第5話「隣人たち」
第五話
「隣人たち」
減薬をしている時期はとてもキツい時期だったので、別の人たちもたくさん現れる様になりました。
「俺がコイツの代わりにアイツを殺してやる」
男の人格が出たことがありました。少ししゃがれ声。
彼の言う『コイツ』は、たぶん『亜希子』。『アイツ』はたぶん、僕たち夫婦にとってとても理不尽な壁である『アイツ』の事だと感じたが、確認してはいない。
僕自身アイツに追い込まれて、何度死のうと思った事だろうか。
そう思いつつも周囲を見て、刃物の位置を確認する。
僕が刺されるかもしれないし、亜希子が刺されるかも(自殺?)しれないし。
「アイツはどこに居る? お前、アイツの所に連れて行け」
彼が『アイツ』を殺したら、妻は殺人犯に成ってしまう。
「別人格が殺ったんです!」
誰が信用する? どうやって証明する? 彼らはたぶん僕の前以外には簡単には現れない。(と思う)
ビリー・ミリガンのように催眠術で【催眠退行】していけば引き出せるかもしれないが。
東京の精神科医の先生には、
「憎い人は頭の中でどんどん殺して良いですよ。私も奥さんと良く『アイツどうやって殺してやろうか?』って話し合ったりしています。あなたたちもそういうことは話し合ってどんどん吐き出しましょう」
と言われた。
そんな事を教えてくれる人が居ると、心が救われます。
だからと言って実際に殺人を犯してはダメです。当然です。
アイツを殺したところで、この生活が変わるわけでは無いですから。
イヤ、別の意味で激変するか。
幸いにも彼は直ぐに帰っていきました。
「舞斗、あそこで骸骨の人がおいでおいでって手招きしているの。あそこに行った方がいいのかな?」
そんな時、僕は優希の手を握って
「行かなくていいよ。僕と一緒にこの家にいよう。ここの方が安全だよ」
心を落ち着かせることに専念する。
手招きする骸骨は優希だけで無く、亜希子も見えるようだ。
『怪しい扉』も出てくることが多い。
いかにもヤバそうな扉らしいのだが、二人ともどうしてもその扉を開けてそっちに行きたい衝動に駆られるらしい。
『扉を開けて、扉の向こうに行かせたらどうなってしまうのだろうか?』
一瞬頭をよぎるが、そんな不確定な事をさせられるわけは無い。
廃人に成ってしまったり、亜希子という主人格が一生封印されたりしたらどうするんだ?
骸骨や扉は半起きしている状態で見ているので、僕と会話しながらその風景を見ているらしい。
しかし僕にはどうしてあげる事もできないので、手を握って背中をトントンして、「あっちに行っちゃダメだ」と言うことくらいしかできない。
ある日の寝室でのことだ。
ベッドから跳ね起きた亜希子は、僕から逃げるように走り出し、その際僕の財布を持っていき、ウォークインクローゼットに逃げ込んだ。
「どうしたの?」
寝室とクローゼットは直ぐそこなので、ウォークインクローゼットに入りつつ亜希子に聞いた。
「いつも売り切れているパンを買いに行きたいの」
クローゼットの隅で丸くしゃがみ込んで防御姿勢を取っている亜希子が答えた。少し震えている。
きっと新たな別人格だと感じた。
「ごめんね。財布を返してくれないかな? きっとそのお金は君の世界では使えないと思うから」
僕は怖がっている彼女と少し距離を置き、ゆっくりと喋った。
スッと、素直に財布が返ってきた。
「ごめんなさい。わたし、パンが食べたかったの。いつも通りかかるパン屋さんからとても良い匂いがしてくるの。でもそこのパン屋さんはいつも売り切れているのよ。今なら売ってるかもしれないと思って」
「そっか。パン、美味しいよね」
突然現れた(と言っても彼らはいつも唐突だが)パンの娘には、心当たりがあった。
うつのことを調べているときに、GI値が高い食べ物は、血糖値を乱高下するという話しを見つけて、パンは控えるようになった。
現代人は砂糖を取り過ぎている。
その
そしてその状態に慣れてしまうと、砂糖が少しでも切れてくると怒りっぽくなることが判っている。
元々パンが大好きな亜希子が、パンを食べることを極力控えるように成った
彼女は合計3回現れた。
僕は彼女と話しをするのが好きだった。
「朝会社に行く時に、いつも通るパン屋さんが気になっているの。焼きたてパンの良い匂いがするのよ。朝は忙しいから、お昼に買いに行くの。でもいつも売り切れているのよ」
パンの娘の名前は聞いていない。
彼女は大人の人格だが、落ち着いていて優しい話し方をする。お姉さんとは真逆だ。
毎回買えない美味しそうなパンの話しをするので、ひょっとしたらパンの娘は生まれたばかりで、彼女の世界は通勤途中にあるパン屋周辺だけしか無いのかもしれないと思った。
「今日はお別れを言いに来ました」
ベッドで寝ていた亜希子が急に話し始めた。
話し方のニュアンスでパンの娘が来たと判った。
「どうしたの?」
「もうこっちに行っちゃダメって言われたの」
サブ人格を統轄する人格が向こうで言ったのだろうか。
「わたし、あなたとお話しするのが好きでした」
「僕も君と話しをするのは楽しかったよ」
まさかこんなに早くお別れ(?)する日が来るとは思ってもみなかった。
ショックだった。
パンの娘はベッドに寝たままだ。起き上がる力が出ないのだろうか?
そうすると、ガンガン動き回れる優希は凄いパワーを持っていると言う事になる。
「君にこっちのパンを食べさせてあげたいって思っていたよ。君の言う『美味しそうなパン』を食べてみたかったな」
「わたしも。あなたとパンを一緒に食べたかった。でももう、こっちには来られなさそうです」
そう言ってパンの娘は眠っていき、数分後に亜希子が起き上がった。
「どうしたのマーくん? 何で泣いているの?」
「いや 、こんな時間だからね、欠伸が出たんだよ。大丈夫? うなされていたよ?」
僕は目に涙を溜めていたらしい。
「わたしまたうなされてた?」
「だから横で手を握っていたよ」
「ありがとう。もう大丈夫よ」
「わかった。じゃ寝ようか」
『お別れ』とパンの娘が言っていたが、どの程度のお別れか判らない。
ひょっとしたらその内またひょっこり出てくるのではないかと思ったが、彼女が出てくる事は無かった。
少なくとも僕の前には現れてはいない。
赤ちゃんが出てきた時も数回あった。
「おぎゃーおぎゃー」と本当に赤ちゃんの様に泣くのだ。言葉で書くとアレだが。
それは大人が演技でできるレベルの「おぎゃー」ではなく、『大人でもこんな風に泣き声を出せるんだ』と感心する程にクオリティの高い赤ちゃんの泣き声だった。
僕がしてあげられることは、『相手(人格)を認めてあげる』事と、『寝かしつけて向こうの世界に帰す』事だけです。
果たして【赤ちゃん】が『人格』なのか、単なる『子供がえり』なのかは判断はつかない。
が、兎に角帰ってもらう事が一番だ。
「アイツ殺してやる」
前回の男の人格とは違う感じのする男のサブ人格が、ハッキリと大きい声で喋った。
前回の男人格はソファーベッドから体を起こしただけで、声はしゃがれ声でくぐもっていたが、今回の男人格の声はハッキリしていて低い声だ。
何よりもソファーから立ち上がって動き回り始めた。
「俺が殺す」
僕は彼から少し離れて、
「殺さなくて良い。殺す必要はない。そんな事は誰も望んでいないよ」
話し合ってみようと声を掛けた。
「
彼はそう言い放ち、玄関から外に出て行った。
マズイ!
自ら家の外に出た人格は、彼が初めてだったのだ。
と言うか、後にも先にも彼一人だ。
優希は僕が外に連れ出したのであって、自分の意思で、自分から外に出た訳では無い。
もちろん直ぐに後を追った。
彼は裸足のまま外に出た。ひょっとしたら靴の履き方を知らないのかもしれないと思った。
僕も裸足のまま追い掛けた。
隣りの敷地である、砂利の駐車場で何とか捕まえた。
真夏の太陽に照りつけられた尖った砂利が、痛くて熱い。
身体が弱い亜希子の足が心配だ。
「先ず家に戻ろう。アイツは殺さなくて良いよ」
僕は彼にそう言ったが、本当は何度『アイツとアイツの家族を殺して俺も死んでやる』と思った事か。
でも同時に、そんな事をしても何にもならないと言う事は、解り過ぎる程解っているから、ただただ悔しいだけだ。
「放せ! 俺ならアイツを殺せる」
「止めてくれ。そんな事は誰も望んでいない。落ち着いて。一緒に家に帰ろう」
ご近所に聞かれたらマズイ。
幸い田舎で人通りが無かったから良かったが、傍から見たら異様な光景だったと思う。
その後しばらく押し問答が続いたが、彼は家に帰る事を承諾してくれて、向こうの世界に戻って行った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
〈あとがき〉
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。
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みなさまの暖かい応援をお待ちしております。
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応援してくださいました方、さらに重ねて御礼申し上げあげます。
誠にありがとうございます。
感謝しております。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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