第6話 物語のあるべき姿とは
小雪は、家に帰ると自分の部屋の本棚から、本を片っ端から出して読んだ。
松屋に言われたことを否定してやろう、と何度も読み返した物語に目を通す。
「これはハッピーエンド、これはバッドエンド」
小雪は物語を読み、結末が自分の知っているものと、一致していることを再確認する。
これでも松屋は、小雪のことを馬鹿にできるだろうか。いや、できないだろう。
「物語の終わりくらい、きちんと覚えてるもんね」
小雪は得意げに腕を組んだ。
覚えていないのは、それに興味が無い人か、作者本人くらいなものだろう。
小雪は明日、松屋に言い返せる理由ができたことを喜んでいた。これなら松屋を言い負かすことが出来ると確信していた。
小雪が小躍りしていると、スマホが震えた。
美和から『参考になりそうな話見つけたよ』と、ラインの通知が来ていた。
小雪は返信しようか少し迷った。
けれど、すぐに『ありがと』と返す。
美和からは、既読はついたがそれ以上はなかった。
小雪はスマホを抱いて、目を伏せる。
……仲直りしたい。ちょっと、言い方がキツくなっただけだと、説明したい。
でも、言葉が上手く出てこないの。ちゃんと口にしたいのに、大事な時に限って、何も言えなくなるの。
小雪には、自分から話しかける勇気すら無かった。
***
「そういうことじゃねぇよ。バーカ」
「なっ……!!」
放課後、小雪は図書室で松屋に昨日の回答を出し、
松屋は深くため息をつくと、「結末を知ってんのは当たり前だろ」と呟くと、小雪をちらりと見る。
「こんなバカを教育するなんて、教師ってのはほんっとう大変だな。聞かれたことの意味も考えず、表面的に受け取って、得意げになっちゃって。あーあ、よく国語教えて、ちゃんと点数与えてんなぁ。偉いわ、俺」
「何ですか! そうじゃないなら、ちゃんと言えばいいでしょ。言わないで答えが違うとか、嫌味みたいなの言われる身にもなってください!」
「ほらもう、すぐ人のせいにする。あーあ、最近の若者は読解力が足りねぇなぁ。言葉の意味をきちんと理解する力が、ぜ~んぜんねぇなぁ。頭が足りないで、他人に何でも説明求めんのは国語力の衰えが――」
「先生だってまだ若いでしょ!」
「義務教育の敗北を感じるわぁ。こんなんで大丈夫かよ、日本さんよぉ」
「うざ……、いや、ちゃんと意味を伝えない先生が悪いんじゃないですか」
松屋は、またため息をつくと、近くの本棚から一冊の本を出す。小さい頃によく読んだ、有名な絵本だった。
「はい、これは?」
「? 『人魚姫』です。原作アンデルセンの。絵本なんてあったんですね」
「これ、オチは?」
「?? 人魚が泡になって消えるじゃないですか。何が言いたいんですか」
「果たしてこれは、正しい結末か?」
――正しい、か?
作者がこれを終わりと決めたのなら、それは正しいだろう。それ以外にはない。
松屋は何が言いたいのか。小雪はますます、わからなくなった。
一方で彼は『ここまでお膳立てしたのに、まだわからないのか』と、不満で仕方が無いようだ。
「もしも、結末が違ったら?」
「まさか、海外の超有名アニメ映画のような結末だったら? みたいな話です?」
「近しいが違う。アンデルセンの書き方のままの、結末が違ったら」
松屋は言った。
もしも、人魚が王子と結婚できたとして、それは人魚であったことを隠すのか、はたまたカミングアウトして暮らすのか。
人魚が隠して生きるのなら、いつか海を恋しく思う時が来る。その時彼女はまた人と人魚の狭間で、葛藤して生きるだろう。
王子はその時どうするのか。
支えてあげるなら、いいかもしれない。けれど、人魚のためを思って、自分が海の魔女と契約したら? 王子が何かを失えば、人魚が悲しむことになる。
支えてあげたとしても、王子は何も語らない人魚に、不信感を募らせることになるだろう。そうしたら、二人の仲に亀裂が入るかもしれない。
今度は逆に、カミングアウトして暮らすことになれば?
