第10話 練習開始

 一週間後、智恵に台本を作ってもらい、ついに練習に乗りだした。

 決まっていない役は、3年生が審査員となり、オーディション形式で役を選んだ。


 佐伯は卒業公演に乗り気ではないようで、部活初めの挨拶をすると、すぐさま職員室に戻ってしまう。

 練習の監督しないのかと問えば、「あとは3年生たちで適当にやって」とやる気のない答えが返ってくる。


 彼に邪魔されてきた3年生にとっては、とても都合がよかった。


 オーデションは智恵と美和、翔太の三人が審査した。

 佐伯に邪魔されていた部員が多かったせいか、みんなかなりやる気で、誰も知らない実力を発揮してくれた生徒もいた。


 公正な審査で配役を決めたあと、翔太が部員をまとめる。


「じゃあ、役も決まったし、発声練習をして台詞合わせをしよう。これはうちの、完全オリジナルだからみんなで作る必要がある。だから雰囲気とか、表現の仕方とか、気になる事とかこうしたらいいってのは、学年問わず言ってくれ」


 発声練習が終わると、全員が深呼吸した。


 翔太が台本の最初のページを開く。その手は、遠く離れている小雪にも見えるくらい震えていた。


 小雪も手が震えていた。自分のやりたい役を、自分の実力で演技できる。

 これほど喜ばしいことはない。


 実力で勝ち取った役に、みんなやる気満々だ。佐伯のお気に入り以外は、とても真剣に翔太の話を聞いている。


 佐伯の一番のお気に入りの日野は、脇役の村娘になった。彼女は、不満そうに台本を捲っていた。



「最初のページ、主人公が村を訪れるシーンから」



 小雪が書いた物語は、主人公二人が、村の住人と仲良くする話。

 これだけ聞けば単純だが、よそ者嫌いの村の風車が壊れて、それを直すのに奮闘する。


 主人公と村の人が協力し、部品を集めたり、直せる人を探したり、失敗と成功を繰り返して風車を直して、ハッピーエンドで終わる。


「『こんにちは。今日もいい天気ですねぇ』」


 美和が台詞を読む。

 次の台詞は日野だった。日野はつまらなさそうに、台詞を読んだ。


「『……どうも』」


 相変わらず棒読みで、『書いてあるから読んだだけ』な感じが拭えない。国語の音読のような適当さに、小雪は「帰れよ」なんて思う。

 美和はそれに口を出さなかった。翔太も言いたげにはしているが、初の台詞合わせで、口うるさくはしたくないのだろう。


 それでも小雪は、「ちょっといいかな」と手を挙げた。



「日野さん。その台詞喋る時、声、小さくしてくれる?」



 小雪が言うと、翔太は「後ろに声届かなくなる」と不安をあらわにした。

 けれど、小雪は「それでいい」と返す。


「ここは主人公と村人がまだ仲良くなってないじゃん? だから、台詞を聞かせるより、動きを重視したいの。声が小さい方が、壁作ってる感出るし」

「よそよそしいってわかるしね」


 美和が納得して頷いた。

 小雪が微笑むと、美和は二ッと笑って返した。


「台詞の言い方はそのままでいいから、声だけ小さくしてくれる?」

「……はい、わかりましたぁ」


 日野は初めての脇役にむくれたままだ。

 けれど助けてくれる佐伯は部活に来ない。小雪は安心して部活に集中した。

 台詞合わせは、時間いっぱい使って行われた。

 3年生だけでなく、2年生からもいろいろと提案が飛んでくる。

 取り入れや切り捨てを繰り返す台詞合わせは、いつも以上に白熱した。


 ***


 台詞合わせが終わり、小雪は台本に書き込みを入れる。

 まだ動きはついていない。動きがつけば、今感じている雰囲気や台詞は変える必要があるだろう。


 今のうちは、あまり読み込まないようにして、動きが付いてから意見を出した方がいい。でも、動きをつけるときの参考程度には、読み込んでおきたい。


 部活が終わっても、部室に残る小雪に、智恵が声をかけた。


「あ、あの、ちょっといいかな」

「うん、どうしたの?」


 智恵は小雪の隣に座ると、台本を開く。


「こ、この台詞、前後の会話がちょっと合わなくて。『いっそ壊せば?』じゃなくて、だ、『だったらどうするの?』に変えたいなぁって」


 智恵に言われて台詞を確認する。


 確かに、壊れた風車をどうするかで話し合っているシーンで、智恵の役がそれを言うと、次の美和の役の台詞――『直せばまだ使えるわ』に繋がらない。


 小雪は自分の台本をそのページに開く。


「智恵言う方に直そう。教えてくれてありがとう」


 小雪がペンで台詞を直すと、智恵は安心したように笑った。

 小雪は、なんとなく聞いてみることにした。



「いつも怯えているようにしてるのは何で?」



 小雪は無神経な聞き方だな、と口にしてから反省する。智恵は「アハハ……」と弱く笑った。


「わ、私、話すの上手じゃないでしょ。そ、それに、気が小さいし、声も小さくて、小学校も中学校もいじめられちゃって。き、気が付いたら、ひ、人の顔色窺うのが癖になっちゃってて」

「あ……。ごめん。言いにくいこと……」

「ううん。気にしないよ。こ、小雪ちゃん、私のこといじめないでしょ」


 智恵は手を小さく振って「大丈夫」とアピールする。


「高校に入って、い、今までしたことのないことをすれば、変われるかなぁって。で、でも、あまりちゃんとした役演じられないから、か、変わってないけど」

「佐伯先生、自分の好きな子しか役あげないからねぇ」

「うん、そ、それが辛くなって、一回だけ退部しようと思って」


 それが、智恵が副顧問を知るきっかけになったのか。

 小雪は悪いとは思いつつも、さらに深く聞いていく。


「退部を考え直したのは?」

「ま、松屋先生の一言かなぁ」


 退部の意思を示した智恵を、松屋は「あっそ」と興味無さそうに、退部届を受け取ったらしい。

 彼らしい対応に、小雪も乾いた笑いしか出てこない。


 でも、その後の一言が、智恵の背中を押したという。

 彼のハンコを待っている時に、松屋は智恵に言った。




『なりたい自分になれたのか?』




 智恵はそこで、入部した理由を思いだした。


「か、変わりたいから来たのに、何者にもなれずに終わるなんて、い、嫌だった。わ、私、理想の自分になりたいのに、そ、それすら諦めようとしてた」


 松屋に言われて、勇気が出た。智恵は勢いのまま、退部届を目の前で破ってしまったという。

 松屋はそれを見て、笑って準備室から見送った。


「だから残ったの。お、おかげで3年間続けられた。そ、それだけでもすごい事じゃない? おかげで演劇部の卒業公演にも出られる。……つ、続けててよかったって、今思えてきたの」


 智恵は、嬉しそうに笑っているが、気弱な智恵が松屋の前で退部届を破ったことが印象的過ぎて、小雪は固まってしまう。

 智恵は「そろそろ帰らなきゃ」と言って部室を出た。



『なりたい自分になれたのか』



 それが演技の事だろうと、本人自身の事だろうと、松屋は関係なく尋ねたのだろう。智恵は少なくとも変われている。自信がないだけで、その頃よりもずっと強く。

 小雪もその言葉に背中を押された。

 生徒の背中を押して、小雪の手助けもする。ふと思い返せば、副顧問としての仕事は、そこそこにつとめていた。それなのに――……



「どうして先生は、部活に顔を出さないんだろ」



 副顧問として、仕事をしに来たことは一度もない。

 授業だって、イヤホンをつけたまま平然として進めているし、いつも気だるげだ。


 生徒が嫌いなのだろうか?


 ならどうして助言をする?

 どうして手を貸す?


 放っておけばいいのに。彼はそれをしない。

 小雪には不思議な事だらけだった。松屋は何がしたいのか、誰にも分からない。

 外ではカラスが、夕日に背中を向けて飛び去っていく。

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