第7話 型にはまらないものを

 昼休み、置き教室で昼ご飯を食べる仲間に、小雪は新たな話を見せる。

 翔太は「前より面白そう」とはいうが、反応は前に見せた時とそう変わらない。


 他の人も同じようで、あまり惹かれるものはない。

 結末や展開を変えても同じ反応では、小雪もさすがに困ってしまう。


 せめて、どういう展開がいいとか、こういう始まり方をしたいとか、一部だけでも具体的な意見が欲しい。


 きっと尋ねたところで、曖昧あいまいな答えしか返って来ない。

 どういう聞き方をしたら、明確な答えを引き出せるだろうか。

 小雪は頭を抱えた。




「あのさ、みんな何を演じたいの?」




 美和が、この場の全員に問いかける。

 翔太はいきなりのことに目を丸くした。


 美和はふざけて聞いているわけでも、煮え切らない態度に怒っているわけでもない。

 ただ純粋に、自分たちがするべきことは何か、と、仲間に問いかけていた。


「アタシらさ、小雪に『演目書いて~』って言ってんのに、何がいいとか言ってないじゃん。脚本の書き方とか、参考資料渡して、これ書いてきてもらってんのに、反応渋いだけとか迷惑じゃね? そんなの、小雪の努力に甘えてるだけじゃん。せめてさ、自分がやりたい話とか、演じたい役とかちっちゃいことでも、具体的なの出そうよ。小雪が可哀そうすぎるじゃん」


