第4話 物語は唐突に
「お前が書けばいいじゃん」
松屋にそう言われた。小雪は頭が真っ白になる。
演目を、自力で書けだって? そんな簡単にできるものか!
松屋は頭の後ろで手を組んで、欠伸をする。興味なさげな態度で、『山月記』の続きに目を通す。
「夏休みの作文も、この中じゃ中村が一番上手かったからな。卒業公演には、ちょうどいいんじゃねぇの?」
「そんな、こと、言われても」
書けません、とお断りしたいのに。
言葉がうまく出てこない。大事な時に限って、否定できない。
小雪は喉の奥に引っかかる異物感を、飲み込んだ。
言い淀む小雪に、翔太は「頼んでもいいか?」なんて聞いてくる。
みんなも小雪に「お願い」と言ってくる。
自分じゃなくて良かったと思っているんだろう。何もない所から、演目を書くなんて、到底できたことじゃない。
小雪は助けを求めるように、美和を見た。
美和だけは「無理しなくていいから」と、小雪を労わってくれた。
それでも、みんなの圧力に耐えきれず、小雪はその頼みを受け入れた。
翔太はサポートを申し出てくれたし、智恵は参考になりそうな資料を調べると言ってくれた。
解決したような空気になっているが、小雪は何も解決していない。
「じゃ、後は頑張れよ。なるべく音を立てないように、ここにも近づくな」
話が済んだ途端、松屋は本を顔に乗せて昼寝の続きに戻った。シッシッと追い払う手に押されて、小雪たちは準備室を出る。
「……じゃあ、資料と書き方のなにか、探してくるか」
翔太が2班に分けると、一方はコンピューター室へ、もう一方は図書室に残って資料探しを始めた。
***
話し合いも終わり、最後に部活に軽く顔を出して、小雪は家に帰る。
とぼとぼと歩く住宅街は、ちょうど帰宅途中の小学生たちが、友達とふざけ合いながら走っていく。小雪はそれを横目にカーブミラーの角を曲がった。
日が沈みゆく道に、自分の影が不気味なくらいに伸びる。
それは自分を飲み込もうとしているようで、怖くなった小雪は空を見上げた。
オレンジ色の空は、雲が流れるたびに色濃くなる。遠い地平線の向こうから、夜が追いかけてきた。色が少しずつ、混ざり合っていく光景は、子供の恐怖を駆り立てていく。
小雪は、ため息をついた。
***
誰もいない家の中で、小雪は二階に上がり、手前の部屋に入る。
水色を基調とした可愛らしい部屋に、似つかわしくない大きな本棚がある。小雪は本棚の一番上の棚から数冊本を抜き取った。
喜劇ならシェイクスピアが参考になる。悲劇ならアンデルセン。いや、ここは面白おかしいルイス・キャロルでもいいかもしれない。
参考にするなら別に、海外の作品じゃなくていいかも。日本の作品から着想を得られないだろうか。
小雪は文豪の小説も抜き出すと、あらかた目を通す。机に広げたノートを見下ろして、深いため息をついた。
面白くて、内容が深くて、楽しい演劇? それを一介の高校生に書けと?
仲間の押し付けるような雰囲気にも不満はあるが、松屋の煽るような言い方はもっと気に食わない。
「成績が良くたって、書けるとは限らないのに」
そもそも成績が良いなんて、松屋から一度も言われたことが無い。
授業の短編創作課題だって、松屋が課題プリントを作るのを忘れたから、その場しのぎに出されたものだし、なんならその後の授業で、「全部駄作じゃん」と言い放って、クラスから怒りを買った。
それを今さら「この中では成績が良い」なんて。松屋は小雪を、バカにしているに違いない。
小雪はとにかくアイデアを絞り出した。
タイトルだけ、あらすじだけ。
どうなる予定か、どんな結末を迎えるのか。
それだけで何とかノートを5ページ埋めた。
けれど、どれもピンとこなかった。
書いていて、『面白そう』なんてちっとも思えないのだ。
ありきたりで、どこにでもある展開。
同じような結末に、歯がゆい台詞。
そうじゃないのに、書けるのがそれしかない。
「どうしたらいいの……」
そうこぼしても、救いの手が差し伸べられるわけが無くて。
『いつか二人が主役の舞台を』
美和の口癖が脳裏をよぎった。小雪は机に伏せて、その口癖を噛み締める。
――二人が主役、かぁ。
そうなれば、どれだけいいだろう。
きっと楽しくて、面白いのに。
「……ごめんね、美和。舞台の主役は一人だけなんだ」
演劇に主役は一人だけ。主役が増えることはない。
小雪はベッドに寝転んだ。
腕で目を覆い、また悩む。
全ての条件を満たす、最高の演目。そんなもの、自分が書けるわけがない。
物語を考えるのは好きだ。でも、考えるのと書くのは全くの別物だろう。
「そういえば、松屋先生はどうしてあんなことを言ったんだろう?」
面倒だったから、『お前らが作れ』なんて態度を取ったのか?
それなら、近くにあった山積みの本の中から、小雪たちが知らなさそうな本を取って、それをポンと渡してやればいい。
わざわざ美和の無茶ぶりに「そんなものはない」と、親切に返す必要もない。
――適当に言っていたわけではない? そんなまさか。
松屋は授業中もイヤホンをつけていて態度は最悪だし、生徒の質問に嫌味と理由と、さらに嫌味のサンドイッチで返してくる。
そんな彼が、本当に一緒に考えてくれていた?
小雪はうとうとしながら、松屋の言動を考えていた。
これが演劇なら、松屋の行動にも意味があるのだが、現実世界に深い意味なんてあるだろうか。
「――変、な……先生」
小雪はそのまま眠ってしまった。
***
小雪が起きると、部屋は真っ暗で、外はすっかり夜になっていた。
うす暗い部屋は孤独感が増す。小雪は外の明るい星を見上げて息をついた。
リビングに下りると、親はとっくに帰ってきていたようで、テーブルに自分の夕飯が置いてあった。
テーブルにはもう一つ、弟の塾の送り迎えついでに出かける、といった内容の置手紙があった。
手紙を破り捨て、皿のラップをはがし、小雪は夕飯を食べる。
夕飯はとても冷たかった。温めればいいのだろうが、それすらも面倒くさい。
ここ3年、小雪は両親と会話をしていなかった。
ご飯を用意してくれるし、お風呂にも入れる。けれど、顔を合わせることも、挨拶すらもしていない。
夕飯の時間に遅れても、こうしてラップをかけるだけなので、小雪を呼んでくれないから、時々食べそこねる。
一緒に暮らしているだけの他人――小雪の家族関係は、この一言に尽きる。
小雪は夕飯を食べ終わると、食器を片付けて、また部屋にこもった。
「早く明日にならないかな」
呟いたって夜は更けていくだけ。朝が来るには早すぎる。
一人ぼっちの家は寂しくて、寒い。小雪は時計をじっと見つめた。
自分に超能力があったなら、時間を速く進める能力が欲しい。
そうすれば、この冷たい家に居なくても済むのだから。
「……演目、もうちょっとタイトル候補出しておこう」
小雪は机に向かい、ノートとにらめっこして、残りの夜を過ごす。
外では月が、満天の星をじっくり眺めて歩いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます