5章 祈る者の過去~出会い~
王都の裏、貧民街。そこは何を成すことも出来ぬ命の流れ着く場所。
そこの、小さな広場。壁際には何人もの死者と生者が共に並び、ただ朽ち果てるのを待つのみ。居並ぶ者とモノの中に、彼はいた。
光の祝福色濃い金糸の髪。木の枝の方がマシに思えるほどに痩せ細った身体を被うのは形を維持しているのが奇跡と言えるほどの襤褸切れ。その宝石のような緑の瞳は濁り、なにものをも映さない。
彼は、ぼうと空を見上げていた。
何度月が上ったのかすらもよくわからない。それでも月は、日は彼を照らしては勝手に沈んで、また顔を出す。
腹の虫は鳴き方を忘れて久しく、足は動くことを憶えているのかも怪しい。
それでも彼は、生きていた。
とある日、彼は月を見た。太陽の下で。
それは、いつまで経っても沈む様子を見せない。曇った宝石のような瞳に光がわずか戻り、彼は目の前の月を改めて見てみる。
よく見ればそれは、人の形をしていた。
「ねぇあなた、言葉分かる?」
言葉何て長らく話していなかったので、とっさに口からは出なかったけれど、何とか頷く。
綺麗な白い手がこちらに伸ばされる。
「一緒に来て。助けて上げる。」
「え・・・。」
「あなた、お名前は?」
彼は、隣で骨と皮になって干からびている老婆が何度も呼んでくれた名を思い出した。長らく呼ばれていない、自分の名前。
「・・・い、イシル。」
「私はライン。よろしくね、イシル。」
月の祝福色濃い銀糸の髪と、深い海原の青い瞳を持った少女、ライン。
その日、彼女はイシルの一番大切な人になった。
ラインに手を引かれ、連れていかれたところは遠く見たことがあるだけの大きな白い建物。
ハーヴェイ大聖堂と言うのよ、と教えてくれた。
その側に建つ孤児院で神官服を着た人たちに引き渡されて、身体を洗われて、ちゃんとした服をもらって髪を切られて。
何がなんだかまだよくわからないうちに、イシルは見た目だけ「人間」に戻された。
なにやら神官たちに囲まれていたラインがそんな状態のイシルを見て微笑む。
「かっこいいよ、イシル。」
どうしてか2人で並んで、きらきらと光を投げかける太陽を見上げる。
「・・・ライン。どうしておれを助けたの。」
一番最初に口をついた出たのは、そんな言葉だった。
もっと他に聞きたいことや言わなきゃいけないことがあったのに、と下唇を軽く噛むイシルに、ラインはにこっ、と笑う。
「あなたに、生きる意志がなかったから。だから私はあなたを助けたの。」
「じゃあ、おれはこれから何をすればいいの?」
「イシルの好きなことすればいいのよ。何をしたいのか分からないなら、私も一緒に考えるから。」
「そっか。」
また、黙って空を見上げる。次に口を開いたときには、イシルはありがとうを言うことが出来た。嬉しそうなどういたしましてが返ってきた。
しばらくしてイシルは正式に「ハーヴェイ」の名を名乗れるようになり、ラインが人や生き物を拾ってくることが案外よくあることだと知った。
どうしてか少し、寂しかった。
でもそのうち、そんなことは感じなくなっていった。見た目から判断されたイシルの年の頃は12から13歳。
孤児院の中では年上で、なおかつ貧民の中では比較的恵まれた環境で育ったためか人間性もまともだったイシルは年下の世話役に抜擢されたのだ。生まれついての性格もあってイシルはそれに真面目に取り組み、結果として孤児院の子供たちのまとめ役のような立場に収まったのだった。
「イシル!」
「あ・・・ライン!」
元気よく手を振りながら駆け寄ってくる、イシルのいや、イシルたちの女神。抱えていたバケツを置いて手を振り返す。
「ごめんなさい、何かしてたの?」
「いや? 大したことじゃないよ。言われて掃除してたんだ。もうすぐ片付け終わるから、どこか人目に付かないところで待ってて。」
「もう、何でいつも『人目に付かないところ』なの?」
「それは・・・。」
答えようとしたまさにそのとき。ラインの後ろから、まだ幼い声がした。
「あーーー! ラインお姉ちゃんだーーー!!」
「・・・しまった。見付かった・・・・・。」
その声を聞いてわらわらと子供たちが集まってくる。大人たちに言い付けられた掃除が終わったのはイシルが一番始めだったので、おそらくそれを放り出して。
「こらみんな、掃除放り出してきちゃダメだろ!」
「だってーー! ライン姉ちゃん最近来ねーじゃん!」
「来てもイシル兄ちゃんが独り占めしてるしーー!」
「「俺/私たちだって遊びたーーーい!!」」
ちびっ子たちの大合唱に、ラインもイシルも苦笑いを浮かべる他ない。
「ごめんね、最近忙しくって。でも、もうすぐ余裕が出てくるからもうちょっと頻繁にここに来れるようになるわ。」
「ほんと? やったーーー!」
「ほら、分かったらお掃除に戻りましょ。お掃除も修行のうちなんだからね?」
「「「はーーーい!」」」
三々五々ちびっ子たちが散っていくのを見送って、ラインはイシルと苦笑いを交わす。
「私、イシルの部屋で待ってるね。」
「ん、了解。」
2人別れ、イシルは大急ぎで掃除用具を片付け部屋に向かう。椅子に腰掛けぼうと外を見るラインは光に照らされ、神像のように見えた。
「ライン───。」
「イシル。待ったわよ?」
「ごめん。」
「いいわよ。」
昔のように、2人並んで腰掛ける。拾われたあの頃はイシルの方が小さかったけれど、だいぶその差も縮んできた。
「ライン、神官になったの?」
「正解。よくわかったわね。」
「前と服が変わってたから。」
ラインの服装は神官見習いの白一色のものから、月の神に仕える神官の証たる銀糸刺繍のものに変わっていた。
「おめでとう、ライン。最年少なんじゃないのか? 神官の中では。」
「ええ、まあね。皆、前代未聞って言うのよ。誉めてるのか驚いてるのかよく分からないわ。」
それはたぶん誉めてるんだよ、と言うと、そうかしら、と返された。
こてん、と傾いた銀色の頭がイシルの肩にぶつかる。
「イシルは決まった? 何をするか。」
言うのには、少しばかり勇気がいった。
「神官に、なろうと思うんだ。光の神の。」
ぎゅ、と手が柔らかな何かに包まれた。見ればそれは、ラインの手。
「そう・・・一緒に、頑張りましょうね。」
その笑顔は、誰より何より美しい、とイシルは思った。
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