第30話



20211027水曜



ここから記事 2034年頃までの地球の進行



これまで、地上には様々な妖怪達が生存していた。例えば、日本独自の妖怪である「 河童」についてはこうだ。

 

河童は、日本独自の形質を持つが、海外でも半魚人と呼ばれているものは、一種のカッパ族に属している。 日本のカッパは既に数十年前に地上からその姿を消しているが、彼等は我々と同じ様に、約3億年前に地球に来ている。

 

その彼等が元居た星は、矢張り水惑星で( 地球の水・H2Oとは異なるものだが)、とても情緒のある風情の環境で、ゆったりとした時間が流れ、長く平和に暮らしていた。

 

そこにある日、非常に濃い「 陰」の気を持つ因子が放り込まれ、河童達は、それまで無かった感情に突き動かされ、お互い諍い(いさかい)を始めたり、嫉妬(しっと)し合ったり、恨んだりという負の行動に突き動かされる様になり、最終的にその惑星を滅ぼしてしまう事になる。

 

その陰の気を誰が放り込んだのか、どの様にして滅びていったのか、という詳しい事情は、次の機会に譲るとして、河童達はその後、この地球にやって来ていた。

 

この河童を含む妖怪達は、既にこの地上界を去り、ほぼ自然霊と化し、地球と同化している。 その彼等が20年後、地球が整備された後、再び人類と共に暮らしていくのかどうかは彼等の判断次第だが、何億年もこの厳しい地球上で暮らしていく事で( 絶滅はしているが)、彼等の意識の輝きは、数段増していっている。

 

彼等の元居た星は、既に滅んでいるが、そこに残った( ある意味封印された)河童の魂が、地球に来た河童達の意識が輝く事で、そちらの( 元の母星)カッパの魂にも波及する、という事がある。

 

そういう効果は、地球に来た他の何百、何千という種族でも同じで、その意識の輝きは、全ての同族に反映していく。


これは妖怪達のみならず、全ての人々にも共通する事で、一人が20年後の地球に残れたなら、その成果は、その人に通じる集合魂全体に波及し、大きく響く事となる。

 

 

妖怪と言えば、日本では水木しげる氏だが、先日、水木氏の全集が出るというので、その中に掲載する、という事で虚空蔵55氏はインタビューと取材を受けている。 これを取材しに来た方は、あまり一般的なマスコミ関係者という感じではなく、見た感じ、

 

「 この人は、今の世の中では生きにくいだろうな」 という印象の方であった。 社会で上手く立ち回ったり、人を押し退け(のけ)たり、何事も適当に調子よくこなしていくという事が出来ない様な方で、

正に妖怪種族に半ば(なかば)属する様な方だった。

 

しかし、この後の地球では、そういう人達が生き残っていく事になる。

 

 

妖怪達は、ほぼ人類を見放した感じで、地球を去って行っている。どれだけ人類が、彼等を虐待(ぎゃくたい)して来たか。利用していた癖に、自分達と異なる生き方、異なる形態、特殊な能力、その相違を受け入れる事が出来なかった人類を、責めるという事もなく、彼等は黙って消えていった。

 

そして、福島原発の危機的状況の時、虚空蔵55氏、みわ氏が中心となって行われていた、事故を沈める為の祈りに力をくれていたのは、多くの神霊の力もあったが、人類が虐待して来た、その妖怪達も黙ってエネルギーを送ってくれていた。

 

 

( この原発事故の当時、妖怪達の一部の声として、「 自分達で起こした事故ではないか」というそれが有った。人間達が勝手に起こした事故に対して、何故我々妖怪が手助けをしなければならないのか、という、もっともな声としてそれがあった。

 

これは、東北大震災、311に関わる一連の災害が、陰始勢力の企画した「 カルマの付け替え作業」の事を意味している。

 

自分達陰始勢力の上層部に、どうしても乗し掛かってくる、因果応報のシステム、人類に対して仕掛けてきた様々な搾取の行為に対しての、言わば人類全体からの復讐、とでも言える動きを、

