って「ほら良くなった」と翔太の肩を叩く。


 翔太は恥ずかしそうにしつつ、はにかんだ。

 美和は次の台詞を読む。


「『じゃあどうするの? ここで話してて風車が直るのなら』――」

「書いてある字の通りに読むな。『直るのなら』じゃなく、『直んなら』が多分、動きをつけた時に違和感がなくなる」

「あ、やっぱし? あたしもそっちがいいと思ってたんだよねー」


 挨拶の時に比べて、部活は穏便に進む。

 小雪は台本のページを捲り、和気あいあいとした雰囲気に安心していた。

 挨拶の時点で洗礼を受けた下級生が、委縮してしまうと心配だったが、穏やかな表情で部活に励んでいる。



 一時はどうなるかと思ったが、杞憂だったようだ。


「次、中村」


 松屋はさくさくと部活を続ける。一瞬でも気を抜けば置いて行かれそうな速さに、小雪もついて行くのがやっとだった。

 小雪は自分の台詞を喋る。松屋は頬杖をついて聞いていた。


「『じゃあ、私が探してくるわ。その間、風車を直せる人を探してくれる?』」


 小雪の後に、美和が次の台詞を喋る。


「『分かった。気を付けてね。風車の部品は大きいものもあれば、小さいものもあるからさ』」

「『うん、分かったわ』」


 それでシーンが切り替わる。

 松屋の突っ込みはなく、無事に切り抜けた。だが、「台詞追加」と、松屋が言う。


「『分かったわ』の後に、『そっちも気を付けてね』を追加。あとは発声か。もうちょっと声量が欲しい。次」


 松屋の追加の台詞を足して、小雪はページを捲る。

 美和は誇らしげに小雪の横顔を見ていた。


 ***


 部活は松屋の宣言通り、6時きっかりで終わる。もうちょっとだけ活動したい気持ちがあるが、松屋は終わりの挨拶をすると、振り返ることなく帰ってしまう。


 小雪は少し残って、書き足された台詞や、松屋のアドバイスに目を通す。

 松屋の指示は佐伯よりも的確で、伝えたい雰囲気や情報が整理されていた。

 下級生の台詞より3年生の台詞が多い分、3年生の台詞の添削が多いが、下級生の台詞も少し手が加えられている。


 小雪が書いた物語を邪魔しないように、全体に磨きがかかっている。松屋の手が入っただけで、物語は見違えるほど洗練されたものになった。


 小雪は「これが本当に演目になるのか」と、ようやく実感した。

 喜びと愛おしさが溢れて、胸が詰まる。


 小雪は台本を抱きしめて、深呼吸をした。

 美和が「帰ろっ!」と小雪に声をかけた。小雪はカバンに台本をしまい、美和の隣に立つ。


「うん、一緒に帰ろう」


 美和はいつもの立ち位置なのに、感慨深そうに笑った。


「どうしたの?」

「いや、小雪と一緒に並ぶのって、移動教室とか、こうやって帰る時とかくらいだからさ。こうして舞台に立てるって、嬉しいなぁって思ったの」

「まだ台詞合わせしかしてないよ。あはは、気が早すぎ」

「んふふ、だって嬉しいんだもん。小雪と舞台、早く立ちたい」


 美和は廊下をピョンピョンと飛び跳ねた。

 小雪は美和と一緒に飛び跳ねる。それがおかしくて、美和とたくさん笑った。

 いつもより、充実した部活に心が躍っていた。こんなに楽しい日は初めてだ。



 これが明日も続くのか。明日はどんな日になるだろう。



 小雪はまだ来ない明日を、まだかまだかと待ちわびた。家に帰る道でも、小雪と美和は飛び跳ねて遊んだ。

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