第8話 独りよがりは昇華する

 小雪が、松屋に言われたことを考えながら帰宅する。

 自分が演じたいもの、演劇で伝えたいこと、不満を募らせておきながら、何もないとはお笑い草だ。


 小雪が玄関に入るが、何の音もしない。

 靴もない。買い物に行っているのか?


 小雪が不思議に思い、リビングに顔を出す。

 いつもなら夕飯の支度をしている母がいるのだが、今日はいない。


 ――なら、買い物か。


 小雪がほっと息をつくと、テーブルの上に一枚の紙が置いてあった。

 テーブルのそれは置手紙だった。


 なんでも、弟が塾の試験で一番になったとかで一泊二日の旅行に行く、と書いてあった。



 ……それ以上は何も書いていない。



 小雪は手紙をごみカゴに落として、部屋に向かう。

 ベッドに寝転び、大きく息を吐いた。


 夕飯はコンビニで買えばいい。お小遣いはまだたくさん残っている。

 お風呂も自分で沸かして、好きな入浴剤を入れちゃおう。花の香りのするお風呂は久しぶりだ。


 冷めたご飯を食べなくていいし、嫌いな入浴剤の風呂に入らなくていい。

 一人きりで、好きなように過ごす時間を手に入れたのに。




 ──胸が苦しくて、息ができない。




 まるでおぼれているような苦しさが、喉から胸にかけて小雪をむしばんでいく。


 寒いと錯覚するほどの孤独感が、胸の奥から雪崩のように押しかけて、小雪の幸せを吸い取っていく。


 その冷えに襲われてか、腕が、背中が、ピリピリと痛んで震えた。



 ――私は、あなた方の子供じゃないんですか。


 ――あなた方の子供は、弟だけですか。



「……そうですか」



 小雪は起き上がると、本棚の本を床に落とす。

 棚の裏に隠した一冊のノートを開いて、物語の続きを書き込んでいく。


 自分をベースに作りだした主人公が、小さな町で心穏やかに暮らす物語。

 町の人は主人公に優しいし、主人公も優しさと強さを兼ね備えた人物だから、みんなに好かれている。



 この物語を書いている間は、心が軽い。



 高校を決める際には両親と大喧嘩した。

 演劇部のある高校に行きたい小雪と、有名進学校に行かせたい両親とで、喧嘩は三日三晩続いた。

 小雪が志望校に合格してから、両親は小雪に冷たくなった。


 ……興味をなくした人形は、捨てることすら忘れられる。


 両親に無視されて、辛くなるたびに、逃げ込むようにこの物語を書き続けた。


 この学校に通うになってから3年間、こつこつと書き溜めた物語は、ノートのページ全てを埋め尽くすほどの大作となっていた。



 主人公が優しくされていると、自分が優しくしてもらった気になる。


 主人公が慕われていると、自分も一人ではない気がしてくる。



 分かっている。所詮しょせんは幻だ。自分を慰めるためのオモチャだ。


 寂しさが埋まればそれでいい。

 苦しみが消えればそれでいい。


 それで、苦しい今をしのげるのなら。全然かまわない。




「…………いいなぁ」




 小雪は物語を1から見返した。最初の導入は、小雪が1番好きなシーンだ。そこから展開される物語は、小雪の心を魅了する。


 いいなぁ、みんなに愛されて。

 羨ましいなぁ、孤独を知らないで暮らせて。



 ――私も、そうありたかった。



 読む度に、嬉しくて、楽しくて、幸せで心が温まっていく。


 それでいて、自分で書いた物語の主人公に嫉妬して、自分に与えられた環境を哀れんだ。



 3年も繰り返した、何も満たさない慰めに、小雪は目を閉じた。

 自分も、この主人公のようになれたなら、どんなにいいだろう。



「なれるわけないけど」




 ――いや、そうでもないな。




 小雪はノートをもう一度見返した。

 筋書きはガタガタではないし、登場人物も演劇部で演じられるだけの人数はいる。

 あとは、登場人物のキャラを変えて、演劇向けに書き換えたらいい。


 小雪は新しいノートを出した。

 似た話を、演劇部が希望する役で、書き直していく。


「このキャラは、このタイミングじゃなくて。代わりの役を入れて、それは2年生に演じてもらって……」


 小雪は黙々と話を書き直していく。

 熱中して、部屋の電気をつけることもせず、勉強机のスタンドライトで手元だけを照らす。

 小雪は好きな香りのお風呂も、ご飯すら忘れてシャーペンを動かし続けた。


 自分のためだけの物語よりも、誰かと演じるための物語を考えている方が、よっぽど楽しい。



