第9話 夢の一歩
図書室を飛び出した勢いで、小雪は演劇部3年生が集まる空き教室に飛び込んだ。
顔を真っ赤にして肩で息をする小雪に、美和は急いで駆け寄った。
「どした? なんかあった!?」
「……みわ、美和」
「うん、うん。あたしだよ。どうしたの」
「……でき、るよ」
「何が?」
小雪はノートを美和に見せる。美和は訳が分からないまま、ノートを受け取った。
小雪はなんとか息を整えると、美和にゆっくり説明する。
演目用の物語が完成したこと。
全員が望んだ役を、できる限り長く演じられること。
そして、二人で主役ができること。
それを美和に伝えると、美和は嬉しさのあまり震えだす。ノートを読んで、内容に笑みがこぼれる。美和は感極まって小雪に抱き着いた。
小雪はそれに、抱きしめ返して答えた。
「今日帰ったら少し修正して、明日完成版出せるから。話さ、みんなと考えたのと全然違うんだけどね。私が一から書いたやつになっちゃったんだけど」
「ううん。そんなの気にしないし。嬉しい、小雪とようやく、同じ舞台に立てるんだ……」
翔太は小雪から離れない美和にため息をつき、無理やり引き離す。
智恵は美和からノートを受け取り、話の内容に心を躍らせる。その場のみんなが、物語の完成を喜んでくれた。
「明日全員で話を確認して、オッケーだったら台本に起こそう。智恵、頼めるか? プリンターあるの、お前んとこだけだったよな」
「も、もちろん。あ、でも2日から3日は欲しいな。そ、その、パソコンに打ち込みして、全員分つ、作るから」
「大丈夫だ。じゃあ練習に入るのは、順調なら来週からだな。みんな、最後の舞台だ。よろしく頼むぞ」
翔太の言葉に元気に返事をして、今日は解散になった。
小雪が廊下に出ると、美和は緩み切った顔でノートを眺めて後ろを歩く。
小雪は恥ずかしくなってノートを取り返そうとするが、美和は腕を高く上げてノートを守る。
小雪はふふ、と笑った。
「ちょっと、返してよ。帰ったらそれ書き直すんだから」
「もうちょっとだけぇ。いいじゃん、あたしたちの努力の結晶になるんだよ?」
「赤ちゃんみたいじゃん。お話でしょ、それ」
「赤ちゃんだよ。小雪が考えて、書いて、形にした赤ちゃん。人じゃないだけ」
美和は愛おしそうにノートを眺める。
安い表紙を指の腹で撫でて、ため息をつく。
「やっと夢が叶うんだなぁ。小雪と主役。んふふ、二人が主役の舞台……んふふふ」
美和は心底嬉しそうに笑って、名残惜しそうにノートを返した。
小雪はこれを機に、聞いてみることにした。3年間の疑問を、あの口癖の意味を。
「ねぇ、どうして私と二人で主役をやりたかったの?」
美和のように、
台詞はいつも一つだけ。それ以上の出番はない。
台本にたくさん書き込んで、舞台全体の雰囲気を掴んでいたって、演技が上手くなるわけでもない。
凡人の小雪と、舞台に立ちたかった。その言葉の真意は何か。
美和は少し考えると、「怒んないでね?」と、前置きした。
「あたしね。1年の時、小雪のこと嫌いだったんだよ」
彼女が閉ざしてきた秘密に触れて、小雪は続きを聞くのが怖くなった。けれど、聞かなくてはいけない気がして、美和を止めることができなかった。
美和は目を合わせられないまま、話を続けた。
「演劇部の入部テストが初めましてじゃん、あたしら」
「あぁ。覚えてるよ。美和の演技力が1年生とは思えなくて、先輩たちも私たちもびっくりしてた」
「小雪が先で、次あたしだったじゃん。……あたしはね、小雪の方が演技が上手くて、羨ましかったの。それなのにあたしの演技に目を輝かせるから、『嫌味くせぇ~』って感じで。だから小雪が大嫌いでさ」
美和は、入部テストの時の小雪の演技に、敗北を感じたのだと言う。
同じ台詞で、同じ演技時間だったのに、小雪の演技は演じる役をキャラクターとして演じていたのだという。
役を役として、その人が何を考え、どうしてその行動をとるのか。それを、台詞と動きだけで表現していた。
自分と重ねず、役を人として確立させていた。
声の強弱と、表情だけで動いていた美和と違って。
「あたしね、まだ上手くできないの。小雪の真似して、頑張って練習した。今までずっとだよ? でも、どうしても小雪みたいに上手くできないの」
部活仲間だから、と当り障りない程度に付き合っていたが、どの劇も、どの役も、小雪は一言喋ったらすぐに幕の内側に行ってしまう。
そして、劇が終わるまで一度も出てこない。
自分は声がでかくて、強弱をつけているだけで、悪役なんて中盤までの役を演じられる。
本当に実力のある小雪が、佐伯の好み一つで、舞台の外に追いやられる。
それがいつしか、可哀そうに思うようになって、自分のことのように悔しくなって、憤るようになった。
美和が部室の真ん中にいるとき、小雪は部室の端で、台本にひたすら書き込みをする。一言喋ったら終わるのに、すぐに舞台から降りるのに、みんなのサポートに回って、舞台をより良いものにしている。
文句の一つも言わずに、退部の『た』の字も出さずに。泣きたくなるほど、けなげに見えたという。
「それがホント、もう泣けてきてさぁ。『なんで小雪に役くれないの?』って、『どうして小雪は一言話したらいなくなるのに、下手くそが最後まで舞台に残ってんの?』って、意味わかんなくてさ。く、悔しいの……むかつくの」
美和は、小雪が思っているよりも、小雪のことを見ていたのだ。小雪の演技を評価していたのだ。だからいつの間にか、小雪の友達になりたいと、思ってくれたのだ。
「あたし悪役やりたくないし、小雪に役変えてって言ったこともあったの。小雪怒ると思ったけどね。でも、佐伯の野郎、『パッとしない奴に役与えてどうすんだ。あいつは脇役でちょうどいい』って。演劇の事知らねぇくせに、あんなこと!」
小雪は美和を抱きしめた。
美和は小雪の腕に収まると、ポロポロと泣き出した。
「もう一回見たい。小雪の演技を。テストの時みたいな長い台詞を。舞台の上で、あたしの隣で。もう一回見たいの」
「うん、ありがとう。美和、ごめんね。もういいよ」
小雪は腕の中で泣く美和につられて泣いた。
何も思わなかった部活を、そんなものかと思っていた演劇を、自分を嫌っていた人が、一番自分のために怒ってくれた。悔しがってくれた。――友達になってくれた。
そこまでされて、泣かない、なんてできない。
小雪は美和の背中を撫でながら、自分の中の寂しさが埋まっていくのを実感した。
この手に握る物語なんて、最初から必要なかったのだ。それも知ることなく、小雪はずっと書き溜めていたのだ。
ただの独りよがりな空想物語は、誰かのための意味のある物語に姿を変えた。
ならば小雪も、姿を変えるべきだろう。
小雪は美和が落ち着くのを待って、一緒に帰った。
まだ夜を拒む空は、赤く染まって二人の影を長く伸ばした。
泣きはらした顔も、赤い空の下では分からない。胸の内を明かした二人の顔は、いつも以上に晴れやかだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます