3章 決意

 王城、近衛騎士団の詰所。白壁と緋色の屋根のコントラストも鮮やかなその中に、1人の青年が入っていった。

 黒天鵞絨くろびろうどの黒髪と、同じ色の瞳をした男である。

 居丈高な臙脂の騎士服を脱ぎ、1つ息を吐き出す。引き出しを開くとそこには、一通の手紙が入っている。

 ─久し振りに会わないか、エヒト。

 時候の挨拶と、そんなことだけが書かれた短い手紙。これが来たときは、あまりにもきちんとしていたから同僚たちに恋人からかとからかわれたものだがエヒトは知っている。

 これはイシルの性格故だと。

 でもこれは、少しだけ彼らしくない。どこか切羽詰まったものを感じて、慌てて返事をした。

 明日は、手紙とも言えないかも知れないそれに書いた日。結局エヒトは早々と寝ることにした。何を言われたとしても、耐えられるように。

 そして、その日。エヒトは時間より少し早く待ち合わせ場所として指定した大噴水の前に来た。しばらくぼんやりと待っていると、雑踏の中に見慣れた亜麻色の髪が見える。

「待たせたエヒト。久し振りだな。」

「ああ。本当に久し振りだな。何ヵ月ぶりだ?」

「さぁ。数えるのも面倒になるぐらいは経ったな。」

 イシルは少し、痩せただろうか。頬がこけているように見えるし、目の下にもうっすらと隈がある。シンプルなシャツから除く手首の包帯が、ひどく目に付いた。

「なぁ、エヒト。」

 その笑顔も、弱々しい。日だまりに溶けて消える雪のようだ。

 同じように大噴水に腰掛けているだけなのに。どうしてか、懺悔でもしているかのように見えてしまう。

「イシル。場所を変えよう。」

「・・・ん。」

 イシルを伴い向かったのは、近衛騎士団御用達というよりは密会御用達の店だった。あらぬ疑いをかけられる恐れはあるものの、聞かれるよりはマシだろうと判断して。

「・・・で、どうした?」

「手紙が来たんだ。」

「・・・誰から。」

「ラインから。」

 奇妙に澄んだ音を立てて、カトラリーが手から滑り落ちた。

「おい・・・冗談にしては質が悪いぞ?」

 口元が変な形にひきつった笑みを浮かべていた。脳裏に甦る、鴉の羽音と欠けた太陽。艶やかで、罪悪な蜜の声。

 無言で差し出された雪みたいに真っ白な封筒。赤い封蝋は、落ちた血みたいに鮮やかで。

 怖い。ただ手紙を開くことが、こんなにも恐ろしい。

 既に開かれていたそれを、手の震えを隠さぬまま開く。

 つまみ出されたのは、仄かに青い紙。隅に青紫の花が描かれていて、言葉を綴るは楽しげに跳ねるような癖の文字。

「何だよっ、これは!」

 思わずエヒトはイシルに掴みかかり、その目を見て、怯んでしまった。イシルの怖いものを倒すのは、俺の役割だったはずなのに。俺の方が、強くあらねばならなかったのに。

 弱かったはずのイシルの目を見て、掴む手の力を弛めてしまった。

「ごめん。」

 どうしようもない悲哀と歓喜と恐怖と、それからある種の決意とに染まった濃緑の瞳。

 何てきれいで、かなしいのだろう。

 何てきれいで、どうしてこんなにも、触れ難いのだろう。

「おれ、1人じゃ駄目だった。」

「会っちゃいけないんだ。会おうと思っちゃいけないんだ。だっておれは、光の神の、神官だから。」

 ひび割れた瞳から、涙はこぼれない。

「でも、会いたいんだ。」

「どうしても、また、おれは。ラインに会いたいんだ・・・・・!」

 どんなに悩んだことだろう。どんなに苦しんだことだろう。

 エヒトはただ、上から押さえつけるみたいにして亜麻色の髪をぐしゃぐしゃに掻き乱した。昔よく、やっていたみたいに。

 しばらくして、ぽんぽん、と腕が叩かれた。

 もういいよ、と。

「なあ、エヒト。頼みがあるんだ。」

「何だ?」

「闇の女神の3人の娘たち。世界を維持する神の使徒。彼女たちの、情報がほしい。」

「それは神殿の管轄だろ・・・。」

「ほしいのは、目撃情報だ。集団暴走スタンピードや土地の異常。そんなことがあって、収まった場所での調査資料がほしい。・・・それは、騎士団の仕事だろ?」

「確かにそうだが・・・そんなもの、部外者に見せられる訳ないだろう。」

「神話を編むための資料だ、と言ったら?」

「それなら、まぁ・・・っておいまさか。」

 イシルは笑った。どこか不敵に、少し不適に。

「俺はラインに会いたい。例えほんの一瞬でも。俺はラインを知ってほしい。誰にも忘れられたくない。だから、探す。だから、記録する。」

「職権乱用だぞ・・・。」

「この前、一番悩んでいるときに法術を授かってな。どうやらおれが奉ずる光の神は盲目的に拝むだけでは満足していただけないらしい。」

 ああそういえばと思い出す。光の神とは新たな道を歩む者の、その行く先を照らす神でもあったのだと。

 彼の神は、きっと背中を押したかったのであろう。ようやく巣立つ、雛鳥の。

「頑張れよ。」

 ならば俺も背中を押そう。イシルの友として。そして、ラインの友として。

 イシル・ハーヴェイに、一番最初に救われた者として。

◇ ◆ ◇ ◆

 それから数日。イシルの元には多くの資料が集まっていた。

 王立図書館の司書たちとも協力して、それらを地図にまとめていく。

「帝国歴の記録もありますよ。闇の女神の三人の娘たちは、一体いつから存在していたのでしょうね。」

 黙って作業することに飽いたのか、司書の1人が話始めた。イシルもそれに乗る。

「いつからでしょうね。人の世界に関わっているのに、彼女らの記録は少ないので。かなり昔からだということは予測できますが・・・。」

 イシルは気になる記録を見つけた。かつてこの地を支配していた帝国の最期に関する伝承。

 ──帝国は、一夜にして消え失せた。その全てが、塵となって。

(確か・・・。)

 イシルの手は資料を猛然と引っ掻き回し始めた。

(どこだ・・・? 確か、さっき似た記述が・・・。)

「い、イシル殿?」

(あった・・・! これだ・・・!)

 

 ──帝国歴○□年、集団暴走発生。✕✕村が壊滅。先遣隊を派遣するも、全滅。本隊を派遣するが、損害多数。数日後に再び向かうも収束済み。黒髪に、緑の瞳の少女が現場に向かったとの目撃証言あり。少女の素性の一切は不明。魔物の死骸もなく、如何にして収束したかも不明。

 

「皆さん。すみませんが、これと同じような・・・何かが跡形もなく消滅した、というような記述のある物を分けてくれませんか? 他の物も、同じ現象ごとで纏めてみたいのですが。」

 司書たちは、困惑したようだった。無理もないことだが、今イシルはそれに構ってなどいられなかった。

 資料を見て分けて、と作業し始めたイシルに釣られるように、司書たちもそれに加わる。6本の手がテーブル上から引っ込むころには、いくつかの山が出来ていた。

「やはり・・・。」

「イシル様、やはり、とは?」

「闇の女神の3人の娘は、ほとんど名前だけしか知られていないに等しいことは知っていますね?」

「はい。──確か、上から裁定の使徒ジャッジメント、試練の使徒オーディアル、終焉の使徒エンド・・・っ!?」

 司書は、不自然に息を飲んだ。

「ええそうです。これらには、彼女たちが行った世界の維持の記録となり得るものが混じっています。」

 1つの山から、資料を取り上げる。そこに記されたのは、古くから旅人を襲い殺し続けてきた村に起きた出来事。その全員が、心を喪い廃人と化した。

「これは、試練の使徒オーディアルの。・・・思ってみれば、この前『黒の仔』たちが届けた者たちも彼女に罰せられたのかもしれません。」

 1つの山から、資料を取り上げる。そこに記されたのは、集団暴走時に現れた奇妙な青年と少女の目撃譚。彼女らが目撃された後、集団暴走は収束している。

「これは、終焉の使徒エンドの。1人謎の青年がいますが、彼は新しい使徒なのかもしれませんね。」

「新しい使徒ですか・・・俄には信じがたい話ですが・・・。」

「有り得ない話では、ないですね。」

「・・・ええ。」

 それは実際に起こり得る現象だとイシルは知っているけれど、彼らには話せない。彼らまで神を疑うことになりかねない。

「・・・資料によく、登場する地名がありますよね?」

 地図を一瞥すると、一ヶ所だけ異様にピンの多い場所がある。

「私はそこに行ってみようかと思います。何か危険があるかもしれませんので、騎士団にも協力を要請して。」

「わかりました。では、私たちは他の所を。」

「お願いします。」

 イシルは頭を下げた。気心知れている、ということで、エヒトを連れていくつもりだ。

(願わくば、そこでラインに会いたい。)

 イシルの想いは遥か、かつて帝国の都があったその場所にあった。

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