 

大災害を起こして、それを、自分達の勢力の下の側のものに、全て押しつけて「 カルマの付け替えをして」、自分達上層部だけは助かろう、今後も美味しい汁を人間達から吸い取ろう、

 

という計画の一環として有った。本当はこれらの大災害を東京直下で行う予定だった。だが、関東の陰糸集団らがこの動きを嫌い、( 自分達が生贄になるのはイヤだ、巻き添えになるのはイヤだ、という事)

 

陰始→陰糸→配下の者達の、夢見などによる、意思伝達経路も随分おかしなものになってきており、( 不明瞭、不明確、不正確になった)

 

これらの要素が絡み合って、関東から東北に災害の位置は移された。そして、東北大震災は起こされ、311は起こされた。

 

これらのカルマの付け替えの動きは、直近では2014年秋の、御嶽山の噴火による死亡事故がある。陰糸集団、および、それらの配下の搾取される一方の者達が、上層部の因果応報の解消の為に、カルマの付け替えの目的で命を奪われている。


 

我々人類は、今再び、河童達が居た惑星の様な立場に立たされている。そこで我々は、どう対処出来るだろうか。



記事ここまで



妖怪、つまり前の星での姿のままに古代の地球で人類と共に生存していた人びと。 これらは一般に宇宙人と呼ばれるが、これらの多くは今は恐らく肉体を持ってこの地上の中を出入りしてはいない。 彼らは自分の物質波動を可変できるものがいるから、本当は出入りが出来るだろう。 しかしそれがない。 わたしは詳細は知らないが、陰胎というところと現実世界、つまり陽胎というところをいったりきたり出来るらしい。


しかしこれからの新しい世界においては、これらの宇宙人勢力も、人間の魂の中に情報波形の形で入ってくる、とでも言える風な帰還、復活の動きはあるのだろうなあとわたしは捉える。


わたしはこれらのオカルト関連の情報の経験というものは全くないし、これからもないし、求めてもいないから、はーん、そうですかー、ってな感じで本当に他人事だ。


しかし人類の多様性という概念から捉えると、我々人間なる外での経験や認識を抱え持った、ある意味ユニークな個体が人間社会の形成に参与するというのは、必然かもしれない。


我々の世界は同じことの繰り返しばかりしてきた。 あたらしい発見がなかった。 想起すらも無かった。 そういうところに到達するための、そもそも最初からエネルギーがなかった。 だからそれらが返ってくるのだから、人間の機能の拡大が行われ、精神感応における拡大が実現する。


容量が拡大するのだから、今までは魂の中に情報としてすら入り込めなかったこれらの妖怪たちがそれでも少しは入り込める余地が出来るのだろう。 わたしはそう勝手に解釈する。


この世界は、そとの世界も含めて思いが全てだ。 ということは、どのように考えても実は構わないという事であり、厄介なことに、考えた分だけそれらの概念が映像化される、とでも言えることがどうやら起きている。 世界が創造されているという言い方をする。


人間ごときの小さな容量で出来ることなど最初からたかが知れている。 しかしどうやらこの世界におけるサイズだとか距離だとか数値だとかは、人間が理解するためにそれらの設定を必要としているのであって、全体なるもの、これをオーム宇宙だとするのなら、どうやらそういうものは関係がないのではないか、そんなものはそもそもない、のではないか、というのがわたしの今の立場になっている。


世界をつくるのはわたしだ。 そしてあなたでもある。 その様を見ている観測者がいる。 しかしそんなものすら何かの中に包含されているものかもしれないし、そもそも中だとか外なんかねーよ、という話になるのかもしれない。


これらの概念を数式で表現する人達もいる。 しかしどうせ真実には到達できないのだろうなあともわたしは思っている。 エゴが、虚栄心がある限り、それはそうなるのだろうと決めている。



  それでも世界はわたしがつくっているのである



終了


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