第3話 卒業公演の話

 文化祭が終わって間もなくのこと。

 昼休みに演劇部の3年生が部室に集められた。

 部室で佐伯は一人だけ椅子に座って、心底興味なさそうに話し始めた。


「10月に卒業公演がある。3年生が主体となって演劇をするやつな。市のホールを借りてやる予定だから、あと頼むわ」


 3年生には興味ありません、と言わんばかりの態度には、少し言いたいことがあるが、小雪はそれが気にならないくらい、気が重かった。


 卒業公演は、3年生が主役を演じられる。技術関係なく、好きな役を演じられる。



 ……なんて甘い言葉に惑わされるが、実際は佐伯の趣味に振り回されるわ、意味の分からない指示を出されるわで、てんやわんやになる。



 それだけならいいが、佐伯のお気に入りというのは往々にして、自分勝手な女の子ばかり。


 去年は自分より上手な先輩たちを叩きまくって、『こんな下手くそたちと演技したくない!』と、泣いて喚いて大変だった。


 ある意味文字通り、3年生が主体となって全部考えて、二人のご機嫌を取って、全部取り繕って、演劇を完成させるのだ。



 だが今回は、肝心の演目の候補も、練習できる期間も、何も知らされない。

 前年は佐伯のお気に入りがいたが、今年はいない。それが影響しているのだろうか。


「先生、演目や練習時間はどうするんですか」


 部長の高坂こうさか翔太しょうたが尋ねても、佐伯は欠伸をする。本当に興味なさげな態度だ。



「言っただろ。あと頼むって。じゃ、解散」



 佐伯は3年生を部室から追い出して、さっさとカギを閉めた。

 廊下に残された生徒たちは、戸惑っていた。


 いきなり卒業公演の話をされて、手放しに任されても困るだけだ。

 去年のやり方を覚えていても、何も参考にならない。去年も一昨年も、佐伯が勝手に全部決めていた。

 できるとしたら、佐伯が決めた演目を、佐伯が決めた主役が演じられるように、他の先輩方が調節していたのを真似るくらいだ。


 自分たちで演目を決めようにも、台本を用意しようにも、誰もやり方を知らない。


 異例中の異例のことに、誰もが驚きを隠せないでいた。

 美和だけが、「最高じゃん!」と跳ねて喜んでいた。


「美和、何言ってんだよ。全部丸投げされてんだぞ」

「考えてみてよ。翔太が今言ったように、『全部丸投げ』なんだよ。あたしらで決めていいってことじゃん! エロジジイが口出ししないってことでしょ」


 言われてみれば、そうだ。

 佐伯が投げた以上、自分たちだけで、何をしてもいいことになる。

 今までできなかった演目も、口を出せなかったことも、何もかもを。


「さっそく放課後演目探そっ! みんな好きなのを演じようよ」


 美和の言葉に、みんなはやる気になる。

 予冷が鳴り、それぞれ教室に戻る。残念そうに別れていく廊下で、小雪は少し浮かれていた。


 ***


 放課後になり、演劇部の3年生だけで図書室に集まる。

 それぞれ演じたいものを調べたり、本を持ち寄ったりして、話し合いを開いていた。


「アンデルセンとかどう?」

「卒業公演を悲劇にする気か。明るいのにしようぜ」

「最近流行りのとかどうよ。あのコメディ、めっちゃ面白れぇじゃん」

「それ著作権とか引っかかるやつじゃん。ダメだよ死ぬよ」


 ああでもない、こうでもないと議論が続く。演目候補が一向に進まないまま、時間だけが過ぎていく。

 1時間経っても終わらない話し合いに、小雪は飽きていた。


 小雪がカバンから課題を出そうとすると、中に『白雪姫』の台本を入れっぱなしにしていたことに気が付いた。


 文化祭はもう終わったのに、まだ入れていたのか。

 小雪が付箋だらけのよれよれになった台本を眺めていると、誰かが口を開いた。




「ふ、副顧問に相談してみない?」




 副部長の智恵ともえだった。

 彼女はおどおどした様子で提案したが、誰も同意しない。それどころか、キョトンとしている。それもそうだ。


「智恵、うちに副顧問はいない」


 翔太はきっぱりとそう言った。

 もし副顧問がいたら、佐伯による独裁体制がしかれることはなかったはずだ。

 けれど、智恵は一生懸命反論する。


「いるよ? い、一応どの部活にも、顧問と副顧問がついてて、う、うちも例外じゃないし」


 智恵はそう言うが、実際に演劇部に副顧問が顔を出したことも、その名前を見たこともない。

 そもそも副顧問がいたなんて。入部してから一度も知らなかった。


 その場の全員が初めて知った事実を、どうして智恵だけは知っているのか。入部挨拶にも、顧問紹介にも副顧問は出ていないのに。

 智恵は手をもじもじさせて言った。


「い、一回だけね、部活を辞めようと思ったことがあって。た、退部届のハンコもらいに行ったら、佐伯先生いなくて。そしたら、も、森山先生から「副顧問にハンコもらいなさい」って言われて」