 美和の真っ当な意見に、智恵は「そ、そうだよね」と賛同する。

 だが自分の演じたいものなんて、考えていなかったであろう生徒の同意はない。


 演じる物語から役を選んで演じてきた。演じる人物と、自分を重ねて表現してきた。



 それが、役者なのだ。



 物語も分からない。登場する人物も決まっていない。それなのに、自分が演じたい役? 出てくるものか。


 そう言いたげな雰囲気が、この教室に満ちていた。小雪は、今の時点で出そうと考えている役を提出しようと、ノートのページを捲る。


 美和が小雪の手を握った。美和はもう決まっているようで、小雪の手を止めると、小雪に向き合って伝えた。



「アタシね、悪役じゃない役がいいな。いつも悪役だったし、天真爛漫? っていうか、明るい性格のキャラ演じたい」



 美和は笑いながら「いいかな?」と聞いた。笑っているが、切実な思いが伝わってくる。


 1度きりの舞台だ。

 自分たちだけで作り上げる、今までで1番の舞台なのだ。


 これを、「ダメ」だなんて言えるやつはいない。



「もちろん。美和にぴったりだよ。天真爛漫な明るい役」



 小雪はノートにメモを取った。

 美和が演じたい役を伝えると、連鎖するように、ぽつりぽつりと希望が出てくる。


 智恵は気が強そうな役。


 大道具担当だった和樹かずきは、つかみどころのない男の役。


 照明担当だった琴美ことみは、大人の女性がいいと言う。


 おじいさん役ばかりだった恭也きょうやは、絶対に若い役がいいと熱く語る。


 翔太は散々悩んだ末に「オカマを演じてみたい」と暴露して、みんなの笑いを誘った。



「小雪は何を演じたい?」



 美和に聞かれて、小雪も考えた。


 今まで、一言くらいしか台詞が無い役ばかりだった。

 せっかく台詞の多い役を勝ち取っても、佐伯が勝手に役を変えて、小雪から奪ってしまう。


 小雪はずっと、舞台の隅っこで、劇が終わるまで下級生の世話をして、じっと息を潜めていた。

 下級生の世話は苦痛ではない。が、楽でもない。


 ステージを照らすスポットライトが、舞台を歩く役を追いかける。

 聞こえてくる台詞が、現実とは違う世界だと錯覚させる。夢のようなひと時を、魅せつける。



 そんな輝かしい世界を、舞台袖の暗い所から羨ましく眺めていた。



 それをしなくていいのなら、あの思いをしなくていいのなら――




「主役、演じてみたい」




 小雪は、胸の中で咲きかけていた夢を口にした。



 それを、誰も笑わなかった。


 冷めた目も向けなかった。



 小雪のひそかで大きな望みを、「いいじゃん」と笑って言ってくれた。


「佐伯によく変えられてたしな。演じるだけの技術あるし、最後の舞台だ。みんな演じたいだろうが、俺は席を譲る」


 翔太は小雪に激励を送る。

 美和はお腹をさすってまた笑いだす。


「お、オカマ演じたいって言った奴の台詞じゃねー。オカマが主役の舞台とか、完全にコメディじゃん。あはは、ダメ、お腹痛い。あはははは小雪助けて」

「『ちょおっと! 笑うこたぁ無いんじゃないの !? まったく、やんなっちゃうわ』」

「あっはははははは! ホントだめ! 翔太マジふざけんなって……」


 美和は涙目になるほど笑った。小雪も翔太のいきなりの演技に笑って、ノートの字がぐちゃぐちゃになる。


「あ、どうせなら世界設定ファンタジーにしようよ。どうせ現代じゃなくていいんだし、好きに書けるんじゃない?」


 智恵の提案から、話はさらに盛り上がる。


 小道具係に剣を作ってもらおうとか、美術部に頼めばそれっぽい背景つかえるかもとか、演目のイメージは具体的になっていく。


 小雪は美和の袖を引っ張った。美和はキョトンとしていた。


「ありがとね。美和が言ってくれなかったら、話し合いできなかったかも」


 美和は笑ってピースする。

 小雪は笑ってピースを返す。


 昼休みが終わる鐘が鳴っても、誰も教室に戻らず、時間ギリギリまで話し合いを続けていた。


 ***


 放課後、空き教室で話し合いを続けながら、全員で話の筋書きを考える。


 主人公が暮らす街で何が起きるのか。

 そこから誰が、どう絡んで、どんな展開を迎えるのか。


 全員が頭を突きつけて考えるが、どうしても誰かが脇役となって、すぐに退場してしまう。


 高校生活最後の晴れ舞台。佐伯に邪魔されることのない唯一の演劇だ。

 誰もが早期退場を避けたかった。


「ここでなんか、事件起こしてみるか?」

「だめでしょ。話の筋書きから変わっちゃう」

「じゃあ、この役を変えて……」

「だったらこの役も変えなくちゃ。そうじゃないとキャラ被る」


 どうしても配役や物語が変わって、なかなか進まない。

 必ずこのキャラでなくては、というわけでもないが、奇跡的に演じたい役はオカマ以外主張が激しくない。


 配役を変えることは無くてもいい。だが、主役の動きがどうにも厄介だ。


 演劇に一番絡むだけあって、他の役の邪魔をする。

 主役がいなければ話は進むのでは? でも主役のいない演劇があるか?


 話に詰まるが、この問題を一気に解決させるアイデアが浮かばない。

 4時まで粘るが進まず、「明日また考えよう」と持ち越しになった。


 小雪が部活の様子を見に行く途中、職員玄関のところで松屋に出くわした。

 小雪が眉間にシワを寄せると、松屋はそれより嫌そうな顔をする。


「お前、なんでここに居んだよ」

「先生こそ、いつも帰るのが早いですよね」

「いいんだよ。会議だるいし、残業とかメンドクセェ。定時退勤が怒られて、長時間残業が褒められる理由も分からん。金にならねぇ仕事するくらいなら、さっさと帰るだろ」


 松屋が言うことは一理あるし、もっともなのだが、松屋が言うからか「そんなことないだろう」なんて反発心が湧く。



「で、演目は決まったか?」



 松屋に聞かれ、小雪は書きかけのページを松屋に見せた。

 松屋は顔をしかめて目を通した。


「何だこれ。『僕たちが考えた最強のお話』って感じの駄作」

「先生すぐそういうこと言う。……ん? 僕?」

「お前が考えたら、こんなデタラメな筋書きにならねぇだろうが」


 褒められている感じのしないことを言われ、小雪は頬を膨らませる。

 松屋は「ボツ一択」と言って、小雪にノートを投げて返した。


「主人公がふらふらしすぎ、必要のないキャラが必要のない場面にいるし、オカマが濃すぎる」

「オカマ……。それは、思いました……」

「その話を演じる気なら、観客は1分で飽きるぞ。最後まで観られる話を念頭に置け」


 腹の立つことを言われているのに、ぐうの音も出ない。それどころか、「そうですよね」と同意してしまう。


 松屋は言い方さえ変えたら、とても優秀な副顧問になれるのではないだろうか。

 ……いや、言い方が丁寧な松屋なんて考えられない。やっぱり無し。


 松屋は不満げな小雪に、問いかけた。




「お前は何を演じて、観客に何を伝えたいんだ」




 問いかけたのに、松屋は玄関を出て帰ってしまう。

 小雪は松屋の問いかけを、頭の中で繰り返す。


 何を演じたいか。


 何を伝えたいか。



 ――なにも、考えていなかった。



 小雪は、玄関から吹く隙間風を、足元に感じた。それは冷たくも暖かくもない。

 宿題となったその問いが、抱えているノートより重く、小雪にのしかかる。

 小雪は、自分の物語に意味もテーマも、見い出せていなかった。

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