幸せに暮らせるかも知れない。でも、王子が良くても、周りが人魚を嫌悪するかもしれない。
好奇の目に晒されて、人魚が耐えきれなくなるかもしれないのだ。
海に帰ってしまえば、王子はどんな思いをするだろう。
逆に、王子が人魚を利用するエンドだってあり得るわけだ。人魚を見世物にだってすることもあり得る。そうなれば、結婚を選んだ人魚は不幸になる。
人魚はそのまま惨めに生きるのか、また海の魔女に助けを求めるのか。
松屋はもしもの結末を、きりがないくらい上げて、小雪に聞かせた。そのうえでもう一度、小雪に尋ねる。
「この結末は、『登場人物にとって』ハッピーエンドか?」
それを目にする第三者ではない、本の中、文字に踊る人たちの目で松屋は問う。小雪は「はい」と答えた。
脳みそを直接殴られたような衝撃に、言葉が出なかった。
松屋はそれを踏まえて、小雪のノートを指さした。
「お前は、登場人物のことを考えているか? 物語は、本当に幸せか?」
松屋に言われ、小雪は自分のノートを読み返す。
昼休みまで「いいな」と思っていた話すら、陳腐で面白みのない、枯れたものに見えてくる。
松屋が言う、正しい結末というのはこういうことか。
『これが最善』、『これが幸せ』だと明言できない話が、面白いはずがない。
小雪は自分の話の一つを、赤ペンで修正する。
本来ならば、ハッピーエンドで終わる物語だが、小雪は心を鬼にしてバッドエンドに書き換えた。
「これが、正しい結末ですか」
小雪は松屋に尋ねた。
松屋は「悪くねぇんじゃねぇの?」と、濁した。
小雪はそれで間違いではないと知った。
松屋は「まぁ、」と付け足す。
「一辺倒の話を変えられたら、もっといいだろうけどな。話の筋書き、一つしかないわけじゃないだろ」
「そうですけど、これは本にする話じゃない。演技する人がいるんです。演じられなかったら意味ないでしょ」
「バカ。お前ら演劇部の3年生だろ。入ったばかりの1年じゃねぇんだ。できないじゃなくてやれ。無理なものを演じ切ってみせろ。それができて3年生だって言えんだぞ」
松屋はぶっきらぼうな言い方で、助けを求める手を払いのけた。けれど、決して佐伯のような、手放しにするわけではなかった。
「やったことが無いからできません、が通じるのは1年生までだ。3年生なら考えろ。話し合って詰め込め。言われたことしかできないのは、物語の人間だけだろうが」
松屋は4時になると、図書室を出ていく。
小雪は「教師の癖に」なんて悪態をついた。
松屋は言い方が悪い。
言い方は悪いが、佐伯と違って的外れなことは言わない。
反抗したくなる。と、同時に
それは松屋が、小雪にきちんと向き合って、考えてくれているからかもしれない。
『3年生なら考えろ。話し合って詰め込め』
松屋の言葉に動かされ、小雪は図書室を出た。
ちょうどそのタイミングで、美和とばったり出くわした。
少し気まずいまま、小雪と美和は見つめ合う。
美和はにこっと笑った。
「あっとね、3年が部活の様子見てくるって言っててさ。空き教室居ないから、もし用があったら部室来てねって、伝言しに」
美和は作ったような笑顔で言う。それが耐え難くて、小雪は唇を噛んだ。
「演目作りの邪魔してごめんね」
言っていることは本当なのに、顔が作り物。
ちぐはぐな彼女を前に、小雪はやはり何も言えない。
美和は用が終わると、そそくさと小雪に背中を向ける。
――これは、演劇ではない。自分たちの、現実なんだ。
――言われたことしかできないのは、与えられたことしかできないのは、物語の中の登場人物だけ。
――だったら、言うべきことはきちんと、言わなくては。
「ご、めん……ね」
こわばった声に乗せられた言葉。たどたどしいそれは、たしかに美和に伝わった。
小雪は、自分の心を口にするのが怖かった。それでも、伝えようと努力した。
「あの時は、ちょっと……その、急に演目作ることになって、びっくりしてて、良いの作んなきゃって、焦ってたっていうか。その、えっと……余裕が無くて。きつい言い方しちゃった。……ごめん、ホント」
小雪の本心を聞き、美和は「私も」と言う。
「小雪はほら、あたしらより台本読み込むし、演劇の雰囲気づくりとか、話すれば的確なの返すじゃん? だから、小雪に任せたら安心だなぁって、思っててさ。今思えば、小雪のこと、全然考えてなかった。言葉も、足りてなかった」
美和はまた笑う。貼り付けた偽物の笑みではなく、花が開くような綺麗な笑顔だ。
美和が笑うと、小雪もつられて笑う。美和は小雪に思いっきり抱き着いた。
「あ~~~良かったぁ。絶対嫌われたと思ったぁ。小雪に嫌われたらあたし、絶対生きていけない……」
「そんな大げさな」
「そんなことないし。さっき翔太に『小雪小雪ってうるさい!』って、怒られてきたんだもん」
「だからしょげてたの」
小雪をと美和はいつものように笑いながら廊下を歩く。部室に行くと、翔太が「よりを戻したか」と、呆れた顔で出迎えてくれた。
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