 智恵は図書準備室の方を向く。全員がその方向を見た。

 校内でひと際頑丈なドアの向こう。智恵が言うには、そこに副顧問がいるという。


「ほ、放課後とか、昼休みとか。ずっと図書準備室にこもってるんだって。うるさいのが嫌いだとか、な、何とかで」


 翔太を先頭に、3年生で図書準備室の戸を開ける。

 うるさいのが嫌い、という前情報をもとに、ゆっくりと戸を開けたが、立て付けが悪く、「キィッ」と耳障りな音を立てた。




「おい、うるさいぞ」




 本当に、準備室から気だるげな声がした。

 本の山に埋もれ、『山月記』をアイマスクに寝ている。


 ぼさぼさの頭に、ワイシャツと黒のスラックス。授業中もずっとつけているブルートゥースと思われるイヤホンが、小雪から「げぇ」の一言を引き出した。


 彼のことは、何度も見ている。

 演劇部の副顧問というのは、3年生の国語を担当している松屋まつや智和ともかずのことだった。


 智恵も、「い、意外だよね」と笑う。その場の全員ががっかりした。

 松屋は口が本当に悪く、授業内外でも生徒を泣かせていると有名だ。3日に1回は松屋に泣かされた生徒を見ている。


 翔太は意を決して声をかけた。


「松屋先生、演劇部の卒業公演のことで……」

「うるさい」


 松屋は部長を一蹴して、また寝ようとする。


 佐伯といい、松屋といい、演劇部にはまともな顧問はいないのか。めんどくさがりの集まりじゃないか。どうせ顧問割り当てを決めるときに、くじではずれを引いたのだろう。


 そう考えたら腹が立ってきて、気が付いたら小雪は松屋の前に立ち、山月記を払い飛ばしていた。

 松屋は眩しそうに目を細める。


「…………なんだよ」

「卒業公演の演目でお話が」

「そんなん、佐伯先生から話があるだろ」

「先生が丸投げしたので、副顧問に相談しに来たんです」

「さっきまで自分たちで話し合いしてたろ。それでいいじゃん」


 図書室にいるから、と小声で話していたのに、聞こえていたのか。うるさいのが嫌いだとは聞いたが、ここまでだったか。

 松屋は本を拾い上げると、瞼の上に置く。小雪はすぐさま本を取り上げた。



「ちゃんと聞いてください!」

「うるさい。大声を出すな」



 松屋は耳を押さえてため息をつくと、近くに置かれたケースから別のイヤフォンを出し、耳に装着した。


「……で? 演目決まんないんだっけか?」


 松屋がようやく話を聞く態度になると、翔太が「意見を聞きたくて」と尋ねた。

 松屋はつまらなさそうに大きく背伸びをする。


「候補は絞ってんのか?」

「いえ、まだです」

「はぁ? やりたい雰囲気とかは?」

「い、いえ、それもまだ……」


 翔太が尻すぼみにこたえると、松屋は目に見えて呆れた。


「何にも考えてないのに相談とか、よく言えたな。それじゃ丸投げしてきた佐伯先生と同じだろ」


 ぐうの音も出ない返しに、美和が「あのねぇ」と口を開く。


「演じる時楽しくて、笑いあり涙ありの、ハッピーエンドがいいなって思ってんの」


 さっきまで話していたことの全部乗せに、翔太はあんぐりと口を開ける。

 松屋はつまらなさそうに頭を掻いた。


「童話でもやっとけ」

「そうじゃなくて。童話はいつもと同じだもん。かわいい女の子が主人公のやつばっかり。もっと突き詰めた感じの、大人向けなのがいい」

「楽しくて、笑いあり涙ありのハッピーエンド。しかも大人向け」

「ある? 良さそうなの」

「ない」


 松屋はバッサリと切り捨てた。小雪も(そうだよね)と頭を悩ませた。


 大人向けの話は、大体が人間関係の泥沼で、突き詰めたものはハッピーエンドで終わらない。

 コメディを演じるか? いや、それでは希望通りの演目にはならない。

 美和の無理難題な相談に、松屋は機転を返す。




「自分で書け」




 その答えには、全員から反感を買った。


「生徒だけで演目を作れっていうんですか!?」

「それじゃあ、いつまでたっても練習できませんよ」


「じゃあ図書室にこもって、終わらない話し合い続けんの? あれこれ物語持ってきて、却下を続けんの?」


 自分たちで演目を書くのが手っ取り早く、一番の解決策だ。と、松屋は言う。

 けれど、誰も脚本を書いたこともないし、自分たちで話を考えたこともない。

 いったい誰が書くかで、また議論になる。


 小雪は引き合いに出されないように、そっと息を潜めた。

 だが、松屋は小雪を指さした。



「中村ぁ。この前の創作課題、お前いい成績だっただろ」



 小雪は目を見開く。

 まさか、とは思いつつも、松屋の意地の悪い顔に想像がついた。




「お前が書けばいいじゃん」

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