「……もっと早く書けばよかった」



 無意識に呟いていた。自然と口角も上がる。

 小雪は寝るのも忘れて、物語を書き続けた。


 ***


 次の日の放課後、小雪は図書室でラストスパートをかけた。

 眠い。さすがに寝る時間を削るのはダメだったか。

 でもさいわいなことに、話のオチは自分の中で決まっている。

 あとはそうなるように書けばいい。


 あと5行。



 ……あと3行。




 …………あと1行。


 最後の読点をかいて、ようやく話を書き終えた。

 小雪は達成感と燃え尽きで、テンションが高くなる。


 このまま炭酸ジュースで『自分お疲れ様会(参加人数1名)』したい気分だ。

 自販機で買ってこようか悩んでいると、準備室から松屋が出てきた。


 彼は本当に本の虫だ。今日は『武蔵野』を読んでいる。


 イヤホンを直しながら、松屋が顔を上げると、小雪がいたことに驚いて肩を跳ねさせる。小雪は勝った気分になった。


「まだいんのかよ。違う教室で作業しろよ」

「どこで何をしようと私の勝手でしょ。図書室静かだし」

「はぁー。ったく、面倒なヤツが居座るようになったな。……で、演目になる話は書けたのかよ」

「書けましたよ。これから台本に出来るように、いろいろと準備しないとね」

「ふ~~~ん」


 松屋は興味無さそうにしつつ、小雪のノートを読み始めた。

 ページを捲るペースが速い。速読派なのか、単純に読み慣れているのかは定かではないが、今手にしていた文庫本より大きく、細かな手書きの字の話を、松屋はすらすらと読んでいく。


 途中手を止めて、いくつか質問はされたが、小雪が答えると、納得して続きに戻る。


 読み終わると、松屋はノートを閉じて、テーブルに置いた。



「この話を書いたのはどうしてだ」



 松屋は物語の根本を聞いてきた。

 小雪は一瞬たじろいだ。



「この物語で伝えたい事は?」



 松屋の鋭い目つきが、強い口調が、小雪を追い詰めていく。


 表面的に取り繕うことも出来た。けれど、小雪はそのまま伝えた。




「家族がいて、そうでなくても、自分を大事にしてくれる。そんな人が身近にいるのが羨ましい。だから、『自分を、自分を大事にする人を大切にして』って気持ちを伝えたいです」




 主人公の立ち位置は、あまりいじっていない。

 けれど、元の話なんかより主人公を取り巻く環境は変わった。それに合わせて、主人公の性格や行動は変えた。


 独りよがりな物語の時よりも、主人公の動きには説得力がある。

 前の空虚な物語よりも、今は物語そのものに、命のようなものが生まれた。



 だから、隠してきたこれに自信が持てた。



 松屋は「ふ~ん」と興味なさげな態度を一貫する。「退屈ではないだろうな」と、素直ではないが、小雪を褒めた。


「この話。すげぇ面白いってわけじゃねぇけど、引き込まれるようにできてるし、登場人物の動きも一貫性がある」


 ただ、と松屋は言った。




「主人公さ、一人じゃなきゃダメなの?」




 松屋が言うには、物語自体は悪くないが、主人公一人で話を引っ張るには無理がある。もう一人ほど、主人公の立ち回りを引き受ける人物が必要らしい。


「でも、これ演劇で使う話ですし……」

「演劇だから言ってんだ。これがただの小説、目で読むだけの物語なら、別にこのままでいいさ。でも演劇は違う。演者が描く世界を、目に焼き付けて観賞するんだ。観客的にも、演者的にも主人公一人は観てて辛いぞ」


 松屋に言われても、小雪は「はいそうですか」と直せなかった。


 主人公は本来一人だ。何人もいたら観客が混乱する。演者としては、それは避けたい。



『いつか二人で主役やろうね』



 美和の口癖が、こんな時にすら頭に浮かぶ。小雪は胸を押さえた。

 あの切なげな声が、あのまぶしい笑顔が、脳裏に焼き付いて――……




「主役って、二人もいて、いいんですかね」




 小雪は松屋に聞いた。気が付いたら口に出ていた。小雪は「忘れてください」と、慌てて訂正する。

 松屋は呆れたような顔で、「なに言ってんだ」と鼻で笑って返した。




「主人公が二人の話なんて、この世にいくらでもあんだろうが」




 それだけで、救われた気がした。

 小雪はノートを掴むと、図書室を飛び出した。


 美和が言っていた夢が、ひそかな希望が今、目の前で小さな火花を起こして、こんなにも輝いている。

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