第11話 先生が必要です

 卒業公演の練習を始めて、一週間が経った。

 それぞれが真剣に取り組み、初めて一致団結して取り組んでいる実感がある。


 けれど、小雪は練習に少し違和感を抱いていた。


 今回演じるのは、有名な物語でもない、演劇用の話でもない、完全オリジナルの物語だ。


 それぞれが意見を出し合い、演劇をより良くするために頑張ってくれている。小雪も、物語の一部変更や、舞台演出の話に加わりながら台詞を覚えていく。



 だが、肝心な『客観的意見をくれる人』が、今ここにいないのだ。



 佐伯は今の3年生に興味が無い。他の先生は別の部活で忙しい。

 翔太と智恵を中心に、3年生が部活をまとめてくれているが、これでは主観が入りすぎて、話が崩れてしまう。


 休憩中に、小雪が悩んでいると、美和が声をかけた。

 スポーツドリンクを小雪に渡して、隣に座る。



「悩んでんね。話聞こうか?」



 小雪は美和に、今考えていたことを話した。

 美和はそれを聞くと、深刻な顔をして「確かに」と頷く。


「これ、翔太に話した?」

「いや、まだ」

「言った方がいいよ。大事なことだし」


 美和の言うことはもっともなのだが、これを相談したとして、小雪たちに迫られる選択は『自分たちで乗り切る』か、『副顧問の松屋を引っ張ってくる』かの二択しかない。


 小雪としては、もっといい方法があるなら、そっちを選択したい。


 美和はその様子に、「分かった」と言って立ち上がる。



「翔太ー! あたしらちょっと抜けんね!」



 美和は小雪の腕を引いて、部室を出た。

 小雪は美和の突拍子のない行動に目を丸くした。


 廊下を突き進んでいく美和に、小雪は足に力を入れて抵抗する。


「ちょっと、何する気!?」

「翔太に相談できないし、他の先生は部活あるし、自分たちだけじゃ暴走するかもなんでしょ」

「そうだけどさ、まさか……」

「うん。そのまさか」


 美和は小雪を連れて図書室に向かった。

 カウンター裏の準備室のドアを開けると、松屋が嫌そうにこちらを向いた。



「うるせぇ……。なに」

「先生、副顧問でしょ。あたしらの部活見て。演技指導してよ」



 美和が選択したのは、『副顧問の松屋を引っ張ってくる』だった。


 美和は臆面なく言ってのけた。小雪は美和と反対に、内臓が浮き上がるような恐怖を感じる。

 松屋が演劇部の練習なんか見るはずが無い。持てる限りの語彙でののしってくるだけだ。


 案の定、松屋は心底嫌そうに、「佐伯先生いるだろ」と顔を背ける。

 それで美和が引くはずもなかった。


「佐伯はあたしらん中に、お気に入りがいないから興味ないの。部活にもこねーし。先生は副顧問だし、本当に見るだけでもいいから見てちょうだいよ」


 松屋は動く様子が無い。

 美和はそれでも引かずに、松屋の説得を試みる。


「先生、あたしら最後の舞台なの。あたしの夢と、小雪の努力と才能が認められる、唯一のステージなの。最高の時間にしたいわけ。だから、お願いします。指導してください」


 美和は深く頭を下げた。

 松屋はそれを、ちらりと見ただけで動きもしない。


 小雪は松屋に言った。


「オリジナルだから、自分たちで考えなくちゃいけないんです。でも、それだと主観的な考えに偏って、客観的な意見が足りなくなる。先生なら、それに気づけるでしょう? 国語の先生だし、台詞の違和感にも気づける」


 松屋の言い方には苛立つこともあるが、的がずれたことは言わないし、嘘もつかない。


 なにより、小雪には確かめたい事があった。




「松屋先生、演劇好きでしょ」




 松屋はそれを聞くと、目を見開いた。

 美和も「えっ」と声に出す。


「というか、物語全般が好きなんでしょ」


 松屋はいつも文学を読む。準備室に溜め込まれた本も、大半が文豪が書いた本だ。

 でも、海外のオペラの解説本や、舞台が原作の本などが、ちょくちょく混ざっているのだ。


 今だってよく見たら、童話の原作や最近の絵本、ライトノベル、学校では禁止されているマンガなど、松屋の巣はあらゆる本で形成されている。


 小雪は初めて準備室に来た時から気づいてはいたが、それには触れなかった。


「うるさいのが嫌いって言う割に、悩んでたらアドバイスしてくれますし、人が書いた話、あらすじだけでも読んでるし」

「……それに気づいたのは、お前が初めてだぞ」

「マジで!? 小雪ヤバッ! めっちゃ見てんじゃん」


 疑惑が事実に変わったことで、松屋はようやく体を起こす。

 美和は松屋に言った。


「……本当に見る気ない? 小雪の話、かなり面白いよ?」


 松屋はまだ、動く様子はない。けれど、嫌というより、動けずにいるように見えた。

 小雪は松屋に畳みかけた。



「私が話決まんなくて悩んでるとき、声かけてくれた。松屋先生なら信用できます。私たちと演劇、作ってください。ただ読むだけより、一緒に作る方が楽しいと思いますよ」



 小雪が頭を下げると、松屋は大きくため息をついた。


「お前ら本当、他人を振り回してくれんな」

「何とでも言ってください」

「……明日から行く。俺が見るのは六時まで。それ以上練習するなら他の先生に声かけろ。必要以上に騒ぐのもなしだ。その条件でなら、見てやる」


 松屋はそう言うと、小雪と美和を準備室から追い出した。


 松屋の了承が信じられずに固まる二人は、ドアが閉まってから声を出して喜び跳ねる。

 準備室から「おい」と怒気を含んだ声が飛んできた。それも気にならないくらい、小雪と美和は嬉しかった。


 ***


 説得成功が嬉しすぎて、美和と小雪は悲鳴のような声を出して廊下を走った。

 部室に駆け込むと、智恵がびっくりして椅子から落ちる。


「翔太! 聞いて聞いて! 明日から松屋先生来るよ!」

「はぁ? どういうことだ」

「図書準備室に松屋先生「おっけ」って」

「……小雪が説明してくれ。美和じゃわからん」


 小雪は準備室に乗り込んで、松屋に演技を見てもらう約束を取り付けたことを話した。


 それを聞くと、翔太も「おお!」と喜んだ。


「明日から来てくれるって」

「そうか。それは良かった」

「ただ条件があって、部活を見るのは六時まで、それ以上は他の先生に頼め、うるさくするなって」

「二つ目までは分かるが、最後のなんだ。演劇部なんだから、うるさいのは当たり前だろ」


 松屋の条件にやや渋い顔をしつつも、部活がちゃんと機能することは喜ばしい。

 練習後にこの件を部員に伝えると、1年生も2年生も副顧問の存在に驚いた。


 小雪は大いに理解できるその表情に、大きくうなずいた。


 部活が解散になると、翔太が小雪に話しかけてきた。



「松屋先生、本当に来てくれるんだよな?」



 にわかに信じられないのか、翔太は確認を重ねる。

 小雪が「そうだよ」と返すと、翔太は安心したように笑った。


「良かった……。松屋先生来るなら、演劇部も何とかなりそうだ」

「今まで、佐伯先生の好き勝手にされてたもんね。松屋先生なら、ちゃんと私たちを指導してくれるよ」

「佐伯じゃないならいいよ。俺は」


 そう言いつつも、翔太は松屋の監督が待ち遠しそうだった。

 翔太は「ありがとな」と、小雪にお礼を言う。


「俺、部長なのに。あんまり周りのこと見てなかったわ。顧問の客観的な視点とか、今まで完全主観しかなかったから、全部同じだと思ってた」

「そんなものでしょ。だって、佐伯先生じゃ誰も逆らえない」

「俺どっかで諦めてたんだよ。ちゃんとした先生いたのに。演劇部の事考えてるつもりで、何も考えてなかった」


 小雪は松屋を演劇部に呼んだだけだ。それなのに、翔太は反省している。それが、小雪には少しおかしく見えた。


 小雪は「気にしないで」と、翔太の肩を叩く。

 翔太はへらっと、気の抜けた笑いを見せた。


「明日から、忙しくなるな。あの先生はズバズバものを言うぞ」

「そうだね。下級生のフォローに走り回ることになるよ」


 翔太はヨレヨレのリュックを背負って、部室を出た。小雪も、カバンを持ってドアに手をかける。


 いつもの部室だ。

 最後に帰る、寂しい部室だ。



 けれど、今までと違う景色だった。



 小雪はドアを閉めて、鍵をかけた。


 カチャン、と音を立てたドアは、夕日と同じ、暖かい色をしていた。

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